<主にあって喜び歌え>

2017年01月23日 | 神さまの言葉

今日のみことば
  <主はご自分の民を喜ばれる>

「ハレルヤ。主にあって新しい歌をうたえ。
聖徒の集まりで主への賛美を。
イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。
シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。
踊りをもって、御名を賛美せよ。
タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。
主は、ご自分の民を愛し、
救いをもって貧しい者を飾られる。
聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。
おのれの床の上で、高らかに歌え。」
   詩篇149:1-5

        

古い聖餐式の杯

2017年01月23日 | 神さまの言葉

     「古いものは過ぎ去って、
       見よ、すべてが新しくなりました。」
         (Ⅱコリント書5:17)


 <古い聖餐式の杯>
  「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
   古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」 (Ⅱコリント書5:17)
 
 以前私は古物商の店に行ったことがあります。
そこには色々な種類の使い古しの物がいっぱいありました。
それは貧しい人のための店で、そこで人々はコーヒー茶碗とか使い古した肘掛け椅子を
ただで貰うことが出来ました。
その人たちは生活を保つ計画もなく生き、外部の忙しい生活とは無縁のように思えました。
 
 店の中の一つの棚のそばを歩いていた時、私は古い、曇って汚れた聖餐式の杯が目に止まりました。
私はそれを買って、磨き上げようと決めたのです。
私はポケットにある2-3枚の硬貨でそれを買いました。その値段は市バスの切符より安かったのです。
 その盃を磨き始めると、輝く銀が見えてきました。少し経つと私の前に、
聖餐式で使うことの出来る美しい聖餐式の杯が現れました。それは金銭的な価値があるだけでなく、   イエスが、私の罪のために十字架上で血を流されたことの象徴でもありました。
 
 私は、ひょっとしたら私が納める税金を除いては、今の社会にあまり価値はないのかも知れません。私はぼろのように汚れていましたが、イエスによって清められたのです。
 私がこの世の上流クラスに属していなくても、そして貧しい人のための店を訪れる者であっても、  私は神の目には尊いのです。
 私たちの旅路で身についた汚れは、神に対する私たちの価値を下げるものではないのです。               (アパルーム 2011:1月)