毎日のできごとの反省

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朝日新聞の敗戦の初心とは

2015-06-21 13:42:32 | ジャーナリズム

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 国会図書館の縮刷版は貴重である。朝日、毎日、読売の各新聞の縮刷版が、戦前どころか新聞によっては、創刊当時からそろっている。何故か産経だけは縮刷版がない。パソコンで検索するか、マイクロフィルムを見るしかないから、手軽にパラパラ見ることができないのは残念である。縮刷版がないのは、新聞社が作っていないからである。

閑話休題。終戦近辺の新聞の縮刷版を書架に調べてみた。驚いたのは、敗戦直後の朝日新聞の論調のまともなことだった。8月15日のコラムには「何故ここに至ったか、責は何人が負うべきか、などといふ勿れ。顧みて他をいふをやめよ。各人、静かに思ひをひそめて、自ら反省すべきである。」とある。

現在の朝日新聞が、「日本の戦争責任」などと言って、軍部の責任、誰々の責任と言っているのとは、反対である。後年のこのような言動について、当時は戒めていたのである。ところが今は、自から戒めを破って恥じないのである。

 翌日の社説には「死せず亜細亜の魂」と題して「この戦争の結果は恐らく、外面的にはアジアの奴隷化に拍車をかける点、にもかかわらず内面的にはアジアの覚醒に偉大な貢献をなした点に存するであろう」といい、「かつて日露戦争後、同じく解放の熱望に燃える支那の国民的要請を我々が正確に把握しなかったところに、その後における東亜の悲劇の発端があった」という。

 すなわち、日本が負けることによって、欧米の植民地支配は強化されるであろうが、植民地の民族には、日本が戦ったことによって、独立への気概が強くなるだろう、というのであって、暗に将来の植民地解放の実現を示唆している。ただし、支那に関する認識は依然として甘い。清朝崩壊以後の支那は、過渡的な混乱期であって、真面目な日本が巻き込まれたのに過ぎないのであって、「支那の国民的要請」などというものは存在しないのである。ただこれらの弁は、当時の国民の多くの気持ちを代弁していたのも事実であろう。

 そして、縮刷版を丹念に見ていくと、一ヵ月もすると、この新聞のコラムは「神風賦」から「天声人語」とタイトルを変えて、論調も急速に変わってしまった。元々朝日新聞のコラムは天声人語であった。それが紙面が戦時色が強くなると、神風賦と改題した。時節に迎合したのである。

 そして、9月に、GHQによってまる二日間の発行停止にされた。米国等への批判的論調が逆鱗に触れたのである。すると、論調は180度変わった。同時にコラムも天声人語に戻ったのである。常に時節に迎合する。論調が変わろうが、これは朝日新聞にとっては不変のポリシーである。

 だが朝日新聞は、戦前は政府や軍部の検閲で自由がなかったとは言うが、戦後は平和国憲法に検閲の禁止が書かれていたのに、GHQの検閲で筆を曲げたとは書かない。それは、未だにGHQの検閲が終えても、検閲方針に従っているからだ、GHQの検閲がなくなったから自由に書ける、と言ってしまったら、どう論調を変えたらいいか、分からないからなのだ。



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