最近の日本の左翼の活動家は「慰安婦」のことを性奴隷と呼んでいる。性奴隷すなわちsex slaveと言う言葉を発明したのはWiLL2017・8号によれば、日本人だという。すなわち1992年に国連人権委員会で慰安婦問題を提起した戸塚悦朗弁護士で、本人が「それまで国連に相手にされなかったのに『性奴隷』という言葉を使ったら急に取り上げてくれるようになった。性奴隷と言う言葉は僕が作った」と誇らしげに語った、というのである。
彼は国連が急に取り上げた理由を分かっているのだろうか。西洋人ないし、西洋系の教養を持つ人たちには、奴隷とは究極の人権無視だからである。古代ローマなど現代西洋とつながりのない、過去の歴史では身分は奴隷と言っても、かなりの自由を享受でき幹部軍人などにもなった、といわれている。
だが現代の西洋人の考える奴隷とは、そのようなものではない。動物以下の扱いで主人に生死すら自由気ままにされる、全くの劣悪な身分である。性奴隷と言えば売春婦ですらなく、報酬もなく、単に性行為に利用するために最低限生かされている生き物、と西洋人は考えていると思うべきである。
戸塚弁護士は慰安婦とは、戦地で使われる売春婦であると知っていながら、もののたとえとして、「性奴隷」と言う言葉を使いだしたのであろう。しかし、西洋人の受け取り方は全く違うのである。日本人のおもてなし、など日本人のやさしさを強調することが今の日本では流行している。しかし、西洋人は日本人が、さほど昔ではない第二次大戦中まで性奴隷を使っていたと認識すれば、やさしい日本人とは仮面に過ぎないのではないかと、疑うであろう。
米国人は、リンカーンが奴隷解放をしたことを誇る教育を施されている。かつては奴隷を使っていたのに、解放したのを自慢するのは変だと思うのはお人よしの日本人である。今の米国人は、奴隷が絶対悪だと教育されているから、奴隷解放が、たとえ南北戦争の方便であろうと、自慢するのである。その米国人が性奴隷、と聞いたらいかなる思いをするかは、想像の埒内である。現にアメリカには黒人の性奴隷はいたから、性奴隷とはいかに、非人間的かをしっている。そして現代アメリカ人には、その記憶が残っているのである。
AV女優の悲惨な境遇を書いた新書本のカバーに「まさに性奴隷」と書かれたものを見た。確かにAV女優は悲惨な境遇のケースもあるのであろう。しかしそれでも性奴隷とは、もののたとえとしか言いようがない。アメリカ人の考える性奴隷は、そのような生易しいものではないのである。