毎日のできごとの反省

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なぜ戦後七〇年談話か

2015-04-05 16:02:23 | 政治

 平成27年3月30日の産経新聞で、櫻田淳氏が、「安倍談話」に重き置き過ぎるな、という論説を正論に書いた。曰く、安倍談話の有識者会議のメンバーを見る限り、常識的なものになるだろう、と言うのだが、西洋植民地主義と同じことをした、と櫻田氏自身が言うのだから、メンバーの北岡紳一氏が日本は侵略した、と言って欲しい、と早々に語ったのも、櫻田氏には常識的な範囲なのであろうから、私には理解しかねるのである。

 また、旧植民地との和解と友誼だとか言うのだが、果たして日本を取り巻く状況や外交が、そのようなもので動いていると考えておられるのだろうか。建前としての友誼はいいのだろうが、西欧諸国は過去の植民地地域に和解など求めてはいない。今の目で見れば犯罪的な植民地支配についても、知らぬ顔である。それを今になって、まだ日本だけが侵略の植民地支配、のということを世界中に発表しようと言うのである。

根本的なことを言おう。戦後70年も経って首相が談話を出すことについて、櫻田氏は不思議に思わないのだろうか。敗戦国であるが故に、一国の政治の最高責任者がこんなにも後になって談話を出す、というのは日本以外、古今東西前例がない。

ドイツの例を持ち出す人は、ヴァイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」のことを前例だというだろう。別稿でも述べたが、小生はこれを岩波のリーフレットで読んだ。大雑把に読むと、反省の文言があるように錯覚する。しかし、子細にチェックしてみた。ところがいくら読んでも、ドイツによる侵略の「謝罪」など一言も述べていないのである。単に「心に刻む」というフレーズが何度も繰り返されているだけである。従って「荒れ野の40年」は侵略の謝罪の前例ではない。

唯一の前例が戦後60年の「村山談話」なるものである。当時の村山首相が外交に影響を与えるなどについて、政治的考慮もせずに、自己満足から、戦後60年談話なるものを出してしまった。これとて前例もない思いつきに過ぎない。中身は日本が過去に侵略したとして、明瞭な謝罪をしてしまって、外交にその後ずっと利用されて続けてきた。

安倍首相の考えを忖度するに、村山談話により日本が不利な立場にあるので、新談話を出して、村山談話の影響を断ち切りたい、ということであろう。そうでなければ戦後70年も経って、わざわざ「戦後談話」なるものを再び出す理由はないからである。未来志向の文言を入れたところで、村山談話の「侵略の謝罪」が残っているのなら新談話を出す意味はない。そこに前述の北岡発言である。今のところ、安倍総理の信念を信じるしかない。

何年位前だったか記憶が定かではないが、櫻田淳氏が保守系の論客として言論界に登場した時、氏の意外な着眼点に新鮮さを感じ、今後を期待したものであった。しかし、最近の氏の主張を読むと、結局は江藤淳氏の言う「閉ざされた言語空間」の中で呻吟しているように思われる。



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1 コメント

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恥ずかしくない? (ただの通りすがり)
2015-07-22 09:00:10
戦後60年談話は、小泉さんが出してるんだが。
知ったかぶりして間違ってるのって、かなり恥ずかしくない?
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