私の生家は富士山の麓である。標高が500mあったから、高原に近い気候である。田舎だから旧家で、今から見れば貧しい割には屋敷だけは広いから、庭もやたらに広く築山があった。築山に毎年七月二〇日過ぎに咲く花があった。この花が咲くと梅雨があけて夏になったと思ったものである。今でこそ人並みの身長はあるが、小学校六年の時には身長が130cmもなかったから、その花は私の背丈より遥かに高いのを見上げていた。レモンイエローのダリアのような花である。その後見たのは10数年前の軽井沢だったからやはり高原の花なのである。それが、最近になって引っ越した近所の緑道公園に咲いている。
それが下の写真である。昔職場で趣味で花に詳しい人に名前を調べてもらったら、探しあぐねた末に、オオハンゴン草ではないか、ということだった。流石である。ところがネットで調べると、オオハンゴン草はもっと赤みが強く、この花のように真ん中が黄緑ではなく、茶色でキバナコスモスのようだったので、名前の謎は深まった。
ようやくわかったのは、駅中の花屋で売っていたからである。洋名ルドベキア、和名オオハンゴン草の一種だと言うことだった。しかも真ん中が黄緑なのは洋種のルドベキアでも珍しいそうである。その後都内をママチャリで散策すると、旧中川沿いの花壇と、隅田川のほとりに群生していた。しかし、どちらも一度見たきりで同じ場所を訪れても二度とは見ない。繫殖力が強いので、どんどん殖える。多分それが嫌われて根こそぎ引っこ抜かれたのだろうと思っている。田舎では七月二〇日過ぎに咲くと言ったが、東京で見るものは、1か月以上早く咲くし、背丈も2mはある。気候が違うせいなのだろう。
ルドベキアはオオハンゴン草の洋種である。だから古里になぜ咲いていたのか分からない。しかし古里は当時米軍基地の街だった。一時米軍の将校さん若夫婦に間貸しをしていた。彼らとともに来たのかも知れないと夢想している。ちなみに小生の初の記憶は金髪の(記憶ではそういうことになっている)奥さんに抱っこされて、奥さんの顔を見上げた一瞬の光景である。将校さん夫婦がいた年から逆算すると一歳ころ、ということになる。小生は母に抱かれた記憶がないのである。
緑道公園には今は盛りのアジサイも咲いている。自慢にもならないが、私は花の名前はちっとも憶えない。しかし、ルドベキアの名前はだけは忘れ得ない名前となった。最近は生家に帰ることもなくなったから、近所の緑道公園のルドベキアがアジサイとともに咲くのが懐かしいのである。