イラストレーターの名前は知らずとも、この画に見覚えのある人は多いだろう。台湾人のイラストレーター、Pinfan & Chen Shu-fenの二人の作品である。日本では似た画風で「おおた慶文」がいる。ほとんどが若い女性をテーマとしている。
だが彼らの存在は異様である。最初は雑誌などの挿絵で頭角を現した。そしていつしかカリスマ・イラストレーターとなった。本来イラストレーターは挿絵という言葉が示すように、本来は文章なり何か主たるものがあって、それに添えられるものである。つまり付録である。
しかしカリスマとなった以上、付録では済まない。現在書店のイラストレーションのコーナーに行くと、彼らのイラスト集が並んでいる。しかしイラストである以上、イラストを並べるだけでは済まない。
彼らの画集には詩とおぼしきものが添えられている。イラストが本来小説などの場面を視覚化したものであるのに対して、このイラスト集では、詩がイラストを説明している。本末が転倒したのである。このようにするしかカリスマの面子を立てる方法はない。
私がこのイラストを見たのは、新宿のビルの地下で行われた個展であった。それはこのイラストを使った恋愛天使という、小説の出版発表会を兼ねたものであった。
中谷彰宏という格別有名ではないが、そこそこ売れているという恋愛小説化とのコンビネーションは絶妙な選択である。小説家が超有名であれば、イラストレーターは付録だから食われてしまう。しかし三文小説家ならばカリスマの相手にふさわしくない、というわけである。
次はこの画である。Chen Shu-fenが一人で描いたものである。一人で描いても同じなのが分かるだろう。二人の画風は酷似しているのである。そして二人は夫婦である。苗字が異なるのは支那文明圏の特徴である。
蒋介石の妻が宋美麗であるようなものである。彼らは今カリスマの頂点にある。作風も完成していると言える。しかも若い。しかし芸術の作風は進化を求めてやまない。進化をとめた芸術は堕落して大衆から見捨てられる。
現在のような商業社会では芸術は大衆が支える。大衆から見捨てられた芸術家は去らなければならない。彼らは発展と衰亡の岐路に立っている。しかもイラストはあくまでもイラストである。
彼らはカリスマとして、イラストを中心とした存在を求めている。しかしイラストは音楽のように単独では存在できない。そこで考えたのが中谷とのコンビネーションである。
それはとりあえず成功したのであろう。しかしそれは継続的に行える手法ではない。彼らはいかにして自分たちのイラストが社会に存在する場所があるか模索している。彼らは作風と存在意義という二重の苦難を背負っている。
彼らは幸福の絶頂にある。だが頂はするどいかみそりの刃のようなものである。安心して立っていられる所ではない。まともな感性を持っているなら彼らはそれを知っている。彼らは同時に不安におののいている。
このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。
こ