私の愛機は8cmMARK-X

コロナによる引き籠りを機にスタートしたブログです。古い手持ち機材も含め、超アマチュア的に天体写真撮影を楽しんでいます。

小笠原父島の思い出

2022年09月29日 | ノスタルジックなよもやま話
今年になって本当にクリアな空にお目にかかれずにいる。自宅から例年であれば見える青黒い夏の富士山も全くと言ってよい程拝めなかった。
そんなわけでまたまた昔の思い出話をひとつ。

大学生の頃、父島に3週間ほど滞在したことがある。
都内の空を離れ、本当に綺麗な星空というものを一度見てみたいという欲求からだった。
当時は登山サークルに所属していて北アルプスの山々から夜空を堪能できるには出来たが、天体望遠鏡は持っていけず、究極の夜空しかも特に南天を望遠鏡でじっくり見たいという思いに駆られていた。
夏休みにアルバイトでお金を貯め、沖縄か小笠原を考えていたが、旅好きの友人が小笠原の方が海が圧倒的にきれいだったという言葉に従った。

そのお供がまだ購入間もない8cmMARK-Xとビクセンの7×50双眼鏡だった。
山手線経由で背負子に括り付けた鏡筒格納箱を遠慮がちに運び浜松町、竹芝桟橋まで運んだ。

小笠原丸に乗船して30時間、ようやく到着した父島は、透き通った海と真っ青な空に囲まれ、それらを背景に深紅のハイビスカスがまぶしかった。

今でも地元民の人達の意思により空路が開けておらず、大自然を島外からの浸入破壊から守っている。ただそのため釣り人やダイバー以外の十分な観光客数は見込めず、沖縄の洗練されたホテル群に比べ、当時は小笠原ホテル以外はすべて民宿だった。

昼間はシュノケーリングでめずらしい熱帯魚観賞をし、夜は疲れた体をものともせずに三日月山まで登り星空を堪能するという日々を繰り返した。
母島や鮫島にも立ち寄り大自然を堪能し尽くせたと思っている。

そんな小笠原の夜空はというと、”素晴らしい”の一言だった。南天の濃い天の川が水平線近くまで見える日も数晩あった。山頂周辺は星明かりに照らされているものの本当に暗く、アイピース交換にも苦労したほどであった。アイピースを覗き込んではさらに背景は暗く沈み込み、どこまでが視野かの区別がつかなかった。

特に印象に残っているのは、写真イメージにそっくりなM17(散光星雲が濃いきれいな白鳥の形に見えた)、大きなM22、低倍率で見たM57(視野いっぱいに多くの星々の中で小さくぽっかり浮かぶ)、双眼鏡で見るM31(随分と大きい)、二重星団等であった。

その空はあまりにも素晴らしく、社会人になってゴールデンウィークに再訪した。その時は正味1週間程の滞在だったがやはり同じ機材でM104や高く昇る大きなオメガ星団が印象に残っている。

その後訪れた沖縄石垣島やハワイ島のマウナケア中腹(当時スバル建造中)、タイのプーケットなどの島々の夜空と比べても、小笠原から見た星空は周辺環境の暗さを考えると一番ではないかと思っている。

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