高岡市美術館で開催されている「夢のアール・ヌーヴォー アルフォンス・ミュシャ展」に行ってきた。
富山県立美術館のも良かったが、こちらは、さらに展示数も増えて見どころ満載。
写真撮影もOK、SNSもOKで、こういう機会は、なかなか無いよね~。
アルフォンス・ミュシャは27歳でパリに渡り、絵画を学びますが、2年で留学の援助を打ち切られてしまいます。
生活の困窮したミュシャは雑誌の表紙や、本の挿絵などを描いて生計を立てていました。
パリで挿絵画家として活動していたクリスマスの休暇中、たまたま印刷所にいたミュシャにポスター制作の仕事が舞い込みました。
1894年「ジスモンダ」の舞台に主演するサラベルナールのために、最初のポスターを制作。
ポスターのデザインが気に入ったサラベルナールは、その後6年間の契約を結ぶ。
パリの街にポスターが貼り出されると、ミュシャのポスターは、たちまち大評判に。
それからはポスター、雑誌の表紙、書籍の挿絵、レストランのメニュー表や株券、社債に至るまで、デザインの仕事が来るようになり、こうして無名の挿絵画家は一夜にして有名デザイナーとなったのです。
この「ジスモンダ」にまつわるエピソードは「シンデレラストーリー」として有名ですが、今回の展示資料の中には、ミュシャが「たまたま仕事を受けたわけではなさそうな」資料も残されているようです。
何としても絵画の世界で成功したかったミュシャが、仕事を受ける前から作品の構想を練り、印刷所に通い、仕事をつかむチャンスをうかがっていた、ということなのではないか、と推測されています。
きっかけはどうあれ、チャンスをものにして一躍、時代の寵児にまで上り詰めたのですから、すごいものです。
絵も素敵で素晴らしいけど、作者の心意気も、また素晴らしいわね。
富山県立美術館のも良かったが、こちらは、さらに展示数も増えて見どころ満載。
写真撮影もOK、SNSもOKで、こういう機会は、なかなか無いよね~。
アルフォンス・ミュシャは27歳でパリに渡り、絵画を学びますが、2年で留学の援助を打ち切られてしまいます。
生活の困窮したミュシャは雑誌の表紙や、本の挿絵などを描いて生計を立てていました。
パリで挿絵画家として活動していたクリスマスの休暇中、たまたま印刷所にいたミュシャにポスター制作の仕事が舞い込みました。
1894年「ジスモンダ」の舞台に主演するサラベルナールのために、最初のポスターを制作。
ポスターのデザインが気に入ったサラベルナールは、その後6年間の契約を結ぶ。
パリの街にポスターが貼り出されると、ミュシャのポスターは、たちまち大評判に。
それからはポスター、雑誌の表紙、書籍の挿絵、レストランのメニュー表や株券、社債に至るまで、デザインの仕事が来るようになり、こうして無名の挿絵画家は一夜にして有名デザイナーとなったのです。
この「ジスモンダ」にまつわるエピソードは「シンデレラストーリー」として有名ですが、今回の展示資料の中には、ミュシャが「たまたま仕事を受けたわけではなさそうな」資料も残されているようです。
何としても絵画の世界で成功したかったミュシャが、仕事を受ける前から作品の構想を練り、印刷所に通い、仕事をつかむチャンスをうかがっていた、ということなのではないか、と推測されています。
きっかけはどうあれ、チャンスをものにして一躍、時代の寵児にまで上り詰めたのですから、すごいものです。
絵も素敵で素晴らしいけど、作者の心意気も、また素晴らしいわね。