毎日のできごとの反省

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小林よしのり氏の勘違い

2015-06-14 16:13:26 | 軍事

 この頃、小林よしのり氏の言動には違和感がある。保守を自負しているのだろうが、女系天皇論を始めとして、不可解なものが増えている。ここでは、 対米テロ以来の新ゴーマニズム宣言について述べる。それはアフガニスタンのタリバンに対する爆撃を原爆や東京大空襲などの日本への無差別爆撃と同一視して非難していることである。

いうまでもなく日本への無差別爆撃は計画的に民間人を殺戮する意図を持ったもので、非戦闘員への攻撃を禁じた国際法に対する明白な違反である。ところがタリバンに対する爆撃は戦闘員に対する攻撃である。武器を持つタリバンは戦闘員とみなされれば、攻撃の対象とするのは合法的である。ただし、武器を隠し持てば、攻撃の対象となるどころか、捕虜ともなり得ず、射殺することも合法である。戦闘員や戦闘施設に対するピンポイント爆撃でも、民間人に対する誤爆は免れないことを問題にするのだ、国際法でも戦闘員に対する攻撃が民間人を巻き込まれてしまうことを条件付きで認めている。

小林氏は真珠湾攻撃を非難しはしないだろう。ところが真珠湾攻撃でも百名を超える米民間人が巻き添えで死亡している。民間人を攻撃する意図を持たず、攻撃の結果が作戦の効果に比べた民間への被害が過大だと見られない攻撃は合法と考えられるのである。

そうでなければ剣を使った戦争はともかく、火器を使用した近代戦争は、民間人の巻き添えを完璧に防止できない以上、全て違法といわざるを得なくなる。

西部氏との対談で「パレスチナ側からすれば、国家でなければ軍隊もないわけだから、戦争はできない」といっているのは明白な国際法の知識の欠如である。現代の国際法では国家に所属しない軍事組織、すなわちゲリラであっても公然たる武器の所持等一定の条件を満たせば、陸戦法規の適用を認めている。このことは西部氏はよく知っているのにあえて指摘しないのである。

確かに「テロを起こす原因がアメリカにある」のは事実である。だからといって民間機をハイジャックして民間ビルに体当たりするというのは卑劣の極致である。乗客は米軍がハイジャック機を攻撃するのをためらわせるために乗せられているのだから。

神風特別攻撃隊は軍艦を攻撃したのであって、民間人を殺傷するつもりは全くなかったのだから、同じ体当たりでも同列ではないのに、小林氏は9.11テロと特攻隊を同一視している。正直言って事実誤認も、ここまで行けば話にならない。議論の対等な相手となりうる基礎知識が欠けているのである。国際法を超える、もっと高等な論理があるならばよいが、小林氏はそれも提示できない。国際法に依拠する以上は、小林氏は勉強不足である。

こう仮定してみよう。極悪人が多数の人質を取って立てこもって、人質を次々と殺している。そこに警察が極悪人の家族や親戚を連れてくる。警察は投降しないとこいつらを殺すぞと脅すが、言うことをきかないので、本当に家族などを一人ずつ殺し始める。9.11の対米テロは、ひいき目に見てもこの警察のやっていることと同じではある。

残念に思うのは小林氏が「つくる会」を離れたことである。人一人ずつの考え方が異なるのは当然である。ともかくも一度共同で教科書をつくることができた以上、自虐的ではない教科書をつくるという範囲では、西尾氏などとの考え方の相違は誤差の範囲であったはずである。

多くの大人はイソップを子供の寓話で言われるまでもない、と思っているが、結局人は自分の立場になると「キリギリス」になったり「裸の王様」になる。人は知識として知りつつも、現実問題に直面すると、イソップの寓話を超えられないのである。

小林氏は薩長同盟での坂本龍馬の功績を認めるのであろう。だがそれは単にそういう知識を小林氏が持っていて、龍馬の功績を認めていたのに過ぎず、同じような立場にあっても、類似の行為を小林氏にはできないだろうと疑う。

龍馬の功績は、血で血を洗う争いをしていた薩長を、倒幕して近代日本をつくるという大義のために、小異を我慢させて団結させたということにある。日本の将来のために、小異を我慢して西尾氏らと再度団結できないのである。「教科書そのものも西尾幹二から頼まれたから仕方なく執筆した」というのでは実に情けない。信念で執筆したのではないことを自ら白状したのである。

最近まで、私は西尾氏と小林氏には根本的な考え方の相違はないと思っていた。だが最近の小林氏の言論を聞くと、間違っていたのかも知れない。西部氏が保守を自負していても、かつて染まっていた左翼思想に、思想の基層が抜け切れていなかったように、小林氏も思想の基層に左翼思想があるのではないか、という気がする。ただし、西部氏には小林氏と異なり、論理の一貫性がある。中年の域に達した小林氏が、漫画に描く自画像は、常にハンサムな若者であるように、小林氏は単に「イイカッコ」したいだけなのではないか。


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