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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13,姥雲隠れ ④

2025年04月15日 08時34分09秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作











・そろそろ年末が近づき、
お習字教室のしめくくりやら、
正月支度で忙しい思いをした矢先、
おトキどんから電話がかかった

この子はもう一人のお政どんと共に、
戦前、船場のわが家で働いてくれた、
上女中の一人である

今も正月には集まってくれる

戦前の船場の商家では、
もとの奉公人や別家はんが、
挨拶に集まるのは、
十二月十三日の事始めの日であった

いまはそんな習わしも消滅し、
元日に集まる

「娘がややこ生みまんので、
これから東京へ手伝いに、
いかんなりまへん
お正月のお年始には、
よう参じまへんけど、
年開けて七日ごろに帰りますよって、
そのころ上がらせて頂きます」

「七草粥のころやな」

「まことに申し訳ごあへん」

おトキどんが来ぬのでは、
正月はお政どんだけかいな

前沢番頭は死んでしまうし、
年々寄る人は少のうなってゆく

そう思っていたら、
二、三日してまるで申し合わせたように、
お政どんの電話がかかる

息子夫婦に連れられ、
年末年始は暖かい九州の指宿の温泉で、
越年するというのである

「ワテはそんなとこへ行くより、
一人のんびり留守番して、
ご寮人さんへお年賀によせて頂くほうが、
ずっとよろしゅうごあんのやけど、
息子らがどうしてもいこ、いこ、
いいまして」

お政どんのその口ぶりは、
ずっと嬉しそうであった

「ワテ、飛行機もはじめて乗るので、
ごあんがな
ちょっと心配でそれだけが怖うて」

「まあ、結構やないかいな」

「戻りましたら寄せて参じます」

そうか、
お政どんも来えへんのか

すると例年のお正月の、
お節のお重も準備しなくていいであろう

お政どんらの来るのを心の張りにして、
ついつい例年、作り続けてきた

しかし西条サナエも来る

これは年末の手伝いに来てくれて、
いつも正月の二日か三日に、
いそいそとやってくる

いそいそといってもこの女、
長年のくせで眉間にたて皺を刻み、
陰気で頂けないのであるが・・・

そう思っていると、
サナエから電話があった

「奥さま、
しばらくご無沙汰しております」

と意外に明るい声

この女、電話まで陰々滅々であるのだが、
今日はいやに歯切れがいい

もともとサナエは、
うちの商店に事務員として働いていた頃は、
テキパキと有能な女の子であった

ハイミスを通し、
お茶お花の先生として六十を超えると、
次第に暗くなってきたのは情けない

それが今日はやけに朗らかなのだ

サナエは変なものを信ずる女で、
水子霊などを信仰し、
これをよく拝むと、
脱争(ケンカしなくなる)
脱病(病気を免れる)
脱貧(貧乏から抜け出せる)
の功徳を得るというのであるが、
もしかすると、
脱暗というか、
陰気くささがなくなるという、
功徳もあるのかもしれぬ

もしそうなら、
結構なことである

「お元気ですか、奥さま」

「ありがとう
あんたも元気そうやこと」

「それが、
一度うかがって話を聞いて頂こう、
と思っておりますうちに、
トントンと話がまとまりまして」

「何の話やの?」

「申しにくいんですが、
思い切って打ち明けます
わたしの縁談がととのったんですのよ」

これには驚いた
私は受話器を取り落とすほどびっくりし、
耳を疑う

そういえばサナエは、

(わたしのような者でも、
どこかにいい人がいるなら、
お世話頂けませんでしょうか)

とそれまでとは、
百八十度転換のことをいって、

「せっかく人に生まれて、
人なみのことをしてみとうございます」

と打ち明け、
私を驚かせたものであるが

「まあ、
それじゃおめでたくまとまったの?」

「あの、口約束でございますが、
一応そう決めまして
こまかいことはこれから二人で、
つめていくつもりですわ
まっさきに奥さまにお知らせしました
ほんとは伺ってお話すべきでしたけど、
どうも面と向かうとはずかしくて
島田先生ははずかしいとか、
いい年してとかいうのが、
いちばんいけないとおっしゃいますけど、
どうも面映ゆくて」

「島田先生って?」

「あの『比翼会』会長の、
島田安一先生ですわ
わたし思い切ってそこへ申し込みましたの」

驚いた
「比翼会」は以前、
私が間違ってまぎれこんだ、
集団見合の会ではないか

「あんた、勇気があるんやねえ・・・」

私は心から感嘆する
さすがに私の後輩である

仕事を持って自活している女は、
決断も早く実行力に恵まれている

「だって奥さま、
一人でごはん食べるのが年々淋しくて、
そうなると一日でも早いうちにと、
思いまして」

私は少し心配になった

私のときに申し込んだ男性は、
身のまわりの世話、
家事をしてもらうためにだけ、
妻を求めていた

それでは何のための結婚か、
わからない

サナエの相手もそういう、
功利的便宜的な結婚を望む男だったら、
サナエがかわいそうである・・・

「いえ、奥さま、
そういう人ではございません
あのう、気持ちがピッタリ、
一致してお話がよく合いますの」

「へえ、
何をなさってた方ですか、
トシはいくつ?」

「七十ですけど、まだお元気で
もと高校の国語の先生をしていらして、
歌の会にも入ってらして」

「何を歌うんです?」

「あのう、歌人でございますわ、奥さま
わたし、この間から、
手ほどきして頂いて作ってみましたの・・・」

サナエのおしゃべりは浮き浮きして、
とどまるところを知らぬようである

「歌を作りましたの、和歌を」

「あんた歌の素養なんか、
あったんかいな」

「生まれてはじめてですわ
でも、奥さま、
面白いものですわね、
三十一文字っていうのは
手ほどきされて、
ちょいちょい詠むようになりましたの」

私は感嘆あるのみ






          


(次回へ)

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13,姥雲隠れ ③

2025年04月14日 08時39分39秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・夫は妻に、
ラクダ色の毛糸襟巻を巻きつけてやり、
手袋がぬげかけていたのをはめてやる

妻は寒くなってからは、
布の頭巾のごときものを、
かぶせられているが、
それでもその下から黒々と、
富士額は描かれており、
私はおかしさに目をそらせ、
ご亭主の方にだけ黙礼して、
マンションへ入る

妻の方はあらぬほうを眺めている

そうしてつくづく思った

夫婦というものは業のようなもの、
ではあるまいか

妻とか夫とかいう名が、
ついたばっかりに、
ボケて人間から遠くなっても、
忍耐強く世話をせねばならぬ

それを思うと、
生きる支えなどという人なんかは、
ほしくないのである

やはり独りがよい

すがすがと一人で生き、
そしてやたら医者にいじくらせず、
生命維持装置など不自然なことをして、
殺さず生かさずにおかれるよりは、
自然に土に還ろう

すべて自然がよい

ボケるのはいやであるが、
そのときが来たらボケるかもしれぬ

私は無神論者というべきであろうか、
特定の神も仏も信じていないが、
何となく超越者の存在を感じている

それがモヤモヤさんである

若いときは、
モヤモヤさんの存在に気づかなんだ

戦後、店の屋台骨を支えて、
世の荒波と戦ったとき、
この世に神や仏はない、
モヤモヤさんがいる、
と分かった

仕事がうまくいってると思うと、
夫が病気になる、
ボーナスはあの仕事でまかなえる、
と思っていると、
急にその受注が取り消しになって、
アテにしていた金が入らず、
難儀する

私もしまいには慣れて、
モヤモヤさんとのキャッチボールに、
上達した

モヤモヤさんは、
油断している人間が好餌なのである

もっともそのおかげで、
私は七十七の今まで、
元気に生きてこられた

しかしボケに対して、
そなえているつもりでも、
こればかりはどうしようもない

私はこれまで、
ずいぶん税金を払っている

面倒はまわり持ちで、
他人にみてもらうほうがよい

いつだか、西条サナエは、
寝たきり老人になると、
介護者にチメチメされるのだ、
と悲しがり、
同じチメチメされるのなら、
夫にされるほうがよい、
といっていたが、
私はそこが違う

赤の他人にチメチメされるほうが、
いっそさっぱりしている

人間は疎をもってよしとするのである
親類も孫も子もないほうがよい

そしてモヤモヤさんのいうままに、
自然にかえろう

そんなことを思いつつ、
その老夫婦をみていると、
私はちっとも、
お茶飲み友達にふさわしい、
うるわしい夫婦愛の姿とは、
思えないのである

マンションのどの窓にも、
オレンジ色の灯がともり、
物を煮るなつかしい匂いが流れてくる

それなのに老夫婦は、
ベンチから立ちあがり、
どこへ行くのかせかせかと、
妻は歩き出す

足がもつれてよろけるのを、
夫は支えてやり共について歩く

妻はふと立ち止まり、
唇を動かす

夫は耳をつけて聞き取り、
くるりと二人で踵をかえす

(この道ではない、あっちだ)

とでもいったのであろうか

妻の表情はいっそうぼんやりして、
何かを思い出そうと、
苦しんでいるのであろうか

それをみつけたい、
たしかめたい、
というようにせっせと歩く

しかし足が意志についていかないので、
前のめりに着物の裾を乱し、
つんのめる

夫が急いで抱きかかえ、

「おい、おい」

と声をかける

何日かたって見たときは、
妻は車いすに乗せられていた

とうとう足が、
いうことをきかなくなったので、
あろうか

夫は忍耐強い顔で押してゆく
そうなっても、
散歩をやめないようであった

妻の頭巾の下から見える、
黒々とした富士額も健在である

妻はたいてい、
あらぬほうを眺めているが、
私が夫に向かって、

「今日は暖かくて、
お散歩にようございましたね」

などとお愛想をいったりすると、
たちまち私のほうを振り向き、
目を吊り上げ、
口元をゆがめ、

「あほ、ばか、まぬけ!」

とののしるのである

そうして私に手袋や襟巻を、
投げつけようとする

「ひょっとこなんきん、かぼちゃ!」

不自由な手で投げられないのを、
もどかしがって、
着物の袖口を引き裂いたり、
しようとする

「あれは嫉いてはりますのや」

とは管理人さんの耳打ちである

「おたくだけやおまへんで
誰でもご主人と話を交わした人に、
嫉きはりますねん
それが男には嫉けへん
女に嫉きはります
ボケててもわかりまんねんなあ
えらいもんだす」

といった

「へえ~~
あんなになっても、
嫉妬の気持ちてあるんですねえ」

といったら、

「そうらしおます
『塾老の輝き』の、
老人心理講座いうのんに載ってました」

「女は罪深いものねえ」

「現役だんねんなあ、
女も男も死ぬまで
そう思うと元気が出てくる、
と『塾老の輝き』に書いておました」

と管理人は張り切っているが、
どこに輝きなどあろう、
私はボケてまで、
夫と口をきいた女に嫉く、
というなまぐささに、
堪えられぬのである

あの妻が私を見て、
口をゆがめ目を吊り上げていたのも、
あまりに本性むきだしで、
いやらしく思え、
そう思うと、
今までボケのかわいらしさのように、
見えていた手描きの富士額も、
不潔に思えて、
それから車いすが見えると、
遠まわりしたり、
なるべく夫婦の視界に入らぬようにした

そのうち、
また引っ越しでもしたのか、
ふっつり姿を見なくなった

思えば、

「あ~ん、あ~ん」

の泣声も、
夫の注意を引き付けておきたい、
甘えがあったような気がする

(ああ、気色悪いもん見た・・・)

と私は同性ながら気味わるい

私の「歌子字引」には、
「男に甘える」という項はないのである






          


(次回へ)

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13,姥雲隠れ ②

2025年04月13日 08時14分03秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・突然訪れた女二人は、
お茶飲み友達のセールスに来たごとくである

第一私は茶飲み友達という、
あいまいな言い方が気にくわぬ

お茶問屋のまわし者ではあるまいし、
いかにも卑猥なその言葉、
よくもれいれいしく看板をかかげ、
口にのぼせて発音することだ

口紅女は教えさとす如く、

「いえ、
これは古来からのいいまわしですからね」

なにを生意気な
私はせせら笑い、

「そんなにいうなら、
自分が登録すれば?」

「あたしはこう見えても、
主人がいます!」

「あたしはこう見えても、
独身主義者なんですよ!」

ケンカになってしまった

この頃の人間は、
相手の人格骨柄がどうの、
ということは考えないらしい

相手を見てモノをいう訓練が、
全く出来ていないとしか思えない

この私が男欲しそうに、
みえるのであろうか

実際、相手がいりゃいい、
というものではない

私がよく出会う、
ボケの妻を抱えた夫を見るがよい

半年ほど前から、
マンションの前の道を散歩する、
老夫婦がある

夫は七十四、五、
妻は七十を越したくらいであろうか

夫はやや背が高く、
しっかりした骨格の意志的な顔つきの老人

妻は小柄で着物を着ている

髪の毛が薄く、細く、
抜け毛の多そうな心細げな髪である

うしろで小さいまげを作っているが、
額はくっきりと富士額になっている

眉も太く黒々としている

妻は着物の裾も乱れがちで、
とっとっと歩く

しかしその顔はしまりなく、
目がどんよりして、
なぜかその目に暗い涙が浮いている

二人をそれまで見たことがなかったから、
どこかよその町から移ってきたのかも、
しれない

私が妻を、
ボケているのかしら?
と思ったのは、
あるとき歩きながら片方のサンダルが、
脱げたのも気付かず、
そのまま歩いていったからである

このときは、
夫が急いで身をかがめて拾い、
妻にはかせてやった

おいおいに涼しくなったころ、
夫婦の散歩に行き会ったら、
妻は袂からハンケチやティッシュを出して、
まき散らしつつ歩いていた

夫が引き返して、
拾い集めていたので、
私もハンケチを拾ってあげたら、

「や、どうも」

と夫はしっかりした声で、
礼をいって、
これはまともな人のようであった

何度も行き会うようになったので、
私もちょっと会釈して、

「しのぎやすくなりましたね」

といった

するとそこへ、
妻がひどい勢いで戻ってきて、
私に何か叫んだ

その顔は目が吊り上り、
口元がゆがんでいて、
ひどい憎しみの表情である

私はあっけにとられたが、
彼女の額のみごとな富士額と、
黒々とした眉が眉墨でくっきりと、
描かれてあるらしいのを見ると、
もうたまらない、
おかしくてふき出してしまった

すると妻はいっそうたけり狂い、
再び同じことを叫んだ

それは、

「あほバカまぬけ!
ひょっとこなんきんかぼちゃ!」

と叫んでいるのである

大阪の下町で子供が声を合わせる、
はやし言葉だった

この人、
少しボケはじめて、
子供のころの悪態語があたまに、
残っていてつい口に出たのかしら、
と思った

それにしてもなんで、
ああも憎々しげに私を見たのか

そればかりではなく、
ハンケチを私に投げつけようとする

「おい、やめなさい・・・
すみません、どうも」

と夫のほうはあわてて、
妻をたしなめ私に謝った

すると妻は、

「あ~んあ~ん」

と泣くので、
美しい富士額の一角が崩れてきた

それもおかしなもので、
私もいつ自分の身にふりかかるか、
分からない運命であるのに、

(ボケにだけはなりとうない)

とつくづく思った

夫は動じないで、

「よしよし」

といいつつ、
肩を抱いて去って行く

私にはあの夫の姿が、
いかにも気の毒に思われた

「あ~んあ~ん」と泣いて、
珍妙な手描き富士額から、
黒い汁を垂らしていた妻を思うと、
悪いことではあるが、
ついおかしくなってしまう

いつごろから妻がボケはじめたか、
分からぬが、
あの夫はそういう妻にじっと堪え、
看護し続けてきたに違いない

夫の顔に忍耐強い、
意志的な表情が浮かんでいるのは、
そのためであろう

(反対でも同じことや)

と私は思った

妻がボケた夫の介抱に手を焼き、
共倒れになる、
そうしてついには二人ともボケ、
特別養護老人ホームへ送られる

そんな話はよく聞くところである

秋が深まって、
市民会館でのお習字教室を終えると、
もう五時近くでも暗くなっている

私がマンションへ帰ると、
木枯らしの中をその夫婦が、
せっせと歩いている

妻はかなりボケが進んだらしく、
足取りはいっそうヨタヨタとおぼつかない

しかし思いつめられたように歩く
それを夫はおくれぬよう、
歩を早めてついてゆく

(なぜこんな、
寒い日暮れに散歩に連れ出すのだろう
こんなボケた人は人目にふれさせず、
家の中で寝させておけばいいのに)

と私は思った

もし私がボケたら、
人目も夜昼かまわず、
外へ出たがるかもしれないが

二人は歩き疲れて、
植え込みのそばのベンチに坐る

そこはマンションの生垣の前で、
日の暖かい日中は、
若いお母さんのたまり場になっている

それぞれ赤ん坊を抱いて、
おしゃべりに余念がないベンチであるが、
冬の日暮れはむろん誰もいない

木のベンチは冷えきっている

そこへ老夫婦は疲れ果てたように、
腰を下ろす






          


(次回へ)

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13、姥雲隠れ ①

2025年04月12日 08時26分10秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・私の住む町はこの頃、
老人のピンクパワーに圧倒されている

というのは、
「熟年婦人講座」に加え、
「お茶のみ友達相談所」が新設され、
これがえらい人気だそうである

いったいこの辺りは高級住宅街で、
そういう市の施設が出来ても、
知らん顔をしている人が多い、
と思われたが、
近頃は浜に団地やマンションが多く出来、
大半は若い核家族が多いものの、
そういうところに、
淋しく押し込められた老人は、
どっと押しかけたそうである

これは会員制で、
カードで登録しておくそうである

そして相手のカードを調べ、
係員の意見も聞いて、

(係りは、
長らく老人ホームの職員をして、
老人心理と生理に明るい人とか、
保健婦さんあがりとか、
福祉関係のベテランとかから成っている)

これぞと思う人を選び出す

係員が先方の意向をたしかめ、
OKとなったら、
双方お見合いという段取りだそうである

ダメとなると、
断って次のを捜せばよい

マンションの管理人は夫婦者であるが、

「入会者は多いらしいですな
ここの八階のおじいちゃん、
四階のおじいちゃん、
申し込みはりました」

と主人のほうがいい、
マンションのロビーに貼っているポスター、

「老人の皆さん、
老人の幸福は、
金や子や孫ではありません
お金を持って死ねますか
子供や孫がアテにできますか
幸せは同年輩の心かよう、
茶飲み友達あればこそ
さあ、今こそ新しき伴侶を」

読むともなく、
目を走らせていた私は、
何だか恰好悪く狼狽して、

「なんとねえ・・・」

としかいえない

このポスターに加え、
市の福祉課は東京の作曲家に頼んで、

「お茶飲み友達のテーマ」

を作り、
町へ流すようになった

作詞は市の特別養護老人ホームの所長

これはあまり有名でない、
男性の演歌歌手が歌い、
しかしそのレコードも売れているという

そして「熟年の輝き」という、
タブロイド判の機関紙が家庭に配布された

そこには老人たちの、
お見合いをすませ、
婚約して、
晴の日を待つ嬉しさと、
相談所に対する感謝の投書が、
わんさか載っている

もうこのごろでは、
全市あげて「お茶飲み友達」ブームに、
なったとしか思えない

私のように一人で暮らしている、
老婦人は真っ先に登録しているように、
思われはすまいか、と、
さすがの私も肩身せまく、
市の福祉課に腹を立てている

私は子や孫もいらないが、
ボーイフレンドもいらないのだ

五勺の酒、
新しいドレス、
着慣れた絹のガウン、
宝塚、
おいしいものをほんのぽっちり、
もうそれだけで私の人生は、
バラ色なんである

お習字に絵、
いろんな友人、
いささかの利殖操作の楽しみ

そんなものがあれば、
この上、ボーイフレンドはお呼びでない

この間、
中年女が二人訪れてきて、

「アンケートお願いできます?
七十七歳、お独りですね?
私どもは市の『熟年の輝き』、
編集室の者ですが」

私はこのたぐいのことに、
協力的ではない

「いえ、三つ四つ、
お玄関で聞かせて頂ければ
老人福祉に関する質問ですのよ
えーと、おばあちゃんは」

私はムカッとする

私はこの口紅の濃い、
痩せた女の祖母ではないのだ

それをなぜ気軽に、
おばあちゃんなどと、
なれなれしくいうのだ

「私ゃ山本という名ですよ、
そう呼んでください」

「はい、すみません
一つお聞きします、
いま若いころより不幸だと思いますか?」

私は取り合わぬつもりだったが、
こう聞かれては答えずにはいられない

「とんでもない、
あたしゃ、幸福ですね
トシ取ったら取ったでより幸せになる」

「えー、二つ
これから面白いことは何も起こらない、
つまらなくなるばかりだと思いますか?」

そんなバカなことをいわれて、
ほっとくわけにはいかない

「いーえ、
ますます面白くなると思います
人生はこれからです」

「三つ
身なりにかまう気はしないですか?」

「そんな女がいますかしら!
女はいくつになっても女、
美しく装いたいですよ」

もう一人の女は地味で色気のない、
南京豆をむいたような女

その女が代って、

「年をとってゆくのは悲しいですか?」

なんでこう、
私を怒らすようなことばかり聞くのだ

「悲しいわけないでしょ、
毎日忙しくてすることがいっぱいあって、
楽しいんやから」

「体にどこか悪いところは、
ありますか?」

「健康そのものですね
医者要らずですよ」

「おばあちゃん、
五つマルですわ!」

とまたしても、
口紅濃い女がいい、

「おめでとうございます、
よかったですね」

「何が、どうやというんです」

「再婚資格充分、
というところですわ
五つマルは陽気で向上心に富み、
再婚しても成功まちがいなし、
太鼓判です」

「誰が再婚しますねん?」

「おばあちゃんですよ
いまお独りでしょう?
『お茶飲み友達商談所』を、
ご利用頂いてますか?
おばあちゃん」

もう一人の南京豆女があとを取り、

「生きる支えをさがして、
再婚なさることをおすすめしますわ
やはり何といいましても、
孤独は辛いものですものねえ」

私の怒りはジリジリ高まる

それを抑えようとして、
かえっておとなしやかな調子になる

「あたしはそんな、とても・・・」

「おばあちゃん、
さあ、生き甲斐を獲得しましょう!」

女二人が色めき立って、
説得にかかろうとする

ちょこざいな者たちである
私を何だと思っているのだ

おばあちゃん、おばあちゃんと、
気安くいってほしくないものだ
そんじょそこらのおばあちゃんではない

この気概がおのずと身辺に、
殺気のごとくあふれるのを、
この世間知らずの女めらは、
分からぬのかっ!






          


(次回へ)

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12,姥ひや酒 ⑥

2025年04月11日 08時07分53秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・シモを人に取られたくない、
という気は私にもあるものの、
何となく、
(人力の及ぶところにあらず)
という気がする

自然に任せるというのは、
ここのところをいうのだ

そんなお守りを身につけるよりは、
冷酒でも飲んでくつろぐほうがよい

地酒というのも、
思いのほか美味しいものがある

もっとも私は、
たくさん飲めるわけではないゆえ、
一合瓶でよかったのだが、
出てしまってないので、
やむを得ず二合瓶を買ったのである

ハンドバッグから出した袋に、
それを入れていると、

「歌子さん、
見えてましたのよ、
こっちこっち・・・」

魚谷さんが上気して呼びに来た

魚谷さんは今日は、
グレーの明るい色のワンピースで、
白いソックスなどをはいている

本堂の端、
いちばん風の通るところに、
なるほど魚谷さんがいう老紳士が、
坐っていた

水色の半そでポロシャツを着、
白髪を風になびかせている

顔は赤ら顔

「いやあ、八田です
山本歌子さんですか?
魚谷さんにいつもお噂聞いとります」

八田氏は私が想像していたより、
ずっと饒舌であった

まるでお酒に酔ったような顔、
この会では酒は出さないのだが、

「いやいや、
酒を飲んだのではありません」

八田氏は上機嫌である

「にんまり湯へ入ってきたんです」

「・・・」

「ちょっと早く来過ぎたものですから、
仏さまの前ではみな裸になろうという、
住持のお言葉に感動して、
入ってみました」

「・・・」

魚谷さんも私も言葉がない

寺に隣接するホームのお風呂も、
その日は解放される

にんまり湯というそうで、
男女混浴というはなしだという

「あんまり長いことつかってましたので、
少しのぼせて湯あたり気味
酒に酔ったみたいな気分で、
ハハハ・・・」

八田氏はあたりを見回し、

「この、にぎやかな開放気分、
これもよろしいなあ」

八田氏は魚谷さんの手を取り、
魚谷さんはびくっとしたが、
握られたままになっている

八田氏はもう一方の手で、
私と握手しようとしたが、
私は避けたので、
その手も魚谷さんに重ねた

「よろしいなあ
こういうところへくると、
気がのびのびします
いいところへ連れてきて頂きました」

何が、

(こういう雰囲気がいやで、
お嫌いになった・・・)だ

何が、

(インテリでいらっしゃるから)だ

何が(気高い方・・・)だ

気高いインテリだから、
阿弥陀さまの前で遊び興じる、
爺さん婆さんに(よろしなあ)と、
いえるのかもしれないが、
その言い方の好色そうなのには、
全く興ざめ、
にんまり湯へ入ってのぼせて、
湯あたりしてるなんて、
ほんと、そこらの色気爺さんと変りはしない

魚谷さんにはふさわしくない気がする

もともと、八田氏はそういう人なのを、
魚谷さんが勝手に解釈していただけ、
かもしれない

八田氏は八田氏で、
自然に生きているのである

しかし私は、
どことなく氏が気に食わない

魚谷さんはどう思うかわからないが、
私としては八田氏を魚谷さんに、
取り持つ気にはなれない

八田氏は魚谷さんのもとから、
一人私のもとへ来て、

「歌子さん、
いっしょににんまり湯へ入りましょう」

私の耳元で熱い息をふきかけつついう

「いやですよ、あたしゃ」

私は帰宅してすぐ、
冷やしておいた冷酒・老春を出してくる

今日は鯛の刺身三きればかりに、
鯛のあたまの潮汁
絹さやと卵、
などというお献立、
お酒はほどよく冷えて、
あっさりした辛口

白い磁器の盃の底に、
赤い字で「老春」と沈んでいるのが、
見える

まあ、あの八田氏も八田氏なりに、
自然に生きているのだから、
馬鹿にしてはならないが、
魚谷さんと二人で帰りしな、

「あの人は魚谷さんに、
ふさわしくない」

とつんけん言ったものだから、
魚谷さんは辛そうに、
無言で若葉の道を歩いている

「一人で暮らすほうがいいわ」

と私は強調する

「そうかもしれないけど・・・
歌子さんは強いけど、
私はそうつよくなれない・・・」

でも魚谷さんは、

「もういっぺん考えます」

といった

「そうなさいよ
へんなオジンの死に水取るだけに、
なるかもしれへん
結婚しても楽しいのは三月か半年・・・」

「その三月半年が貴重なんですもの」

何を心細いこというてるのや、
と思ったが帰って一人で飲んでいると、
嫁の言葉ではないが、
魚谷さんが弱いというより、
私が強すぎるのやないか、
そう思えてきた

強いのも才能の一つ

しかし、
自然に従う、
自然体でというのも、
なかなかできるこっちゃないのやな、
と私は気づくのである

まあ、よろし、
ただいまの時間は「老春」をたのしもう

生命維持装置も八田氏もにんまり湯も、
うち忘れて冷酒の味をたのしみ、
のどへ送り込むのである






          


(了)


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