花のある生活

花はあまり出てきませんが。

武内宿禰の墓

2019-08-14 | モーゼの墓伝説



高岡市の二上山頂上にある「武内宿禰の墓」。




二上山の山頂への登り口には、大伴家持像が建立されていて、頂上の「武内宿禰の墓」のそばには、何か別の石碑も建てられている。


富山県は「竹内文書」にまつわる名所、たくさんあるし、謎は尽きないわね。


天神人祖一神宮

2019-06-13 | モーゼの墓伝説
竹内文書ゆかりの神社が、滑川市上小泉にあるので行ってみた。

天神人祖一神宮という神社で、岐阜県にもあるらしい。







入り口近くに、お地蔵さんの祠があったり、絵馬がかかっていたりして、それなりには人の出入りはある模様。

竹内巨麿の四男が、高畠家に養子に行き、天神人祖一神宮の管長になったとされる。

もともとは、皇祖皇太神宮が、天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや)と称していたが、皇祖皇太神宮(すみおらすみらおおたましいたまや)に改名されたのらしい。


文献や宝物などは、戦時下でほとんど焼失しているらしいし、ウィキペディアでも書かれているが、後になればなるほど、竹内文書の中身が増えていくそうで、内容にも相当尾ひれが付いているのではないかとも思われるが。

竹内文書の謎が解明される日は来るのか?





御皇城山 皇祖皇太神宮

2017-06-07 | モーゼの墓伝説
「竹内文書」の中で、世界の一大拠点になっている「御皇城山(おみじんやま) 皇祖皇太神宮」

現在でも、この場所は存在しているので、謎に満ちた探検へ。

これは、去年の夏に行ったものだけど。




前から、この道通るたびに、この看板が気になっていたのよね~。

まさか、こんな壮大な物語につながっているとは、予想もしなかったわ。




山の方に向かってくると、途中で道が行き止まりになります。

付近に駐車場は無いので、車で来る人は注意。




一応、道はついていますが、山道なので、サンダルとかは、やめた方が賢明でしょう。

夏は、虫飛んでるし。








現在は、祠が残されているのみ。

一般の神社とは、お参りの仕方が違うらしい。


あと、呉羽山は飛行場だとか、立山の尖山(とがりやま とんがりやま)は、日本のピラミッドだとか…。

尖山は、UFOの目撃が多いことでも知られているが。


モーゼも、旧約聖書の申命記では、カナンの地に着く前に120歳で死んでいることになっているし…。

古事記や、日本書紀の神様の話とも違うし…。


う~ん、「事実は小説よりも奇なり」とでもいうのだろうか。



「信じるか、信じないかは、あなた次第です」(って都市伝説か)


皇祖皇太神宮




知られざる日本の歴史!? 竹内文書

2017-06-06 | モーゼの墓伝説
続きは、モーゼ伝説のもとになっている「竹内文書」

この「竹内文書」とは、武烈天皇に命じられ、神代文字と呼ばれる奇妙な文字で書かれた文書を竹内宿禰(たけうちすくね)の孫、平群真鳥(へぐのまとり)が漢字とカナ混じりに書き起こして、富山の御皇城山(おみじんやま)の皇祖皇太神宮で守らせた写本群と、文字の書かれた石や骨、刀剣などの「御神宝(ごじんぽう)」の総称


その平群真鳥の子孫が、富山の婦負郡神明村の竹内家であり、そこに養子に入ったのが、竹内巨麿(たけうちきよまろ)である。

1829年(明治26年) 祖父から譲り受けた文献・宝物を携え上京、御嶽教へ入信。

鞍馬山と、さらに奥にある大非山で千日にわたる修行の後、神代文字を解読。


1919年(明治43年) 茨城県磯原に移り、祖父から譲り受けた文献・宝物を「経典」として皇祖皇太神宮を復興し、天津教を開教、世間に「竹内文書」を公開する。

1936年(昭和11年) 「天津教弾圧事件」が起こり、竹内巨麿は不敬罪で逮捕され、起訴。 文献・宝物も没収される。

1944年(昭和19年) 8年に及ぶ裁判の末、勝訴、無罪。 しかし、文献・宝物は返却されず。

1945年(昭和20年) 東京大空襲により、原本のほとんどを焼失。

それからは現在に至るまで皇祖皇太神宮で祀られている。


皇祖皇太宮の竹内巨麿とは、別の系統の「竹内文書」も存在するらしい。

「正統竹内文書」と呼ばれている。

南朝後醍醐天皇の直系で「武内宿禰(たけうちすくね)」を継承する、南朝小倉宮竹内家

こちらの竹内家では、「竹内宿禰の墓」があるとされる富山県高岡の二上山を祭祀拠点にしていて、全国の二上山でも祭祀を行う。


う~ん、どちらの「竹内家」も富山ゆかりなのね~。


「竹内文書」では日本書紀、古事記よりもさらに古い、神代の時代のことが書かれているとされている

天神七代・上古(皇統)二十五代・不合朝(ふきあえず)七十三代までが、日本の天皇(スメラミコト)が世界を統治しており、神倭朝(かんやまとちょう)からは日本だけの天皇として、神武天皇から現代の天皇に続いているのだという。


天神一代  宇宙に存在する巨大なエネルギー。 宇宙を創った神が現れる。

天神二代  エネルギーに陰と陽が生まれ、物質が誕生。 

天神三代  星が形になり、大気が生まれ、地球が出来上がる。

天神四代  夫婦神が生まれ、地球に生命が誕生。

天神五代  スメラミコトが初めて地球に降り立ち、岐阜の舟山あたりに降りたとされる。 富山五箇山の天柱石から、天と地を行き来していた。

天神六代  地球の公転から、1年の長さを360日と定めた。

天神七代  農業の神・医学の神・工学の神などの、あらゆる専門家の神が地球を人類が住める完璧な環境に作り上げた。


岐阜の位山に天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや)の大宮を建設、世界統治の拠点とした。   


上古時代には、スメラミコトは天空浮舟と呼ばれる1日に1万5000キロ以上飛ぶ、船の形をした飛行機のような乗り物に乗り、主に国々の視察や、王の任命を目的として万国巡幸の旅に出た。

スメラミコトは、世界を16に分け、15人の王子と1人の王女を主要な地域に派遣し守らせた。

世界中の遺跡に点在する「十六菊花紋」の文様が、その名残だという。


天神時代に発達した原生人類にスメラミコトの遺伝子を注入し、青・赤・白・黄・黒の五色に分けた人類を五色人と呼び、世界に散りばめた。

オリンピックの5色は超古代人の祭典を伝えるものだという。


上古十代には天神人祖一神宮を富山の御皇城山に移し、皇祖皇大神宮と改めさせた

鳥居や神殿は永久にさびないとされる、幻の金属ヒヒイロカネで建てられたとされる。

世界の五色人が大勢参拝に詣で、年に一度の大祭は盛大に執り行われた。


この時代、神代文字と呼ばれる文字のようなものが生まれ、その形と音に神のエネルギーが宿る、といわれ、スメラミコトは平和と幸福を祈り、天地和合のお守りを作り人々に分け与えた。

スメラミコトの祈りもむなしく、人々の心が荒廃してくるようになると、神の怒りが天変地異という形で現れた。

そのたび、五色人は、ほぼ全滅し、スメラミコトの一族は他の星へと避難した。

そして時を経て地上に戻り、新しい文明を築く、ということを繰り返した。


宇宙の神との交信が終わり、神から直接の神勅を賜ることが出来なくなった。

以後、神託を統治の指針とするようになる。


不合朝の時代には、モーゼや釈迦、キリストなど、世界の聖人たちが、スメラミコトに会うために日本を訪れたという

日本は地震で壊滅状態となり、国力も弱まり、スメラミコトの力も及ばなくなっていた。


不合朝末期、スメラミコトの世界統治に終わりを告げ、世界はスメラミコトを忘れ始めていた。

世界の聖人たちは、それを憂い、スメラミコトに学んだ宇宙の真理を人々に伝えることを使命とした。


最後には一つだった世界はバラバラに、それぞれの自己主張をするようになり、スメラミコトは日本だけの天皇となった。

神代の時代に終わりをつげ、超古代文明の記憶は、歴史の闇に埋もれることとなった…。


不合朝の73代は、神武天皇で、神倭朝の1代でもあるわけですね。


「竹内文書」が、ここまでスケールの大きい壮大な物語だとは…。



竹内文書 ウィキペディア

謎の「竹内文献」

南朝と竹内文書



日本にモーゼの墓がある!? 伝説の森 モーゼパーク

2017-06-03 | モーゼの墓伝説
旧約聖書から、前13世紀頃エジプトで奴隷状態にあったユダヤ民族の一族を率いて、海を割りエジプトを脱出した「モーゼの十戒(じっかい)」でもよく知られている指導者モーゼ。

このモーゼの墓が、石川県羽咋郡(はくいぐん)宝達志水町(ほうだつしみずちょう)の三ツ子塚古墳群にあるのだそうです。

ここで疑問なのが、なぜ「モーゼの墓」が日本にあるのか?ですが、これは後で書きますので、しばしお待ちを。


その「モーゼの墓」がある、三ツ子塚古墳群の周辺が「伝説の森 モーゼパーク」と名付けられた広大な公園になっているので、ロマンあふれる探検に出かけてみた。




モーゼパークの入り口。

この公園、バスの駐車場も整備されている。






ポケットガーデン。

モーゼをイメージしたような、ちょっとした広場が設けられている。

「モーゼの墓」は、三つ並んだ塚のうちの真ん中、2号墳なのらしい。




広場を抜けると、記帳所が。

結構、大勢の人が来ているわね~。

モーゼが、ここ宝達志水に来た由来が書かれている。


モーゼは、一族たちを率いて、約40年もの間、荒野をさまよい、ようやく「約束の地カナン」に到着した。

それから、モーゼはシナイ山に登り、「天浮舟(あまのうきふね)」に乗って、能登宝達山に、たどり着いたのだという。

モーゼは、「十戒」を刻んだメノウ石を、当時の日本の天皇に献上


それに大変感激した天皇は、第一皇女の大室姫(おおむろひめ)を妻として、モーゼに嫁がせた。

やがて、モーゼは大室姫とともに、新たな使命を帯びて離日した。


そして、大業を遂げた2人は、再び、この地に戻り永眠。

モーゼは、583歳まで生きた、とされています。


この墓は、三ツ子塚と呼ばれ、中央の大きな塚にモーゼが葬られ、右側の塚には大室姫左側の塚には孫が葬られているとされている。


・・・ここに置かれているモーゼパークのしおりには、モーゼは「天の浮舟」に乗り、能登宝達山にたどり着いたのち、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごした、と書かれているが…。

つじつま合うんだか、合わないんだか…。

そもそも、伝説なんだから、そんな細かいこと気にしなくてもいいか。




矢印に沿って、ずんずん歩く。

新緑の葉がキレイだわ~。




さらに、矢印に沿って、ずんずん歩く。

道も、そこそこ整備されているので、歩きやすい。


とはいっても、やはり山なので、それなりの格好と靴で来た方がよろしいかと思いますが。




ミステリーヤード。

ここでも、モーゼがこの宝達志水に来た由来が日本語と英語で書かれている。

この伝説は、「竹内文書」と呼ばれる古文書が原典なのらしい。


ここから少し上ると、ついに「モーゼの墓」が。


 

ここが「モーゼの墓」。

下の案内板からすると、かなりシンプルな作り…。

墓標の下には、シーサーと絵が飾られています。


モーゼの墓の塚の横に小高い山があり、これが大室姫の塚かな?

こちらも登ってみたが、こちらには何もなし。

孫の塚と呼ばれる塚は、周囲を見渡したが確認できず。


今の時期、山歩きには最高ですね。

「百聞は一見に如かず」興味のある人は、行ってみてはいかがでしょう。




伝説の聖者が眠る「モーゼの墓」

モーゼは石川で十戒を授かった!? モーゼの墓モーゼパーク