日露戦争でロシア海軍は消耗を続け、日本海海戦でとどめを刺されて全滅し、その後の努力にもかかわらず再建されていない。主力艦を含めた艦隊をほとんど失って、再建できていないうちに、海軍、特に日米の主力艦が空母になってしまったために、時代の変化に追いつくことができなくなってしまったからである。
第二次大戦時に保有していた戦艦、はロシア帝国時代に海軍再建を目指して建造された、ガングート級4隻と英国から貸与されたアルハンゲリスク一隻と言う、帝政ロシア時代とは比べようもない有様だった。最新鋭戦艦として名前だけ有名になった、ソビエツキー・ソユーズは独ソ戦により建造が中止されて、再開されることはなかった。
その結果、戦後は海軍が対艦ミサイルを武器とする、日本の陸攻のような機種が、米海軍に対抗する海軍の主戦力となってしまい、まともな海軍の艦艇の編成ができなくなってしまった。確かにゴルシコフ元帥らの努力によって、大型艦艇による外洋艦隊や潜水艦の充実に努めた。
ところが、建造したのは、キエフ級「空母」である。正確には航空巡洋艦と言うのだが、大型の船体にYakのVTOL機やミサイル、艦砲など、あらゆる艦載兵器を満載した中途半端なものとなった。いつ本格的な空母を建造するのかと注目されたが、結局作られたのは、キエフ級を大型化したばかりではなく、スホーイのCTOL戦闘機を搭載した一見まともなクズネツオフ級空母である。
とはいってもカタパルトが開発できず、英国流のスキージャンプ台を使った。本来スキージャンプ台は、ハリアーのような垂直離着陸機の離陸時の搭載量を増やして短距離離陸できるようにしたものであって、カタパルトほどの能力はない。ハリアーは戦闘を終えて身軽になると垂直着陸できるのである。
だから垂直離着陸能力のないスホーイの艦上戦闘機の搭載量は、飛行場を使用する場合に比べ、かなり制限される。そもそも陸上機を艦上機に流用して成功した例がほとんどないのは、英海軍の失敗を見ればわかる。予算の制約から、またまた対艦ミサイルまで積んで、航空巡洋艦と呼ばれることとなった。秋月型防空駆逐艦が、不徹底にも魚雷まで搭載させられたことに似ている。結局ソ連はまともな空母を作れずじまいだった。
中国が、クズネツオフ級一隻を用途を誤魔化して買い、結局は空母遼寧に仕立てた。とはいっても、機関の不良からカタログ値の30ktより遥かに遅い、と言われているから、実戦には使えない。練習用か脅し用くらいにしか使えまい。遼寧の経験をベースにして、本格的な空母を建造中である、と言われるが、いつ完成して、いつ就役することやら。
潜水艦にしても、タイフーン級などという第二次大戦中の戦艦に近い巨大な排水量のものを建造するなど、ポリシーが不明である。要するに大きな軍艦を数を揃えて、大海軍に見せようとしたとしか思われない。
多量の対艦ミサイルによる、米空母への飽和攻撃は、イージス艦という新艦種による阻止手段を発明され、潜水艦の充実は日本のP-3Cの大量配備によってブロックされた。結局ゴルシコフの夢だった大海軍は、金食い虫となってソ連の崩壊を早めた一因となったのであろう。ゴルシコフがソ連崩壊を見ずに亡くなったのは、せめてもの幸せだったのかも知れない。
実にソ連を大海軍国にさせなかったのは日本であって、米国を大海軍国にしたのは日本であったのかも知れない。現代の米海軍の主力艦である、空母の艦上機の尾翼に旭日旗が描かれたものを見ることができるのは、米海軍が日本海軍と正面から戦って勝利したことの、誇りの象徴なのであろう。敗れはしたものの、日本海軍はよく闘ったのである。