「まじめに中国の政治史を書こうとしたら、モンゴル語や満州語ができなければ話になりません。」(P14)というのだが、漢文では土地制度史だけしか書けないから、漢文しか読めない、今の日本の「世界史」は中国の政治史ではなく、土地制度史しか書かれていないから歴史になっていない、というのである。
モンゴル語と満州語の必要性の理由はこれしか書かれていない。これを小生なりに解釈するに、漢文は文字表記としては不完全なものだから、モンゴル語と満州語のような普通の言語の文字表記が必要だ、ということがひとつ。清朝では、漢文の歴史書等の文献が解釈を含めて満州語にほとんど翻訳された、という事がふたつ目であろう。世界の言語に関する書物で、西洋の中国研究家は、漢文の古典を読むために、満州語を学ぶと書いてあったのが、このことであろう。漢文は言語の文字表記としては、相当に不完全である。だから解釈が必要なのである。清朝は、文法があるノーマルな文字表記である、満洲語に漢文の古典を翻訳する際に、解釈も含めて翻訳し、漢文の古典が普通に読めるようにしたのである。
岡田英弘氏だったと思うが、世界史はモンゴル帝国から始まると書いた。これはモンゴル帝国が、世界帝国になることによって、ヨーロッパ文明と中国文明が接触することによって世界史が始まった、というのである。これが三つ目であろうか。
戦前の人物評価で「どうも『日中友好』を唱えながら、孫文を助けた頭山たちを罵る日本人を見ると、阿Qを思い出して仕方がありません。」(P111)というのであるが、阿Q正伝は列強に何をされてもへらへらしている中国人を風刺しているというのである。孫文を助けたのは他でもない、今中国侵略者呼ばわりされている、戦前の右翼である、ということを親中派の人士は故意に忘れているのである。
ただし、今でもそうであるが、中国にシンパシーを抱く人たちは、現代中国人を古代中国文明の後継者とみなして、現実の中国を見ずに幻想を抱いている。当然であるが、日本の要人を接待するときは、中国政府はその誤解を利用しているのである。
興味があったのは、倉山氏がいわゆる「南京大虐殺」なるものにいかなる判断を下しているかである。結論から言えば「こんなものはまじめな研究者ならば相手にする必要のない与太話です。」(P199)と明快なのであるが、その理由づけたるや不分明で参考になるものもならないものもあり、とにかく整理されていない。要するに定義をきちんとしている議論が少ないとして、九つの論点を提出しているだけである。だけである、といったら失礼だが、もう少し論理的帰結が明瞭になる書き方をしていただきたいと思う次第である。
例のリットン報告書であるが、「日本には実を取らせ、中国には花を持たせよう」として形式上は中華民国の主権を認め、日本の満洲における権益を認めようとしたもので「中国政府は党の一機関に過ぎず、として「・・・蒋介石政権をファシスト国家だと指弾している反中レポート(P171)」だというのである。
事実はその通りである。しかし、リットン報告書を日本が受け入れて、英国の思惑通りに解決したとする。しかし、米中の考え方からすれば、その解決は暫定的なものに過ぎない。結局は日本が大陸に権益がある限り、日中は争い、その結果として対米戦は惹起したであろう。しかも大陸における日本の権益と言うものは正当なものであり、安全保障上も経済上も、日本の生存に必要なものであったから、守らなければならなかった。日本は絶対矛盾状態にいたのである。それに想いをいたして、父祖の労苦を理解しなければならないのではないか。
その意味で「ルーズベルトが中国問題で、日本の死活的利益にかかわるような介入をしたので、アメリカは日本と戦争になったということです。(P211)」と言っているのは、倉山氏が言う通り「明らかな事実」である。
他の著書でも気になるのだが「帝国陸海軍は恐るべき強さですが、そこらじゅうに喧嘩を売るような戦争をするなど、政治と統帥は無能の極みです。(P211)」と言うのは氏の持論である。ひとつの疑問は何故、日清日露の時代の政治と統帥は健全で、昭和になって無能と言われるようになったのか、ということである。この倉山氏の考えは司馬遼太郎と同じである。果たして維新の元勲が昭和の政治と統帥を司っていたのなら、果たしてうまく立ち回れたのか、という疑問に小生は、はっきり「そうだ」と答える自信がないのである。
また、帝国陸海軍は無敵であった、と述べるが大東亜戦争開戦の時点で、あり得ないことだが支那事変での疲弊がなかったとして、やはり無敵であったのか、と言うことについては大きな疑問がある。日露戦争以後、戦争のハードとソフトは急速な発展を遂げた。中でも、第一次大戦後の米国のそれは著しいものであった。
日本の軍艦の装備は、日露戦争のそれを直線的に高めてきたのに過ぎない。陸軍の装備についても同様なことが言える。だが欧米、特に米国の進歩は直線的発展ではなく、飛躍的発展を遂げているように思われる。真珠湾攻撃は、半戦時体制下の完全な奇襲であるという、圧倒的に優位な条件であったにも拘わらず、特殊潜航艇は日本の空襲より一時間も前に全て撃沈されている。
延べ約350機の攻撃隊は1割弱の、29機が撃墜されている。巷間言われるのと違い、この被害は軽微なものではない。ドーリットルの日本初空襲では、戦時体制下であるにも拘わらず、1機のB25すら撃墜できなかった。B29の空襲では体当たり攻撃しても、3%の撃墜率も達成していないのにである。具体的には言わないが、戦記を読む限りにおいて、戦争の初期においてすら日本軍は楽勝してはいない。戦勝の多くが、犠牲を厭わない兵士の勇敢な攻撃に支えられていた。
マレー沖海戦などの英海軍の間抜けな戦いに比べて、米軍は違ったのである。米軍の戦闘能力の飛躍は第一次大戦以後のことであると、小生は仮説を立てている。現在ではノモンハンでの損害は、実はソ連の方が大きかった、という事実が判明しているが、それも「肉弾」という恐ろしい兵器を使わなければならなかったのである。
なるほど、日露戦争の二百三高地攻撃は凄惨なものであったろう。だが当時としては標準的なものであり、10年後の第一次大戦の塹壕戦は、それを量的にも遥かに上回る凄惨なものであった。だからその後米軍は変わったのではなかろうか。覇権が英国から米国に移ったのは当然であった。少々脱線したが、日本も強かったが米国はそれ以上に遥かに強くなっていたのである。
この点の認識が小生は倉山氏とは異なる。日露戦争で、ロシアの生産力は日本より遥かに高かった。しかし、戦争に関する総合力では、日本が僅かに上回っていた。開戦時点で日米の生産力の差は隔絶したものがあった。小生はそれを言うのではない。米軍の戦争に関する総合力が、日本を遥かに上回っていた、ということを言っているだけなのである。