花のある生活

花はあまり出てきませんが。

「ヤマザキマリの世界」展

2024-10-19 | 美術館・博物館
南砺市福光美術館で開催されている「ヤマザキマリの世界」展に行ってきた。

 

福光ゆかりの板画家、棟方志功のファンであるヤマザキマリが、南砺市で開催している「棟方まつり」に合わせて福光美術館で開催することにしたのだそう。

常設展で「棟方志功」「石崎光瑶」を展示中。




ヤマザキマリが「展覧会に寄せて」に載せた文章の中で、
「絵画の勉強のためにフィレンツェに移り住んで40年が経つ。 予測通り、自分が専攻した15世紀北方ルネサンス様式の肖像画の需要は全く無く、 11年間の悪戦苦闘の末、生きていく手段として漫画を描くようになったのは私が28歳の頃だった。 理想や夢を抱くことの残酷さを痛感していた私は、とにかく子供を育てるために粛々と漫画を描き続けてきた。 私から創作や表現に対する奢った考えを一切合切払拭した画家への道の挫折は、今振り返ればかけがえのない大切な経験だったと思う。 

 ~~中略~~ 自分にとって一番大事なのは創作に打ち込むときの集中力とエネルギーであり、その後にかたちとして現れる結果に対して、実はそれほどのこだわりを持ったことがなかった。 ~~中略~~ 漫画がヒットした時も、それに付随する問題で家族を巻き込んで大騒ぎとなり、喜びを噛み締めたり、充足感に浸ったりしたことがなかった。 だから、私だけではなく、そんな私の生き方を知る周りの友人や家族にとっても、今回の展覧会の実現はなかなか信じがたいことだったはずだ。 ~~~ 」


「テルマエ・ロマエ」の作者で、テレビでも多くの番組に出演しているヤマザキマリが「理想と現実」の間で、もがき続けて「生きていく手段」として漫画家になった、というのは驚いた。

一般的には「生きていく手段」として「漫画家への道」を選ぶ人は、そうそういないだろうというところからしても、絵を描くための「技能的な才能」はもちろんのこと、漫画を描くという「手間のかかる作業が苦にならない」というのも、一種の才能なのだろう。

代表作の「テルマエ・ロマエ」誕生のきっかけは、学生時代に留学先でお風呂に浸かれなかった経験から「ストレスが高じて癒されたい気持ちを漫画にした」のだそうだ。






 

「テルマエ・ロマエ」の手描き原稿や漫画原稿の制作過程、ヤマザキマリの出版本が並べられたコーナー、立川志の輔や山下達郎の肖像画の展示、幼少期からの絵日記や手描き絵本なども展示されています。

ヤマザキマリのインタビュー映像が流されていて「エンターテイメントは栄養」という話が印象的だった。






美術館からの帰りにチューリップ公園に立ち寄って、途中で買った「おにぎり弁当」食べてきた。

展望台に上ったら、コキアの紅葉が見事だった。

芸術の秋を満喫出来てよかった。




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