むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

ありがとうございました

2023年04月01日 08時27分56秒 | 「なにわの夕なぎ」










・サザンカの花がきれいだった、
2月6日に読みはじめた「なにわの夕なぎ」でしたが、
昨日で最終回を迎えました。

現在、桜が満開になって、
季節が移っていくのを実感しています。

次回からは、一度こちらにアップしました、
同じく、田辺聖子さん訳の百人一首、
『田辺聖子の小倉百人一首』を再読したいと思います。

よろしければ、おつきあい下されば嬉しいです。
よろしくお願いいたします。





          

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最終章、日本の後家

2023年03月31日 14時41分07秒 | 「なにわの夕なぎ」










・今夜は男性は昭和党のみ、
対する女性は老母と私、ミド嬢である。

今夜は鯛の塩焼き、胡瓜と穴子の酢のものなど、
いろいろあれど、絶品はミド嬢が作ってくれた、
鯛のあらの潮汁。

これは私がやると、
生臭くなってダメだが、ミド嬢のは美味だ。

<うん、たしかにうまい。
料理が巧うて、仕事が出来るなんて、
ミドちゃんは文武両道の達人やなあ>

と昭和党もひと口すすって感じ入る。

あらを塩で煮たお汁(つゆ)が、
なんでこうおいしいの、
と知らない人は思うかもしれないが、
これが玄妙なる魚の味の、すごいところ。

<あんた、女はみな文武両道ですよ>

大正の女学生たる老母は、
古風な言葉がでると、とみに、活気づく。

<何しろ、あたしらの世代の男は、
戦死したり病死したりしたのが多かった。
後家さんが頑張って家を守って子供を育てたんですよ。
家のことみて、外で働いて、お金を稼いでくる。
後家が頑張ればこそ、戦後の日本は支えられたんや。
後家が頑張ればこそ、日本は立ち直ったんですよ>

気炎、当たるべからずという老母に、
昭和党もうなずき、

<そうです、いや、ほんま>

と酒を手酌でつぎつつ、

<うちの親父も、
戦死こそしまへんでしたけど、
家は空襲で焼けるわ、
戦後、商売もたちゆかんようになって、
ぼけ~っと、毎日腑抜けみたいになって、
ふとんかぶって寝てましたで>

<あ、それそれ>

と老母もいう。

<亭主がアテにならへんさかい、
おなごが働き出した>

<ウチのお袋も、かつぎ屋するわ、
焼け残りの着物を闇市で売ってくるわ、
死にもの狂いで働いてくれた。
ぼくらもお袋と一緒に殺人列車に乗って、
よう米の買い出しにいったもんですわ>

しみじみ述懐派の昭和党に比べ、
老母の気炎はますますあがる。

<あの頃の女で、
ぼけ~っとしてる女なんか、
いやへんかった。
良家(ええし)の奥さんも、貧乏人のおばちゃんも、
みな、まっ黒になって働いた。
日本の男はアテにならん、
と骨身にこたえましたわいな。
文武両道どころやない、
後家に非ずんば、人に非ず、というて欲し>

<おかあさま、もうその辺で・・・>

ミドちゃんはハラハラする。

<昂奮して、のぼせられたら、大変ですわ。
もう一杯、熱い潮汁でもいかがですか>

老母は耳にも入れず、

<みなさい、
ここにいるのもみな後家や。
あたしゃ長いこと後家で、長後家、
セイコも・・・>

私は口をはさむ。

<とりあえずただ今は後家、
というところね。今後家>

<ミドちゃんは?>と老母。

ミド嬢はつんとして、

<あたくしは現役パリパリのシングルでございますわ>

<嫁かず後家、いうことやないかいな>

後家集団ということになった。






          



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43、大人

2023年03月30日 08時53分10秒 | 「なにわの夕なぎ」










・珍しい鉢植え無花果(いちじく)を頂いたが、
毎年、健気に四つ五つ実をつけ、
無花果好きの私を楽しませてくれる。

熟れたのをもぐと、
小さな蟻たちがあわてふためき、
逃げていった。

蟻は汚く思えないが、ふと考えた。
世に昆虫好きの少年、昆虫少年というのはいるけど、
昆虫少女、というのは聞かない。

<それはいえてる>と昭和党。

<友達に、子供時分から虫好きの男、おるけど、
定年の今も趣味の同好会に入っててな、
会員、男ばっかりやて>

王朝にも虫好きのお姫さまがいたと、
『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」にあるけど、
それは珍しいからだろう。

なぜ昆虫少女はいないのかしら。

<相性が悪いんやろ>

と簡単にいうのは、よっしゃのよっしゃん。

雑駁な割り切り方だが、明快だ。

相性というのはまことに便利な言葉で、
万能膏薬のように、どこへでも落ち着く。

<そうね、小さいときの蝉取りも男の子だけだったし>

と上品夫人。

<男だけの仕事で、女がやらんもんに、寿司屋があるな>

と昭和党。

<回転ずしは知らんが、
男が握ってくれるから、すしが旨い。
女の握るすしは、食えん気がする>

なぜか私もそう。
これはフェミニズムに関係ないから、ふしぎ。

私も、白い帽子のおじさんや兄ちゃんたちが、
ごつい体つきながら清潔な指で、
器用に魚をとりあげて、あっという間に握ってくれる、
そのたたずまいが、まことにいさぎよくて清らかで好もしい。

<もちろん女のひとが、たおやかな繊手でもって、
情深く握ってくれる白いおむすび、
あれも大好きですけどね>

冷たいすし飯は男手がいい。

<あ、女の人って、手が暖かいから、
おすしに向かないのでございましょう>

とミド嬢は講釈する。

男がやって女がやらないもの、
あるいは男に見られる現象で女に見られないものを、
みな、しばし考える。

よっしゃんは、ビールをつぎつつ、

<今日び、ダンプでもオナゴ、動かしとるもんなあ。
くどくのも女からくどきよるし>

<うそつけ、よっしゃんくどく女なんて考えられへん>

一座騒然となる。

しかし私には一つ、
女のイメージとしてどうしても合わないものがある。

これこそ、昆虫少年と同じく、
男しか考えられない、存在。
 
つまり<大人(たいじん)>というタイプ。

寛仁大度、こせつかず、度量広く、徳高く、
接する者すべてが慕い寄っていきたくなるというような。

滋容というなら女にも考えられるし、
奇人・変人の女ならいるけど、
<大人>という女は、なあ。

<いや、いるかもしれん>

と昭和党。

<もう何があってもおかしいない世の中や。
涙は男の武器になってるし、な。
昔の男は涙を平手か拳で拭うた。
しかし今や男の政治家も泣く時はハンケチで拭いとる。
女にもいまに「大人」とやらが出るかもしれんなあ>

晩夏の涼風一陣、
吹き来たって、ビールの泡を揺らす夕ぐれである。






          


(次回へ)

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42、夏休み

2023年03月29日 08時57分46秒 | 「なにわの夕なぎ」










・昔の大人、というものはずいぶん、
理不尽だと、子供心に思った。

子供たちが何か粗相をしでかすと、
(茶碗を割るとか、墨を畳にこぼすとか)
たちまち目から火が出るほど叱られる。

もう生きてるセイがなくなるほど、
こっぴどく、どやされる。

それなのに、同じことを自分自身がやると、
<ほい、失敗(しも)た>と、
軽く言い捨てるのみ。

時には自分の失敗を自分で笑ったりしている。

不公平ではないかと子供は不満に堪えないが、
子供はボキャブラリイが少ない上に、
表現力が育っていないから、
憤懣を訴えるすべはない。

そうやって大人の理不尽に堪えるのも、
大切な社会勉強なのである。

大人はまた、前言をひるがえす名人であり、
白を黒といいくるめる奸智に長けている。

子供がその矛盾を衝くと、

<やかましい。
子供が生意気いうなっ。
オマエは大体がなまいきじゃっ。
ガキのくせに出しゃばるなっ>

全く見当はずれの怒りかた。
声のボリュームをあげることで、
論理的欠陥を埋め合わせしようとする。

女親とて同じ。
上のセリフが女言葉に置き換えられるだけ。

よって子供は、
世の不条理を責めるだけでは、
事態の解決にならないことを学ぶのである。

しかし昔の大人は無茶なだけではない。
子供が本当に悪いことをした、とする。

子供は自分でも悪かったと思う。

大人に大きい雷を落とされ、
ごめんなさいを泣きながらいう。

それでも大人は許してくれない。

<そんなことしてると、今にみい、
巡査はん、くくりに来はるぞ。
手ぇ後ろへ回るようになるんじゃっ>

子供は泣いて謝るのに、
親はまだ猛々しく言いつのる。

そこへ必ず、おばあちゃんか、
家に年よりのいないところは、
隣のおばちゃんが現れ、

<もうしまへん。
もうしまへんよって、かんにんしとくなはれ>

子供の言うべきセリフを代弁してくれるばかりか、
昔の女たちが着物に付けている前垂れに、
子供を抱きとってくれる。

おばあちゃん、おばちゃんの腰は暖かいのである。

子供が涙で顔を汚し、
ヒックヒックとしゃくりあげている背中を、
袖でかばってくれる。

<もうしまへん、
ボク賢いよって、もうしまへん、な?>

おばあちゃん、おばちゃんに言わせて、
子供は泣きながら、コックリうなずいていればいい。

こういう<時の氏神>が、
昔の家庭には必ず、いた。

それは女だけではなく、
おじいちゃん、隣のおじちゃんも、
買って出てくれた。

だから子供は叱られてもイキがつけた。

追いつめられない安堵とともに、
自分でも<もう、悪いことはするまいぞ>
と自分に誓う気になるのであった。

こういう思い出は、
私にあってはなぜか夏休みのことなのである。






          


(次回へ)

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41、蛙

2023年03月28日 08時51分49秒 | 「なにわの夕なぎ」










・ミドちゃんがあわただしく飛んできて、
うわずった声で、

<おかあさまが、お炬燵(こた)の中に蛙が飛んでるって、
おっしゃってますわ。いやですう、あたくし、
蛙、苦手なんですう・・・>

うちの庭はごく狭いけれど、
小鳥も来、虫もいる。
以前は家の中に蛇が入ったこともある。

べつに無頼の蛇ではなく、近所のよしみで、
表敬訪問して下さったらしいが、
厚意、謝するに余りあれど、
こちとらとしては恐縮し、
鄭重に、庭へまたお帰りい頂いた。

しかし蛙も困るなあ。
千客万来は嬉しいけれども、
蛙のおもてなしというマニュアルはわが家にはない。

老母は炬燵に膝を入れ、憮然としていた。
炬燵はテーブル代わりなので、
年中据えてある。

私はおっかなびっくりで、
ふとんを持ち上げのぞきながら、

<どこにいるの、蛙って>

<蛙がとんでる、いうのにわからへんの?>

<だからどこに>

<お炬燵暖う(ぬくう)なってないことを、
“蛙がとんでる”いうの。
エエ年してそんなことも知らんの?>

知らなんだ。

確かにその日は梅雨寒で、
炬燵が恋しいのはわかるけど。

調べるとコードのソケットが外れていたのだった。

大阪で蛙のシャレといえば、“冬の蛙”
即答を求められた時なぞに、

<ま、冬の蛙いうとこでんなあ>

と笑っていなす。

冬の蛙、寒蛙。

つまり“考えときまっさ”という、
滑脱な逃げ口上のシャレだが、
しかし、“蛙がとんでる”というのは・・・

<すごい表現でございますわ>

感心するミドちゃん。

そもそも老母の口から何が飛び出すやら知れない。

先日は入浴介助の方が来られたとき、
母は昼寝を中断されて不満だったのか、
入りたくない、とごねだした。

<せっかく来て下さいましたのに>

とミド嬢は口を添え、私も、

<そうよ、待ってはるから、早よ、いきましょっ!>

とせかした。
これが悪かったらしい。

老母は憤然として、

<あたしゃ、召使いの都合に合わせる気は、ありませんよっ>

みな転倒(こけ)てしまった。

召使いなんて子供の頃読んだ『小公子』あたりには、
出てきたけどねえ。

結局は入浴したが。

機嫌のいい夕食どきを見計らい、
次の入浴予定日をメモに筆ペンで大書して、
老母に渡した。

老母は字を読むのが好きなので、
メモを提示すれば、口でいうより納得する。

しかしこのときは妙な顔をしている。
ミド嬢が叫んだ。

<おかあさま、紙が反対ですわ>

老母も笑いだし、

<日本も進歩したもんや、
世の中くらくら変わるから、
字もこう変わったんか、
ムカシ人間は読めんようになった、
と思てたら逆さまかいな>

賢いのか、アホなのか、わからぬ人だ。






          


(次回へ)

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