先日、立山の芦峅寺で行われている、布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)を、見に行ってきた。
この儀式は、あの世とこの世を結んでいる、といわれる布橋を、目隠しをした白装束の女性たちが、白布を敷いた橋の上を渡っていく、というもの。
明治時代には廃仏毀釈の影響で、一旦は廃れたものの、現在では3年ごとに行われているそうです。
江戸時代、仏教が広く信仰されており、人々は生前、自らが積み上げた罪により、死後、地獄に堕ちる、と信じられていました。
当時、立山は名立たる山岳信仰の一つ、「立山信仰」の霊峰で、「地獄思想」からなる「地獄谷」の景観は、まるで現実の世界に表れた「地獄」を思わせるものだったようです。
そこで、世の男性の間では、立山登拝することで、罪滅ぼしをし、死後の「極楽往生」を願っていた、といいます。
一方、女性は「五障三従の身」などといわれ、「堕地獄必至」「極楽往生もかないがたし」と説かれ、「女性は必ず地獄に落ちるもの」とされていました。
そして、罪滅ぼしのため、立山登拝しようにも、立山は「修験の霊場」であるがゆえ、「女人禁制」、女性は立山登拝を許されなかったのです。
そこで、女性を「地獄」から救うための、女人救済儀式が、執り行われるようになりました。
閻魔堂での儀式の後、この世の使者とともに、女性たちが歩いてきます。
向こう岸から、あの世の使者が迎え出て、女性たちを引き渡します。
あの世の使者とともに、女性たちは、橋をゆっくりと渡っていきます。
橋を渡りきり、うば堂での儀式の後、もう一度橋を渡り、この世に戻ってきます。
現代では、人々の価値観も多様化して、こういったような信仰心は薄れていっているようですが、昔の人の信仰心の厚さを感じ、見にこれてよかったな、と思いました。
現代にわたり、儀式が続けられているのは、素晴らしいですね。
この儀式は、あの世とこの世を結んでいる、といわれる布橋を、目隠しをした白装束の女性たちが、白布を敷いた橋の上を渡っていく、というもの。
明治時代には廃仏毀釈の影響で、一旦は廃れたものの、現在では3年ごとに行われているそうです。
江戸時代、仏教が広く信仰されており、人々は生前、自らが積み上げた罪により、死後、地獄に堕ちる、と信じられていました。
当時、立山は名立たる山岳信仰の一つ、「立山信仰」の霊峰で、「地獄思想」からなる「地獄谷」の景観は、まるで現実の世界に表れた「地獄」を思わせるものだったようです。
そこで、世の男性の間では、立山登拝することで、罪滅ぼしをし、死後の「極楽往生」を願っていた、といいます。
一方、女性は「五障三従の身」などといわれ、「堕地獄必至」「極楽往生もかないがたし」と説かれ、「女性は必ず地獄に落ちるもの」とされていました。
そして、罪滅ぼしのため、立山登拝しようにも、立山は「修験の霊場」であるがゆえ、「女人禁制」、女性は立山登拝を許されなかったのです。
そこで、女性を「地獄」から救うための、女人救済儀式が、執り行われるようになりました。
閻魔堂での儀式の後、この世の使者とともに、女性たちが歩いてきます。
向こう岸から、あの世の使者が迎え出て、女性たちを引き渡します。
あの世の使者とともに、女性たちは、橋をゆっくりと渡っていきます。
橋を渡りきり、うば堂での儀式の後、もう一度橋を渡り、この世に戻ってきます。
現代では、人々の価値観も多様化して、こういったような信仰心は薄れていっているようですが、昔の人の信仰心の厚さを感じ、見にこれてよかったな、と思いました。
現代にわたり、儀式が続けられているのは、素晴らしいですね。