むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

蜻蛉日記  最終章

2021年07月07日 09時21分13秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・「蜻蛉日記」は、まだ研究が行き届かない部分があり、
決まった解釈が絞られていない箇所がたくさんあります。
女の一生という意味に近しい日記ですが・・・

ただし本文は「源氏物語」よりもっと難しくて、
多分、次から次へ書き写しされているうち、
間違いも出てきたのでしょう。

そのうち、作者は三十九才の大晦日を最後に、
はたと筆を止めてしまっています。

その一年半くらい前から夫は完全に訪れなくなっていた。
夫、兼家はそのころ政権の座をめぐって、
ライバルとすさまじい角逐を演じていた。

夫の心が離れてしまって、
書き続ける気力も失せた感じでぽっと筆を置いた。
でも、蜻蛉はその後二十年近く生きていた。


~~~


・もう通って来なくなった兼家だけれど、
息子、道綱にはやさしい父親であった。

蜻蛉の父が、

「そちらの邸を処分してこちらへ来ないか」

とさそってくれ、その通りにしようと思った。
父の邸はそのころの町からみると北のはずれの方。
今の立命館大学の辺り。

それで兼家に黙って引っ越しても悪いと思い、
手紙で知らせ、返事が来たが実に冷淡なもので、

(あ~あの人の心はもう冷え切ってしまったのだ)

そう思ってさっさと転居してしまった。

転居してみると大変景色のいいところで、
山が近く、川も流れていて心もなぐさむ。

兼家からは本当にそれっきりになってしまった。

道綱もやはり母と一緒にこの邸へ移って暮らしている。
そうこうして暮らしているうち、あきらめも出てくる。

兼家の腑に落ちぬところは、
姿も見せず手紙も寄越さないのに、
仕立て物だけは頼んでくる。

全く自分本位でこんなことをすれば女がどう思うだろう、
という風な気持ちはない。

蜻蛉は突っ返す元気もなくて言われるままにしてやる。
ついには頼むという手紙さえなくて、
蜻蛉を仕立て屋と思っているらしい。


~~~


・年も明けて974年、
作者は三十九才、兼家は四十六、息子は二十才の青年。
兼家は影さえあらわさぬ。

「その後 夢の通ひ路絶えて 年暮れ果てぬ」


この年、息子の道綱が出世して右馬助になったと、
珍しく兼家から知らせがあった。

息子が世の中に出た時の世話は父親にしか出来ない。
兼家が道綱のことに一生懸命になってくれるのが一番うれしい。

道綱が勤めた右馬寮の長官、右馬頭(うまのかみ)は、
道綱にとっては叔父に当たる兼家の異母弟の、
遠度(とおのり)という人で上司に当たる。

その人が蜻蛉の養女に求婚して家へ来るようになった。
この遠度という人は三十五、六で大変な美男。

娘の方に求婚していた遠度自身、蜻蛉に求婚していた感がある。
蜻蛉の方が三つ、四つ、年長です。

遠度はしげしげとやって来る。
兼家が「四月くらいに結婚すれば・・・」
と言っていた四月が来る。

蜻蛉は困って、兼家に「どうしましょう?」と手紙を出す。
兼家の関心は蜻蛉だけでなくこの少女からも離れてしまっている。

「四月が忙しいというのなら、
八月くらいと言っておけばどうだね。
聞けば遠度はあなたに言い寄っているそうではないか。
世間のうわさではお前に惚れてるって話だよ」

(まあ、いやな・・・)
と、初めてそういううわさを兼家から教えられて、
蜻蛉はびっくりする。

「いまさらに いかなる駒かなつくべき
すさめぬ草と かれにし身を」


(いまさら、この年になってどこのもの好きが、
私に言い寄るというんでしょう。
馬だってこんな枯れ草を食べるもんですか。
私はもう世を逃れた身ですわ)

この馬は兼家にかけているみたいです。
あなたにさえ見捨てられている私が・・・

しかし、遠度と蜻蛉の間に、
娘の縁談という口実で文通や会話が交わされる。

八月も近づいたころ侍女たちは不思議なうわさを聞いた。

「まあ、あきれた話じゃありませんか。
右馬頭さまは人妻を盗み出してある所に隠れ住んでいるらしいですよ」

蜻蛉はびっくりしてしまう。

そうこうしているうちに、
夫の兼家と大そう仲の悪い兼通という兄が、
今、夫をしのいで威勢をふるっていて、
その人から恋文が来た。

蜻蛉の父は昔気質の人なので、
そんなにえらい人から歌をもらったら、
返事をしないと失礼に当たるというので返事をした。

蜻蛉はそれを武器にして新しい人生を開く、
というような意志はない。

兼家との間が絶望的であれば、
兼通に乗り換えてみてもこの時代はいいわけです。

このころは、経済的援助も兼家からは切れていて、
父に頼っている。

彼女の性質として希望の持てなくなった兼家との縁を、
細々とつないでいて、そんなことが彼女に、
「蜻蛉日記」を書かせた原動力かも知れません。

そんなこんなで遠度との仲はそれっきりになってしまった。


~~~


・ところが今度、その年の八月、もがさ(天然痘)が流行った。
作者はかからなかったけれど、最愛の道綱がかかってしまった。

これは大変、ということで兼家に手紙を送った。
これがまた冷淡な返事。

兼家も自邸に病気の子を抱えて、
自分も怖いので見舞いにも来ない。

やっと九月の声を聞いて道綱は死地を脱し、
蜻蛉はうれしくて仕方がない。

その頃、兼家から便りがあって、

「病人はどうだね。
いやもう忙しかった。
こちらの病人は治ったけれど道綱は治っただろうか」

この年、974年の天然痘は有名。

そして更に嬉しかったのは、
病が治った道綱が十二月の賀茂の臨時祭の係りに選ばれて、
行列の先頭に立つことが決まった。

これを見に蜻蛉は車を仕立てて見に行く。
向こうに美々しい兼家一行がいる。

何といっても道綱は兼家の息子の一人なので、
人々にちやほやされている。
それを見て蜻蛉は大変嬉しい。

十二月の終わり、
蜻蛉は正月に着る息子の衣装を調えるのに懸命になり、
大つごもりの晩は悪鬼を払うために桃の弓で門を叩くのですが、
その音が夜更けて聞こえた・・・

そこでぽつんと日記は終わっている。






          


(「蜻蛉日記」におつきあいくださってありがとうございました。
お立ち寄り下さった皆様に心から感謝いたします)

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6、蜻蛉日記  ④

2021年07月06日 08時37分50秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・養女のことで蜻蛉はつてをたよって、
その娘を欲しいと申し出ると、母親はたいそう泣いて、

「ここまで育てた子供を手放したくないけれど、
こんな山の中で女の子を育てていても仕方がない。
京の邸で育てて頂けたら父親にも会えるだろうし、
この子の将来を考えたら淋しいけれど、
その方がいいかもしれない」

ということになった。

いよいよ女の子が京に来た。
この話はしばらく夫にはしないでおこう。

ところがまんの悪いことにこういう時に兼家は来る。
いろいろ誤魔化していたがとうとう養女の話をする。

「あなたの子にして下さいますか」

「そうしよう。早く会わせろ」

十二、三才という年よりずっと小柄で幼げに見える。
田舎に貧しく住んで・・・
でも、とてもいじらしい様子で可愛い。

「いい子じゃないか」

兼家はびっくりし蜻蛉も嬉しい。

「いったい、誰の子だね?隠さずに言えよ」

「まあ、やかましいわね。あなたの子じゃありませんか」

と教えると兼家はびっくりし、
その子のことはずっと気にかけていたらしく、

「よかった、こんなに大きくなって・・・」

と泣きます。
侍女たちももらい泣きし女の子も悲しくなって泣きます。
972年のこと。

兼家はまた冗談を言います。

「おれはね、もうここには来るまいと思ったんだけど、
こんなことなら来ずにいられないじゃないか」

それからというもの、兼家の手紙には必ず、

「小さい人はどうしているかね」

が付け加えられていた。


~~~


・蜻蛉は幼い娘に習字や歌を教える。

兼家は時姫の娘と同じような年ごろだから、
一緒に裳着(もぎ)をしようと言う。

時姫との間に出来た娘は二番目の詮子。
この娘は後に円融天皇の女御になり一条天皇を生む。

裳着とは女の元服で、十二、三才、
つまり初めて月の障りを迎えると、
めでたく一人前の女になったというので、
お歯黒をつけ髪を上げて裳をつける。

裳というのは女の正装の後ろの部分につける、
腰の後ろから当てて前に紐で結んで、
これに唐衣をつけると女の正装になって、
十二単衣の装束になる。

それを時姫の娘と一緒にやろうと、
兼家は気を配ってくれる。

蜻蛉も生きる希望がわいてきたのか、
ここの描写にはやわらかみが加わります。


~~~


・王朝の世は失火、放火、共に火事が多かった。

ある時、友人に誘われて清水寺へ参ってお籠りしていますと、

「西の方で火事らしい。燃えています」

お寺からはかなり遠いのでお供の人が冗談を言いまして、

「あれは唐土(中国)で燃えているんですよ」

それでみんなは何も思わなかったけれど、
どうも蜻蛉の家のお隣の邸らしい。

もしや類焼してはいまいかと蜻蛉は胸が早鐘を打つようになった。
残してきた小さい女の子と息子のことを思って、
夢中で帰ってきた。

幸い家は無事だった。
隣家の人が避難して来ている。
道綱が適切な処置をとってくれており親として嬉しく思った。

そして、一番に考えたのが、
「あの人、見舞いに来た?」ということです。
兼家は来ない。いよいよ愛情が冷めたのかしら。

夜遅くなってようやく兼家が見舞いにやってきて、
蜻蛉はやっと心が落ち着いた。

本当に兼家は忙しいのによくやっている。
通うところは蜻蛉の所だけではないし、
自分の本邸も別にあります。

兼家は気がつくが男手でおおざっぱ。
彼を支える妻がいない。
あちこちに通う妻はいるが心配りする女性はいなかった。

現実では兼家の見舞い品は、

「いとあやしければ見ざりき」


粗末なもので蜻蛉としては、
もっとちゃんとしたものをくれたら、と思う。


~~~


・道綱十八才、恋人が出来た。

相手に一生懸命歌を贈るが返事はつれないものばかり。
息子はとうとう母に歌の添削をしてもらう。

息子はまた相手方の返事を母に見せる。
蜻蛉は何度か代作をしますが、向こうから来る返事は、
どれもこれも素っ気ないものばかり。

結局、道綱の恋はどれも実を結ばず、
女にふられっぱなしでした。

とうとう道長夫婦(時姫の三男)が世話をして、
道長の北の方の妹と結婚しました。

しかし、その妻とも死別。
後、二~三人の妻を持ったが最後は、
源頼光という新興武士の娘の婿になった。
これは家柄のない侍階級なので、公家からはバカにされた。


~~~


・そうしているうち、
夫の一番下の弟の遠度(とおのり)が、
蜻蛉宅に手紙を送ってくるようになった。

養女にした娘を妻にしたいらしい。
遠度は三十五、六、考えれば息子も娘もそういう時代です。

翌、973年、蜻蛉は三十八才、
王朝の女はもう老いの入り口でした。

兼家は四十五才、働き盛り、
男の方は今も昔も変わらない。

二月三日の昼、兼家が来た。
来たのは嬉しいが昼に来たというのが気にくわない。

老けこんだ顔を光のもとで見られたくない。
その時、夫は蜻蛉が染めた衣装を身につけていた。

夫からはよく仕立て物を頼まれていますが、
蜻蛉は裁縫や染色などの女の手仕事に長けた人で、
夫の着ている着物は美しい桜がさね。

桜がさねとは、
表は白で裏はワインカラー、
くっきりと地紋が浮き上がって美しい。

蜻蛉はわが身を見ると着古したよれよれ衣装。

「いと憎げに人はあり」


(ああ、こんなオバンでは愛想を尽かされてもしょうがないわね)

蜻蛉は身の衰えを肯定するまでになった。
その歳月の重さが感じられる。






          


(6  了)

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6、蜻蛉日記  ③

2021年07月05日 08時29分19秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・明ければ天禄三年(972年)、
蜻蛉は三十七才、兼家は四十四才、道綱は十八才。

今年は夫に腹を立てたり、嘆いたりすまいと蜻蛉は思う。
この年、兼家は大納言に昇った。

もともと大将であったので、
これは飛ぶ鳥落とす勢いになったということで、
蜻蛉は大納言夫人になった。

知り合いの人たちが、
「おめでとうございます」と言ってくる。

蜻蛉にしてみますと、
「何か、ばかにされてるみたいだわ」
と日記に書いております。

しかし、兼家の昇進を道綱だけは喜んでいる。

ある時、兼家が手紙も寄越さずやって来ることがあった。
突然来たので、蜻蛉は考えることが素直でなくなる。

来る、と言わないのに突然来たのは、
きっと近くの愛人のもとへ行くつもりだったのが、
その女に何かの理由で追い返されたに違いない。

「心の鬼は、もしここ近きに障りありて、帰されてやあらむと思ふに」


またある時、夜寝ていると足音が聞こえる。
侍女たちもぐっすりと寝ている。

そのうち門の外が騒がしくなった。

「来たのかしら?
でも来ると言ってなかったのにおかしいわ」

そのうち、妻戸を叩く音がして、
「おい、開けろ」という夫の声がする。

侍女たちもくつろいだ格好でいるので、
戸を開ける者がいない。

蜻蛉が錠を外し、嫌みを言う。

「あなたがちっともいらっしゃらないから、
しっかりと錠をさしたので中々開かないわ」

兼家は、
「この家をさして一心にやって来たのに」

「さす」を掛詞にして冗談を言う。
侍女たちはあわてて逃げて行った。

その晩は蜻蛉にとっては、
思いがけないしみじみとした一夜になった。
夜っぴて嵐が狂いまわっていたので。

あくる日は雨が降っていた。
落ち着いた気持ちをあらわすように早春の雨です。
ゆっくりと兼家は起きだす。

普通の女なら、
「ゆっくりしてくれて、うれしいわ」
と思うところでしょうけれど、蜻蛉は、

「こんなにゆっくりしているのは、
私への情愛からではなくて、雨が降ってるからだわ」

と甘い考えを持つまい、と警戒している。
でも、兼家は機嫌がよくてにこにこしている。

夫の兼家がまた美しい。
それを美しいと感じたのは自分の夫としてではなく、
一人の男として眺めた。

そういう落ち着きというか余裕がやっと出てきた。


~~~


・現代でも神社の拝殿の前に階段があります。
王朝時代はあれが普通の家の寝殿(母屋)の南正面についていた。

兼家はこの時、四十四才、男盛りの美しさ、
その上、人生や自分自身に自信を持ち、
出世街道を走って行く昇り坂の時、
全身から男の気迫とか自信があふれ出ている。

それを蜻蛉はキャッチして、
「あ、見事だな」と描写する。
かなり大人の女になってきた証しでしょう。

彼女がやっと兼家の立派さを自分で発見して、
自分なりに男の値打ちを考える、
そういう能力が育ったというのは、
蜻蛉の人生が深くなったことではないでしょうか。

それから彼女は自分のことも考えるようになった。

ある時、父の家へ遊びに行って楽しい時を過ごして、
心弾んで帰宅すると兼家の手紙、
「今日、行くよ」とあります。

返事はしたものの、
(よもや来るまい。半分捨てられたようなものだもの)
しどけない恰好でいましたら兼家がずかずか入って来る。

化粧もせず、変な格好でいたものですから、
うろうろする。

兼家は右大将の地位にあり、
きちんと正装し、蜻蛉の家でごはんを食べたあと、
堂々と出て行った。

自分は見苦しかったんじゃないかしら?と、
鏡に顔を映してみると髪はぼうぼうで、
何ともいいようのない顔をしている。

(ああ、いよいよこれで愛想尽かしをされるわ)
自分を客観視した言葉が出るようになった。


~~~


・息子、道綱は大臣になれなかった。
蜻蛉には気の毒でかわいそうなんですが、
彼は六十六才まで長生きします。

が、まことに無能な男と言われている。
この時代の貴族は大変忙しい。

いろんな役目を言いつかっていて、
資料によく名前の出てくる人と、
さっぱり出てこない人があります。

一応、家柄本位の時代ですから家柄さえよければ上へ上がれる。
あまり仕事の出来ない人は役目がまわって来ない。

道綱は家柄と年の功で大納言まで上がりました。
彼には役目がまわって来ずヒマ人であった。

それから、生まれた時から大変神経質だった。
母親の愚痴を聞かされて育った・・・
道綱は母親の充たされない人生の穴埋めとして、
犠牲になった。


~~~


・蜻蛉はやっぱりあと二、三人は子供が欲しかった。
何といっても一人だと淋しくて仕方がない、
ということが書いてあります。

もう三十六才、
この時代のことですから生むのはあきらめている。

そして養女をもらおうと考えた。
うまくいけば道綱と結婚させるか?
蜻蛉は人生いかに老いるべきかを考える。

そんなことで、人に相談して、
「いい子がいたらお願いするわ」と言っておいたら、

「丁度、格好のお姫さまがいらっしゃいます」
と言ってくれる人があり、聞いてみると、

「兼家のお殿さまと、
源兼忠のお姫さまとの間にお生まれになったお子さん」
だと言う。

(あ、そういえば、そんなことがあったわ)
と蜻蛉は思い出した。

彼女は夫の浮気は一つ残らず覚えている。

源兼忠は陽成天皇の子孫で身分は悪くない。
その人の娘に結婚していない娘がいて、
結婚させる前に父、兼忠が死んだ。

そこへ兼家が言い寄った。
しばらく通ったが兼家は好き嫌いのはげしい男で、
嫌いとなったらパタッと通わなくなる。

その娘は女の子を生んで、
十二、三才になる娘と共に志賀の山里で暮らしているという。






          



(次回へ)

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6、蜻蛉日記  ②

2021年07月04日 08時24分49秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・山を下りようかどうしようかと迷っていると、
先払いの声も仰々しく兼家一行がやってきました。

「さあ、一緒に帰ろう。
いやまあ、怖ろしいことをしているじゃないか。
これほど本式とは思わなんだ」

蜻蛉はもう出家したかの有り様、
線香をくゆらし、数珠を下げ、経本を何十冊と積み上げ、
行いすましています。

「道綱、こんな暮らし、どう思う?」

蜻蛉には直接言わず父と子だけでしゃべる。
道綱は父と言い合わせていたのか、
その辺のものを全部袋に入れて片づけ始める。

それにしても蜻蛉は強情に坐ったまま動かない。
いつの間にか暗くなって、兼家はしびれを切らして、

「もう勝手にしなさい。あとはお前に任せるよ」

と言って出ていってしまい、
道綱は泣く泣く蜻蛉の手を取って、

「お願いだから帰って」

と頼む。
蜻蛉は子供にせかされてよろよろと迎えの車に乗る。

その頃、丁度おこもりしていた蜻蛉の妹も、
暗いからいいでしょう、というので四人同じ車に乗って帰って来た。

京へ帰る道すがら兼家はずうっと冗談ばかり言って、
笑わせようとしている。

蜻蛉は決して笑うまいと頑張っているが、
あまりにも面白いことを言うので、
妹の方が吹きだしてしまって受け答えをしている。

妹の方も、この姉のやり方はどうかしら?
と思っている。

長いこと留守にしていた家に着いた。
きれいに掃除されて門は開けられ灯があかあかと灯されている。

気分も悪いし疲れたので几帳をひきまわして横になっていると、
留守を守っていた女が、

「お留守の間に撫子を枯らしてしまいました。
呉竹の一本が倒れたので手入れさせました」

と報告する。
それをめざとく聞きつけて兼家が言う。

「あんなに世を捨てるだの、仏道にいそしむだの、
煩悩を断つだの言う人が撫子や呉竹に気を遣うのは、
どういうわけなんだ?」

侍女たちはたまらなくなってどっと笑ってしまう。
蜻蛉も笑いたかったんだけれど歯をくいしばって頑張っている。

それ以後、蜻蛉につけられたあだ名は「あまがえる」
これは兼家がつけたあだ名でして、
尼になろうとして還俗したというので「あまがえる」


~~~


・西山ごもりでは蜻蛉の三十五才の時、
疾風怒濤の時代でした。

現代の私たちから見ると、
兼家という男は兼家なりのやり方で、
大変、蜻蛉を愛していたようです。

でもその後、四十代にさしかかって、
自分がどういう風に自分と夫の間の距離を測定するか、
人生の距離を測るかという地点に到達する。

「私はこれからどうなるのかしら?」

という静かな省察が出来てくる。
自分の姿を客観的にながめられるゆとりも出てきました。

父が初瀬へ参るということを聞きまして、
一緒に参ることになりました。

初瀬へは三年前にお参りしたけれど、
その時は帰りに宇治まで夫の兼家が迎えに来てくれました。

この前はお忍びの形だったけれど、
今度は父と一緒に地方官の一行ということで、
美々しい行列でたくさんの供を連れての旅でした。

蜻蛉はゆっくりと安らかな旅を楽しんだ、と日記にあります。

丁度真夏のころで宇治川は鵜飼いをしています。
鵜飼いは大変古くからある漁法で「古事記」にも載っています。

無事お参りも済ませ、帰りもまた宇治川で泊って、
またゆっくりと鵜飼いを見る。
たくさんの鮎がとれてお土産に持って帰る。

やっと父邸に帰ってきました。
そのまま父の邸で泊って寝ておりますと、
翌朝兼家から手紙が来て、

「すぐ行くから自分の邸に帰りなさい」

侍女たちも、早く帰りましょう、と言うので、
ばたばたして帰りました。
その晩は兼家と大変楽しく昔の話をして過ごした。


~~~


・全体としては兼家はやっぱりまめに来なくて、
二十日くらい間をおいてやっと来る。

今度は兼家の方が比叡山の横川へおこもりすることになった。

正真正銘のおこもりですから、
蜻蛉も浮気の心配はないと安心して、
手紙も出さないでいると兼家の方から手紙が来て、

「山ごもりというのは淋しいもんだ。
どうして一度も手紙をくれないんだね」

ちゃんと真面目に応えればいいのですが、

「私がいかに日ごろ淋しい思いをしているか、
これでわかったでしょう」

なんて返事を出す。

この年の後半は平穏に過ぎて行くが、
だんだん兼家の心が離れていくという気が絶えず、
蜻蛉から退かなくてそのあきらめの代わりに、
自然の美しさで心をなぐさめるようになっていく。

自然の中に身をおいて、
自分の人生を重ね合わせて考えている。

蜻蛉の自然描写を読むと大変奥深い。

「長月のつごもり  九月の終り
なが月のつごもり、いとあはれなる空のけしきなり。
まして、きのうけふ、風いとさむく、
時雨うちしつつ、いみじくもものあはれにおぼへたり。
遠山をながめやれば、紺青を塗りつけたるかやいふやうにして、
あられ降るらしとも見えたり。」


(九月もそんなに夫は来なかったという気分と、
山の色が紺青色になったというあわれが重なった)

九月、十月と過ぎていく。

「さながら、明け暮れて、二十日になりたり。
明くれば起き、暮るれば臥すを事にしてあるぞ、
いとあやしくおぼゆれど、今朝もいかがはせむ」


ある朝、初霜が下りてあたり一面真っ白になっている。

こんな風に兼家が来ないのを蜻蛉が苦しんだり悲しんだり悩んだり、
するというのは、経済的不安もあるのかもしれない。

この時代は男の気持ち一つにかかっているので、
このまま別れてしまうと兵糧攻めになります。

父がいるけれど老いた父を当てにできない。






          


(次回へ)

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6、蜻蛉日記  ①

2021年07月03日 08時22分18秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・それから、蜻蛉は長い精進をしてみようと思い立ちます。

今までは数珠をまさぐったり、仏教書を読んだり、
お経を唱えている女をバカにしていました。

(みじめったらしいわ)などと陰口を言っていました。
ところが今では自分がそういうことに打ち込むようになりました。

せめてそういうことをして気持ちを安らげようとします。
そういうところへ兼家から、

「行っていいか」と手紙が来ます。

「へ~え、何ヶ月もお目にかからないのに、
どういう風のふきまわしなの」

というような返事を書いて大急ぎで父の邸へ行ってしまう。
兼家のあつかましいところは、夜になって押しかけてきます。

この父の邸は手狭な家なので、
夫婦げんかをするとよそへ聞こえるわけでして、
この辺の日記の描写は大変面白い。

父の邸で精進落としが済んで自邸へ戻ると、
またもや兼家の行列が家の前を素通りして行きます。


~~~


・今度は何を思いついたか、
西山のお寺へ籠ろうと思い立ちます。

西山とは鳴滝の北の方と言われています。
そこから思わせぶりな手紙を兼家にやります。

「門の前を素通りされない世界へ行きます。
家をしばらく留守にします」

追いかけるように兼家から返事が来て、

「一体、どこへ行こうとするんだ。
いろいろ話があるからこれから行く」

この手紙を見て蜻蛉は急き立てられるように、
西山の寺へ出発しました。

山の寺へ着いたその晩の十時ごろ兼家がやってきました。
兼家が京からわざわざ追いかけて来たのです。
まさか、本当に尼にならないかと心配してのことでした。

十七才の道綱が石段の上のお堂の中にいる蜻蛉と、
石段の下の車の中にいる兼家との間を仲介して、
上と下を行き来します。

「ともかく早く帰れ、と父上の仰せです」

「せっかく来たのだから帰れないわ」

侍女の方が道綱の事を気の毒がっている。

兼家はとにかく「一緒に帰れ!」と言いますが、
蜻蛉も断然、気が強くて動きません。

とうとう息子は泣き出してしまいます。
蜻蛉のかたくなな態度、強情な心に、
兼家ばかりか道綱までが批判的になります。

今まで母の言うことは盲目的に従っていた道綱も、
母の生き方に不満を持つようになります。

昼は勤行、夜は本尊を拝み、
山中の自然は蜻蛉の心をなぐさめます。

そのうち、兼家にいい含められて家来がやってきました。
大変騒々しい男で、お寺やお坊さんにお布施をまき散らし、
蜻蛉に向かって、

「とにかくお帰りなさいませ。
しまいに誰も迎えに来なくなり、
一人で里へ下りられたら物笑いですよ」

と高圧的に言います。
蜻蛉の心はますますかたくなになってこもり続けます。

そのうち、父から手紙が来ました。

そのころ父は丹波守で京にはいませんでしたが、
「山に籠っています」と手紙を書きましたら、
「そうか、それもよかろう」という返事が来たのでした。
それでいくぶん気が休まりました。


~~~


・ある日、山にざわめきがあって、
身分あるらしい男たちがいっぱいやって来ました。

さすがに蜻蛉も都の匂いに焦がれています。
それは思いがけない訪問者でした。

道隆、という十九才の少年で兼家の長男です。
時姫のところに出来た非常に若々しい美しい名門の男の子。

この道隆の娘が定子中宮で、清少納言の仕えた君です。
定子中宮もその兄、伊周(これちか)も美貌をうたわれた人々です。
その道隆がお見舞いに来ました。

道隆は道綱と違って大変世慣れて、如才もなく、
社交的でいい青年です。

道綱は母親の労苦につき合わされて育ったせいか、
も一つ気がきかなくて、父も始終気にしていました。
ぼ~~っとした少年だったのでしょう。

道隆は一人で自分の母とは違う別の母の所へ、
見舞いに来るくらいなので、世慣れていていろんな話をします。

道隆は少年らしい気持ちからやさしくなぐさめたつもりですが、
蜻蛉にすると、

(こんな子になぐさめられる必要はないわ)

とぷんとしてしまいます。

(なんてまあ、差し出がましい厚かましい子だろう)

と思ってしまいます。

道隆はいろいろなぐさめて、

「出来たら、ボクと一緒に帰っていただけませんか」

と言います。

兼家でもその家来が来ても帰らなかったものを、
どうしてこんな子と一緒に帰れるものかと思い、
道隆の方もしょうがない、感じで帰って行きました。

ただ帰りがけに道隆が蜻蛉に言ったことは、

「でもね、道綱くんがかわいそうですよ。
たまに京にいても夜になると山寺へ帰って、
お魚も食べられないから青い顔をして」

などと自分の異母弟のことを案じて帰って行きました。
よくわかっていただけに余計帰れなくなります。


~~~


・今度は父がやって来ました。
任果てて帰京しその足で山へ来てくれたのです。

「山籠もりもいいと思ったけれど、
道綱が弱ってしまっているのが哀れだ。
山を下りなさい」

と言います。
父にそう言われるとがっくりと気が折れて、

(それもそうかしら)と考えます。

父は、

「じゃ、明日帰るんだよ。迎えに来るから」

と念を押して帰っていきます。






          



(次回へ)

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