はたまるのページ

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Morrisのエレアコを購入しました~!

2007年09月04日 | 音楽関連
職場の後輩からの相談で、「ギターが欲しいのですが一緒に見てもらえませんか?」と頼まれました。入門用ということで、そこそこのメーカーで安価なものを紹介したところ、即座に購入を決定。『へぇ~、思い切りの良い奴だな‥』などと思いながら楽器店を出ようとした瞬間、一台のギターが目に付きました。

Morrisのエレアコです‥。
数年前まではYAMAHAの安ギターで我慢していた私ですが、波田さんを応援し始めてからはMorrisに対する憧れがとても強くなり、どうしても「TF-50SP」(←以前、波田さんが使ってあったギターですね)を入手したくなり、中古品を購入しました。このギターは宮崎大学でのライブにてステージ上に一緒に上がった(しかも波田さんの前でベルト紐が外れてしまい、思いっきりフォローしてもらいました)ことで、特別な思い入れがあるので、よほどのことが無い限り手を触れずに弾くのを敬遠していました。気軽に引けて出来ればアンプ接続が可能なエレアコを購入したいと願っていたのですが、どうしてもあと一歩を踏み込むことができずにいました。

「買わんのですかぁ?僕、買いましたよ!?」と煽られながらも、しばらく店先で迷って試奏をした直後、『店員さん、これも下さ~い!』
私にとってはかなり生活に支障をきたす金額ではありましたが、思い切って購入しました!何だか、Morrisを2台並べてみていると特別な喜びが湧き上がります。善しとしましょう、楽器は一生モノだから‥

GWに備えて、CDバックアップ作業に没頭中也‥

2007年04月25日 | 音楽関連
驚くほどのブログ放置が続いてしまいました‥。
実はつい先日まで、殆ど自宅に帰れない程の勢い(本当は入浴と洗濯だけの為に帰っていました)で仕事を続けていた為に、ブログの更新を行う気力が持てない状態でした。

そんな中、知り合いが貸してくれた『コブクロ』のCDを聴いて激しく感動しました。私は音楽の趣味がかなり古く、その殆どが70~80年代のフォークソングを中心とするものです。2000年以降のアーティストを挙げると僅かに数える程しか受け入れることができないのですが、久しぶりのマイヒットといった感じです。「YELL」「ここにしか咲かない花」「永遠にともに」「桜」etc‥、本当に良い曲が数多い中、BonusTrackとして収録されていた「未来への帰り道」は何度聴いても涙が溢れて鳥肌が立つ程に大好きな一曲となりました。
昨年秋のラジオ放送「私の名盤コレクション」にて波田さんが紹介して下さったことに影響を受けて、『MR.CHILDREN』も聴くようになりました。多くのファンに支持されているだけあって、良い曲が沢山ありますねぇ~!私は特に「口笛」が大好きです。

この2つのアーティストをきっかけに、これまで車内に載せていたCDのリマスタリングを行いました。私はマスター音源となるものを車内に載せておくことに抵抗を感じるので、常にCD-Rにコピーをしたものを使用するのですが、これまではサインペンでレーベル面にタイトルを記入していました。しかしこの際、ディスクラベル印刷に対応したプリンタを有効活用する意味でも、全てのディスクにラベル印刷を施すことに決め、ここ2,3日は仕事を終えるとすぐにラベル印刷とデータコピー作業に掛かっています。

近年、半導体記憶媒体を用いた音楽機器が世間に広まり、CDを持ち運ぶ人は少なくなったように感じますが、私はむしろ1人のアーティストに対して一枚のベスト盤を創り、最後の曲を聴き終えた時に『あ~、このCDを聴いて良かった!』と思いながら次のディスクに交換する動作が好きです。ですから、CDチェンジャーは車内でも殆ど使用しません。もっと言うと、LPレコードの侘しい雑音と、最後にアームがゆっくりと戻り静かにターンテーブルが止まる瞬間はさらに好きです。

久しぶりに駄文を連ねてしまいました。
もうすぐゴールデンウィークですね。きっと学生時代の仲間と遊び歩く日々となりそうですが、それまでにCDバックアップ作業を完了したいと考えています。

月光の夏

2006年07月22日 | 音楽関連
今となっては遠い昔、戦争中のことです。その年、昭和20年。

私が現在住んでいる福岡から50km程離れた隣の県、佐賀県鳥栖市鳥栖小学校(旧鳥栖国民学校)に、当時としては極めて高価なドイツ製グランドピアノが置いてありました。このピアノは昭和5年、「子供達に良い音楽を聴かせたい」という願いを込め、地域の婦人会(現在で言う父兄会)より寄贈されたものです。
その頃、日本軍によるハワイ真珠湾攻撃に始まった戦争がアジアの国々に広がり、沖縄へのアメリカ軍上陸に対する作戦として、「特攻(特別攻撃)隊員」による敵空母への体当たりが行われるようになりました。
ある日、二人の特攻隊員がこの鳥栖小学校を訪れました。二人は音楽学校(現在の音大でしょうか)の学生で、音楽教師になることを夢見ていた若き学徒動員でした。『私達は出撃の為、明日、鹿児島の知覧(当時、特攻作戦の出撃基地となっていた場所)へ出発します。こちらにグランドピアノが置いてあると知り、線路伝いに走ってきました。お願いします、ピアノを弾かせて下さい。』と懇願し、今生の別れの曲として、ベートーヴェン・ピアノソナタ14番「月光」を弾き、その場を立ち去られました。

世界の恒久平和を願うべく、二人の特攻隊員が弾かれたピアノを保存する運動と共に、映画「月光の夏」(1993.8・日本ヘラルド映画、ポニーキャニオンよりVHSも発売)が創作されています。
数年ぶりにこの映画を鑑賞した感動が引き金となり、久しぶりにピアノを弾いてみたくなりました。思えば大学受験を控えた高校2年生までは、近所に住む音大卒のお姉さん(気が付くと○ばさんでしたが…)にピアノを習っていましたので、もうかれこれ10年近く練習を怠っている有様です。不思議な事に、頭では完全に忘れてしまったテクニックも、ピアノの前に座ると指先がしっかりと覚えてくれていました。「う~ん、まだイケる!」

現在、二人の特攻隊員が弾かれたピアノには修復が施され、鳥栖市のコミュニティセンタ「サンメッセ鳥栖」に展示されてあります。実はこのピアノ、受け付けにて手続きを行えば、誰でも自由に弾くことができるようになっています。
先日、「どこかドライブに行きませんか?」という後輩の誘いをきっかけに、高速に乗って向かった先は鳥栖市。到着するや否や、取り憑かれたかのように演奏を続ける私を見て、後輩曰く「マジ、どん引きしてしまいました…」。気が付くと甚平姿で汗だくになっている私に、建物内に居るお客さんの視線が集中しており、受け付けのお姉さんから「ありがとうございました」の一言。
展示されてあるピアノで月光を弾いていた最中は無我夢中になっていましたので、ひょっとするとこのピアノを弾かれた特攻隊員の魂が乗り移っていたのかもしれませんね。

将来、自分の家を持つ際にはグランドピアノを置ける地下室を設けたいと願う、若干26歳の若造でした。
(ついでにね、愛車を置いてライトアップしてさ、音響映写機器を設置してさ、ワインセラーまで並べちゃってさ、あとね、それから…)