芸術という言葉は美しい。それゆえに糊口をしのぐだけの仕事に就くよりは、芸術のために一生を過ごしたいと思うのである。だが彼らの言う芸術とは本当にあるのだろうか。
二葉亭四迷は小説「平凡」で「文学の毒にあてられた者は必ず終に自分も文学に染めねば止まぬ。」と書いた。多くの若者は純粋芸術の毒にあてられた。そして人生を棒にふった。何を隠そう私自身も二十歳頃までは純粋芸術論者であった。それを打ち壊してくれたのが、オーブリー・ビアズリー、竹久夢二、そして廃刊となった平凡パンチの表紙をかざった大橋歩さんだった。今ではプロのイラストレーターでも、大橋歩さんの名前を憶えている人は少ないだろう。
彼らは世俗で大衆に好評を博した。しかし正統な美術史には登場し得ないのである。それは彼らが純粋芸術の理念とはほど遠く、世俗のニーズに迎合したからである。私の評価は逆転した。世俗のニーズこそが芸術の力の源泉ではないかと。そして芸大を出て日展の「先生」となる者は何者かと。
さてイラスト風ですが、昔描いたものです。今ではこんな思い切ったタッチのものは描けません。
小平次です
とても興味深く拝読させて頂きました
私は若い頃から小説を書いたりしてるのですが、ある時、頭に物語が描けた瞬間、何故多くの小説家が自死の道を選んだか、突然理解できたような気がした瞬間がありました
詳しくは言葉にもしづらいのですが、いずれブログの方でも触れてみたいと思います。
それは、やはり若い頃ですが、音楽をやっている時にも同じ感覚を得たことがありました。
さらにそれは、芸術とは程遠い俗なある特定の場所で感じることもあるのです。
その感覚を表現できるのは、私は絵は描けませんので、結局は物語を作るか、音を奏でるか、なんて思っています。
ただその研ぎ澄まされたような感覚はもはやほとんど感じることはなくなりましたが(笑)
長々すみません
ありがとうございました
とても興味深く考えさせられました
還暦過ぎの暇なおじさんです
ブログ拝見してます
女性イラスト素敵ですね
若い頃の初々しさの色気を感じます
私も東京暮らしが長かったので大分遊ばして頂きました
30才で係長になり仕事が楽しい時期を凄さしていただきました
当時は高度成長期中でしたので最後の飲み屋さんの面白い時でした
当時はイラストの女性が人気者でしたね
肩までの長さの髪の毛のスタイルの女性が夜の蝶では
高度成長期は飲み歩く機会は多かったのですが、遊びの方はさっぱりダメでした。