毎日のできごとの反省

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開戦の一撃の敗北で講和した国はない

2020-03-05 12:55:19 | 大東亜戦争

 山本五十六が真珠湾攻撃を行ったのは、国力の差で、長期戦となったら勝ち目がないから、一撃で徹底的な被害を与えて、講和に持ち込む算段だった、というのが一般的に言われているのだと思う。阿川弘幸の山本五十六にも、海軍大臣に送った「戦備に関する意見書」で「勝敗を第一日に於て決するの覚悟(下巻P28)」と書いている。しかし、同書を他の個所を読んでも必ずしも、真珠湾攻撃後、継戦することがないと考えていたとも言い切れない。一撃で決戦するつもりかどうか、山本の戦略はまことに判然としないのである。

冷静に考えてみれば、世界の戦史に領土も占領されずに、開戦劈頭の一度の大敗で敗北を認めて講和した、という例はないと思う。開戦の通告が事前に行われていれば、米国は大被害のショックから、日本が講和を申し入れれば受け入れる、と考えるのは歴史的常識として、荒唐無稽という他ない。

 荒唐無稽とも思われないのは、駐米大使館の無様な不手際から、開戦の通告が遅れたために、米国世論が一気に参戦に転じたという説がまかり通っていて大問題視され、もし通告が遅れなかったら、ということが痛恨事として肥大化していって、そこで思考停止してしまった。そこで、遅れなかった時の、その後の米国の対応がどうなっていたか、ということに想像力を働かすことをしないことにあるように思う。

 「未完の大東亜戦争」で渡辺望氏は、米国にとって真珠湾攻撃は米本土決戦に等しく、本土空襲などは、その報復として行われ、仕上げとして日本本土決戦を予定した、というのだが、あり得る話でも考え過ぎである。ハワイはアジア進出の橋頭保として併合したもので、州に昇格したのは戦後の話である。本土の一部と言う意識が米国人にあったとは考えにくい。米大統領が戦時中ことあるごとに真珠湾攻撃を持ち出したのは、アラモ砦やメイン号と同じく戦争の大義として利用していたのに過ぎない。

 もし、山本五十六が本気で真珠湾攻撃の一撃で講和できる、と考えていたとしたら愚か過ぎるから、そんなことはないであろう。このような説は、後年の伝記作家や海軍関係者が、反戦主義だった山本は早期講和を望んでいたという根拠として、流布したものだろう。

 山本の意図は、日露開戦劈頭の旅順港攻撃にならったもので、旅順港攻撃が攻撃の不徹底によって失敗したための教訓を取り入れたものである、という説を読んだことがあるが、これが正しいのだと思う。旅順港のロシア太平洋艦隊を、開戦と同時に撃滅して制海権を奪う、という発想と真珠湾の太平洋艦隊を撃滅する、という発想は類似していて、海軍軍人としては自然な発想である。

 この発想は、永年海軍が想定して戦備を整えていた、開戦と同時にフィリピンを攻略すると、米艦隊が一挙に攻めてきて、フィリピン沖か小笠原沖あたりの西太平洋で、日米の艦隊決戦が起り日本が勝利する、という構想と全く異なる。そのため、突然真珠湾攻撃に転じたのは、戦争のドクトリンを突如変更することで、極めて無理がある、と言う説を唱える人も多い。小生もそのこと自体は正しいと思う。

 だがそれ以前に、海軍の西太平洋での艦隊決戦ドクトリンが、対米戦の構想として現実的ではない、と考えている。米艦隊がフィリピン方面に攻めてくるのは、フィリピンに逆上陸してフィリピンを奪還するためである。米艦隊は上陸支援をしにくるのである。現実に、フィリピン沖海戦は、複雑な様相を呈し、連合艦隊と米太平洋艦隊による単純な艦隊決戦とはならなかったのである。

真面目に対米戦を考えるなら、開戦劈頭に米太平洋艦隊を奇襲して、戦力を大幅に奪っておこう、と考えるのは自然である。西太平洋沖の艦隊決戦を構想したのは、海軍は対米戦を想定していたのではなく、陸軍と張り合って予算を獲得する算段をしていたのである。

 だから、日米の全艦隊が西太平洋で一度限りの艦隊決戦を行う、という空想をして、勝利のためには艦隊戦力は米国の七割でなければならない、と主張したのである。だが艦隊決戦の根拠となった日本海海戦が、バルチック艦隊と連合艦隊が互いに持てる艦隊の全力をあげて戦う結果となったのは、バルチック艦隊が日本攻撃のために出撃して衝突したのではない。ひとまずウラジオストックに全艦隊を一斉に回航しようとしたのである。

 ウラジオストックに無事ついたら、再度全艦隊が一斉に出撃する理由もない。バルチック艦隊の任務は、日本軍の大陸への補給を遮断し、大陸の日本軍を孤立させ、軍需物資が枯渇したところをロシア陸軍が反撃に転じて殲滅し、戦争に勝利することであろう。

 確かに山本が突如ドクトリンを変更して、突如真珠湾を攻撃したことは間違いである。しかし、本当に対米戦をすることを考えると、真珠湾に太平洋艦隊がいる限り、真珠湾を攻撃して太平洋艦隊の主力艦を漸減しておかなければならない、という発想が生まれるのである。日本海軍の永年のドクトリンが真面目に対米戦を考えていなかった、という所以である。

 ちなみに陸軍は、帝国国防方針に基づき、フィリピン上陸作戦を考慮し、上陸作戦用の大発動艇や強襲揚陸艦の世界的先駆と言うべき、神州丸やあきつ丸を開発した。これらの船は大発動艇などを搭載している本格的なものである。大発は米国が参考にして上陸用舟艇を開発したという先駆的なものである。これらの上陸用艦艇は、支那事変や大東亜戦争でも活用されているから、陸軍には実戦を想定した先見の明がある。

 その一方で、第一次大戦でドイツ潜水艦による通商破壊の絶大な効果を知りながら、補給遮断に潜水艦を活用することもなく、船団護衛の艦隊を編成したのは戦争末期であり、効果を発揮するには遅すぎたし、対潜機材の開発も極めて遅れていた。小生は、海軍の戦備構想が、陸軍に比べ実戦を想定していない、空想的なものであると言わざるを得ない。


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