雑誌正論平成31年2月号で、西尾幹二氏は石平氏に鋭い質問をしている。それは
「・・・中国の発展を見ていて意外で仕方がないのは、たとえ日本の新幹線の技術に学んだにせよ、あっという間にその技術を身に付けて新幹線を外国に輸出し、日本と競うまで力をつけたことです。たとえブリキ板1枚を作るにも高い技術が必要とされます。中国には古来高い技術があつたとはいえ、近代科学技術と結びついたものではありませんでした。過去の停滞していた時代に中国では、理数科の学校教育がきちんと行われていたんだろうか。中小企業による下支えはできていたのか。そういうものがあれば今急に新幹線技術をコピーできたのも納得できます。他のアジアの国はまともに新幹線を造ったりはできません。中国だけができたのは、なぜなんでしょうか。」
この質問は欧米技術に基づく製造業の技術基盤の必要性、というものの本質をついた質問である。西尾氏は欧米技術に基づく製造業の技術基盤について、そう簡単なものではなく、①理科系の教育体系と②大企業から中小企業までの産業構造の必要性を、ズバリ指摘しているのである。工業の専門家ではない西尾氏の見識は流石である。
これに対して、石平氏の回答は、次のようなものである。
「50年代になると旧ソ連が、中国の産業化を全面的に支援し、数万人のソ連の専門家が派遣されてきました。・・・農民の富を吸い上げて資本を蓄積し、重工業の発展につぎ込んだのです。こうして60年代までに中国では工業の基盤ができていました。80年代にはそうした産業体系がそろっていたところに改革開放で、外国資本が入ってきて新たな技術も導入され、中国の高度産業化が実現したのです。」
石平氏の回答は、整合性が良くとれているので、西尾氏は納得するのだが、小生には、はなはだ信じがたいものである。日本は幕末以来、昭和20年まで約100年間、初期の欧米の技術の時代から、西欧に寄り添って、教育界から産業界までが、地道に努力を続けても、追いつくことはなかった。コピーすらできなかった技術すら幾多ある。欧米技術の製造業の技術基盤とはそれほど奥深いものがある。
日本の新幹線技術などは、戦前の地道な努力がようやく戦後花開いたものと言うべきである。それが、1950年代から、わずか30年、それも文化大革命の大混乱を含めてである。それだけで、欧米技術の技術基盤を身に付けたとは到底信じられないのである。我々は宇宙開発や新幹線技術のコピーと言った派手なものに目を晦まされてはいまいか。そうでなければ「中国製造2025」などという標語が飛び出すはずはないのである。
言い尽していないのだが、取り敢えず疑問点としてアップする。
小平次です
なるほど、そうなりますと、出来上がったものが、安全面などはもちろん、その他の技術的なこと、そういうものひっくるめて『ロクなもんじゃない、ポンコツ品のようなもの』、である可能性が高いわけですね
そんな国や、そんな国の技術供与を受けた国々から、日本へ技能実習生として大勢の人たちがやって来て、今、建物の建築や、食品の製造、車の部品作りに関わっている…
人数も爆発的に増え、管理しきれるのかどうか…
まあ、教える日本の職人や技術者の方々はプライドがあるでしょうから、しっかりと教えてきちんとしたものを作る、と信じてはおりますが…
ありがとうございました