戦争は好きですか、と聞かれて正面切って好きですと答える人はいないだろう。だがそれは本当の気持を答えたのだろうか。大河ドラマ「風林火山」は特に人気があったという。人気があるというのは好んで見る人が多いということである。だがこのドラマの時代は戦国時代である。日本中が戦争をしていた時代である。しかも物語りは武田信玄が軍師の山本勘助を使った戦いがメインテーマである。
なるほどこのドラマには毎回戦闘シーンが出るからいやだと見ない人もいるだろう。しかし多数派は好んでみているから視聴率が上がる。もし戦争は嫌だからといって、このドラマから戦闘シーンを抜いたらドラマが成立しない。クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」も同様である。手榴弾によるむごたらしい自決シーンもある。日本軍の絶望的な戦闘シーンがメインテーマである。私のように日本兵が米兵を機関銃でなぎ倒すシーンを見て心の中で快哉を叫んだ人も多いはずである。
日本が勝っているシーンは、たとえ戦争であっても素直に喜ぶのである。それは本当ではないのか。それでも戦争は凄惨だからいやだ、では矛盾しているではないか。いや、矛盾はしていない。今からそれを説明しよう。そもそも、戦争はいやだと言う意見も、戦勝に快哉を叫んでいるのも、戦争の多面性の一部を表しているのに過ぎない。
戦争にはいくつもの側面がある。このことをほとんどの人が理解していない。特に戦争は悲惨だからいやだと一方的に主張している人にこの傾向が強い。戦争の多面性とは何か。戦争にはいくつかの異なった見方ができる。それは
①政治の延長としての行動、②歴史、③叙事詩、④自己の直接体験、⑤軍事技術的側面
実は戦争にはこれだけの多数の面がある。多くの日本人はこのことを理解しないから、世界の常識から取り残される。それを説明しよう。
①政治の延長としての行動
イラクがクエートを電撃的に占拠併合したとき、米国はイラク軍の撤退を要求した。これは外交交渉である。しかしこれを拒否したために、アメリカは撤退期限を設定し、期限が切れても撤退しない場合は開戦すると通告した。イラクはこれを単なるブラフで開戦する気はないと見て無視したために、アメリカはイラクに侵攻して、湾岸戦争が行われた。
この結果米国は、クェートの独立という政治目的を達成した。米国政府が行った、外交交渉も戦争も、クェートの独立回復という政治目的の手段に過ぎない。外交交渉で目的が達成されないから戦争と言う究極の手段にやむを得ず訴えたのである。
政治としての戦争は単に政治家とってばかりではない。他国による侵略に対して個人が憤りを感じて、開戦と言う政治的判断に積極的に賛成するということもある。まさにパレスチナの人たちがイスラエルに絶望的な戦いを続けているのは、指導者の判断だけではできない。こうした国民の多数の支持がなければできない場合が多いのである。
日本人の誤解はこの個人的な判断を過少視するか無視していることにある。独裁国では独裁者の命令により国民がいやいや戦争に駆り立てられることがあるという偏見である。独裁者スターリンですら、ドイツの侵略による祖国滅亡の危機を訴えて多くの国民の支持のもとに第二次大戦を戦った。スターリンは大祖国戦争と命名し、それまで弾圧したロシア正教会にも要請し、信者は命を惜しまず祖国のために戦った。
ヒトラーはベルサイユ条約で奪われた領土を軍事力により回復し、国民は快哉を叫んだ。ドイツの「ヒトラー」という映画を見よ。ドイツ自ら起こした戦争であるにもかかわらず、侵攻する米ソ軍に対しても絶望的な戦いをしながらも、ドイツ軍は最後まで整然と戦い、国民は支持した。北朝鮮の金日成による韓国侵略は独裁者の過誤であるにもかかわらず、北朝鮮人民は祖国統一の戦争に嬉々として参戦した。
繰り返す。独裁者がいやがる戦争に国民を駆り立てるというのは、歴史的になかったか、あるいは例外である。かのインド遠征をしたアレクサンダー大王でさえ、将兵の歓呼により進撃したが、将兵が戦争に疲れて厭戦すると故国に退却しなければならなかった。
②歴史
歴史の一部に戦争も含まれる。戦争を歴史の一環として捉えるのである。戦争抜きに歴史は成立しない。なぜ戦争が起こったのか。政治家や軍人の戦争指導はどうだったのか、軍事技術の運用が適切であったかなどである。これは純粋に歴史を学問として捉える場合と、①の政治に生かすための実用的な側面を持つのは、歴史研究一般の持つ側面と同じである。
③叙事詩
叙事詩すなわち物語である。先の風林火山や硫黄島からの手紙などがこれに属する。抒情詩ではなく、叙事詩は過去に起きた事実に基づくドラマである。ドラマだから、必ずしも歴史的事実としてあったことの羅列ではない。人間の内面的心情などの描写もある。だから事実ではなく、ライターの想像もある。戦争は人間の生命をかけたシリアスなものだから、ドラマとしては緊張感のある素晴らしいものができる可能性がある。
この面を捉えれば戦争は確かに「面白い」のである。もちろん面白おかしいという意味ではない。戦争の緊張感がドラマの素材として適したものである蓋然性は高いのである。
④自己の直接体験
戦争に行った身内が戦死する。あるいは自ら負傷するなどという実際の体験である。無事に戦争から帰ってきたとしても、人を殺したという体験によるトラウマは残るかも知れない。直接体験だけには限定すれば、戦争は悲惨なことだけに過ぎないということになる。私とて戦争により身体が不自由になれば、絶対的反戦を叫ぶのに違いないのである。
①の政治としての戦争などの他の意味を閑却すれば、戦争はただ人を殺し、傷つけるための活動に過ぎないということになる。遊び帰りに高速道路で事故にあった中年夫婦を知っている。夫は即死した。妻は奇跡的に助かったが下半身不随になってしまった。妻は周囲に死にたいと繰り返していた。
この妻にしてみれば自動車などなければ良いと言うに違いない。戦争は悲惨だから絶対反対と叫ぶ人でも、自動車廃止に賛成はしまい。なぜだろう。自動車交通は悲惨な自己体験ばかりではなく、流通や交通の必要な手段という多面性を持つものだからである。自動車をなくせば現代文明は停止するからである。戦争には自己体験を絶対視して他の側面を無視するのに、交通事故だけは自己体験を軽視して、他の側面を重視するのは明らかな矛盾である。
戦争と交通事故を同一視するのはおかしいというなかれ。日本では一時期は毎年一万人前後が交通事故死した。これは一年続いた日清戦争の死者に等しい。交通事故死を減らすことに努力が払われているにもかかわらず、これだけの人は確実に死んだのである。その犠牲の上に自動車の便利さが成り立っていると言えない事もないのである。
戦争にしても、一方的に行われるのではない。湾岸戦争でも軍事的圧力を背景にした外交が成功すれば、戦争しなくても済む。それでも外交的圧力は、戦争も辞さずという姿勢がなければ成功しない。わざわざ戦争するよりは、軍事的圧力だけで、犠牲者なく政治的目的を達成する方が政治としては上策である。戦争においても好んで犠牲者を作り出すのではないのは自動車交通と同じである。
⑤軍事技術的側面
現代の飛行機や宇宙飛行などは軍事技術の産物である。飛行機は戦争の道具として極度に発達した。旅客機も同様である。DC-3という軍事用の輸送機は戦争のために、何万と大量生産された。第二次大戦が終えていらなくなったDC-3は安く大量に民間に払い下げられて旅客機として使われた。その安さが民間の飛行機旅行を可能にした。それで得た資金と需要で航空機メーカーは次々と旅客機を作って今に至っている。
コンピュータの授業を受けると最初に教えられるのは世界初のデジタルコンピュータENEACである。ENEACは大砲の砲弾の弾道計算のために作られた巨大なものである。マイコンのはしりは飛行機の機関銃の照準機に組み込まれた、アナログコンピュータであろう。
このブログに使われるインターネットも、軍事資材の運用管理や戦車など軍用機械のマニュアルの統合運用のためのコンピュータネットワークとして開発されたものである。インターネットとして民間に解放された現在でも、軍事利用の側面は飛躍的に拡大を続けている。戦争がいやならインターネットも使わぬがよかろう。インターネットの民間への普及はコストや運用技術の発展も含めて、戦争の技術の発展を支えている。つまり戦争に協力している。
以上戦争の多面性について述べた。このような説明を私自身聞いたことがない。だが自己体験だけで戦争絶対反対を叫ぶ人には、それでも戦争がなくならないのはなぜか、という肝心なことに故意に目をつぶっているように思われる。
戦争反対という声が日本に満ちて多数派になったのは、戦後のことである。日清戦争、日露戦争、第一次大戦、満洲事変と日本は明治維新以来多くの戦争を戦った。一部に反戦の声があったものの、多数派は戦争賛成であった。それが戦後突然変わった。これは偶然ではない。なぜか。
あけすけに言おう。大東亜戦争の敗戦までは勝った戦争である。人々は勝てるから戦争に賛成したのである。戦争に勝って領土や賠償金を得たから賛成する、負けて犠牲だけで利益がないから反対する。一面にはそんなことなのである。戦争に絶対反対の人は、勝てる戦争なら賛成するのに違いないのである。
ベトナム戦争末期に米国では反戦運動が起こり、とうとう多数派になり政治を動かして戦争は終わった。反戦運動はソ連や北ベトナムの謀略と言う側面もある。第二次大戦ですら米国にも日本の謀略による黒人の反戦運動があった。かたや反戦運動が成功し、かたや失敗したのは何故か。ベトナムでは米国は10年戦っても勝てる見通しがなかったからである。米国民はいつまで経っても戦争に勝てないとわかったから反戦に転じたのである。それだけの話である。何と現金な反戦運動。
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