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産経新聞の平成22年11月23日に曽野綾子氏が書いている。昔の週刊朝日に歌手の加藤登紀子氏がのせた文章である。
日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる。
というのだ。加藤氏は日本に誇りを持てないどころか嫌悪すると書いているのである。ところが加藤氏は知床旅情などの、いわゆる日本情緒のあふれた歌を歌っている。私にはここに不誠実を見る。日本にいて日本の歌を歌い、豊かさを謳歌していながら日本に嫌悪を感じている、と言うのだ。これは本心だとは思われない。何故そんなに日本が嫌なら日本にいて日本の国籍を持って日本人として生きているのか、としか言いたくなるではないか。
加藤氏とは対照的な人物がいる。日本で言論活動で活躍している韓国系の呉善花氏と中国系の石平氏と言う二人である。二人は多年日本で日本人の立場を擁護する言論活動を繰り広げてきた。しまいには自分の出自である韓国や中国の人たちの民族性に疑問を呈するような発言に至ってしまった。これは日本を忌避する加藤氏と同様に祖国を忌避するにいたったのである。だがそこからが加藤氏とは違う。
とうとう彼らは日本に帰化したのである。つまり日本人になったのである。それはそうであろう。まともな理性があるならば、祖国をあれだけ否定して平然とその国の人でいられようはずがない。私は必ずしも両氏と意見が一致するわけではない。しかし彼らは思想家としても人間としても真似が出来ないほど誠実なのである。翻って日本の自虐史観の人たちは、自国を否定する言動を繰り返しながら平然と日本人でいる。不誠実の極みとしか言いようがない。あるいは加藤氏のために弁じれば、週刊朝日での発言は、そのことがあたかもカッコイイようだったと思えての若気の至りでの発言であって、現在はそんな心情は持っていないのだろう。だから日本人として平気で生活しているのだろうと好意的に解釈してあげよう。