・用心おしやす、
といったって叔母の友人が、
どこが悪いということ無う、
死んでしまったのは、
老衰というものであろう
叔母は歌舞伎も好き、
新派の水谷八重子もヒイキだった、
若いときはカツドウも好きだったという、
遊び好きである
宝塚の昔のことも、
よくおぼえている
大正三年にできたときは、
叔母は芸事も好きなので、
自分も入りたいと思ったそうだが、
規則は小学校卒業、十五才まで、
ということになっていて、
「あきらめたんでごあんがな」
ということだ
宝塚の少女はみなそろって美少女で、
何とも舞台が可愛らしかったという
「嫁入りしてからも、
子連れてよう参じましたわ
お父さんは寄席へいかはる、
ワタエは女中衆さんと子供連れで、
宝塚へよういったもの、
阪急宝塚線はもうありましたよってな
歌子ちゃんもたびたび、
連れていってあげましたやろ、
ほら、天津乙女や奈良美也子の、
『モンがパリ』、
おぼえていやはりまっか」
「へえ、ようおぼえてますけど、
叔母ちゃん、それやったら、
『モンがパリ』や無うて、
『モン・パリ』いうのですやろ」
「そうそう『モン・パリ』でんがな」
と叔母はいうが、
すぐ「モンがパリ」になってしまう
「モン・パリ」は「わがパリ」
という意味と教えられてつい、
モンとパリの間にがが入るらしい
その「モンがパリ」は、
私の嫁入り話が決まったころだったから、
昭和二年の舞台だったが、
私は嫁入り話そっちのけに、
熱狂してしまった
大劇場はその前に完成していて、
大階段もすでにあった
ダンスと音楽はめざましく、
大きな羽飾りもゆらゆらと、
大階段をおりてくるスターには、
天津乙女や奈良美也子がいた
船場や島の内の商家では、
ぼつぼつ、芦屋や御影に家を持ったり、
別宅を建てたりしていたころで、
ご寮人さんやいとはんが、
よく宝塚へ来たが、
そのころは男の観客も多かった
日本では初めてというような、
レビューなのでずいぶん世間の評判を、
呼んだものだった
そのあと、
「パリゼット」だの「花詩集」だのと、
いいレビューが次々かかったが、
私は結婚していたので、
もう見にいくことはできない
叔母が誘ってくれるが、
姑は出してくれないのであった
それでも新婚旅行をかねた、
東京見物でやっと東京で、
「花詩集」を見た
たしかこれは、
東京宝塚劇場のこけら落としであった
夫は大阪にいるときとちがい、
イキイキして、
「宝塚いうのは楽しいもんやなあ」
と喜んだが、
思えば夫もかわいそうな男であるのだ
家では両親にあたまを抑えられて、
言いたいことも言えず、
「へえ、へえ」と聞くばかりなのだから
夫がそんな風なので、
嫁の私にはいっそう発言権はないのだ
正月には、
芝居に連れていってもらえるが、
宝塚などとは口にも出せない
「品のわるい
船場の人間の見るもんと、
ちがいますがな
裸形で足あげたり、
男の服着たり、
どこがようてあんなもん、
見とうますねや」
と姑に叱りつけられてしまう
それでも苦労して、
一年に二へんぐらい見にいっていたが、
子供が生まれるわ、
戦争になるわ、
で、おのずと宝塚とも、
遠ざかってしまっていた
終戦後は夫を助けて、
店を復興するのに精いっぱいで、
自分の楽しみに心をふりむける、
ヒマもなかった
やっと見出したのは、
六十を過ぎてからである
宝塚のほうもちゃんと、
その間に復興していて、
久しぶりに見たら、
歯切れのいいアメリカものが出ていたり、
(時勢とともに宝塚も変わるんやなあ)
と感心したような、
さびしいような思いであった
あとでわかったが、
何となく肌合いが違う舞台や、
と思ったのも道理、
アメリカからブロードウェイの、
芝居を持ってきてアメリカ人が演出していた
久しぶりの舞台は、
やたら動きが早くて、
音楽が大きくてめまぐるしく、
あたまがガンガンするばかりだったが、
若いファンには評判がよかったようだ
それは、
「オクラホマ」とか、
「ウエストサイド物語」
であった
そのころ叔母も見ていて、
「アメリカの演出家に、
しごかれたんやそうでごあんな
宝塚の子はさすがに、
とうないおぼえが早うごあしょって、
アメリカはんの先生も、
感心しなはったということだっせ
『ウエストサイド物語』
ワタエ好きでごあしてなあ」
とまるで何でもかんでも好きで、
あれはいかんということがない
宝塚なら無定見にほめるというのが、
おかしかった
私はそのあとに演じた、
「ベルサイユのばら」のほうが好きで、
(これこれ、
これやないとあかん)
とつくづく思った
きれいな衣装に金髪のかつら、
恋あり冒険あり、
王妃さまやら貴公子やら、
そういうのが舞台にかかると、
ホッとする
平生は銀行だの得意先だのを相手に、
金繰りの心配や商売のあれこれを、
考えているから、
よけい宝塚が美しく見える
見つづけていると、
大きな音楽のボリュームにも慣れる
九十一になる叔母の好む席は、
前から三列目「は」の二十五あたり、
まん中で、ここで「春の踊り」を見ていると、
しごく機嫌がいい
(次回へ)
・次男のところの小学生の娘、
嫁がいうには、
「ヅカ狂いになって、
勉強がお留守になっては、
困りますから」
と絶対宝塚を見せようとしない
「それぐらいで、
あかんようになるんやったら、
何してもあきまへんやろ」
「まあ、お姑さんは今さら狂う、
というおトシでもないでしょうから」
そういわれると、
まるで人間業を引退した、
ロートルのように聞こえる
「いや、それはわからん
宝塚にトチ狂うて、
女大尽みたいに金をばらまくかも、
しれまへん」
嫁たちと電話すると、
いつも言い合いになってしまう
嫁の方は三人寄って、
「ああいえばこういい、
こういえばああいう」
「いうことに可愛げない気、
しはらへん?」
などと陰口を利きあっていることだろう
しかし私は私で、
まちごうたこというてへん、
という気がある
ボケる、ボケないは神さんの・・・
ひいては運命の神、
どこにいてはるかわからぬ、
モヤモヤした神さん、
モヤモヤさんの胸三寸にあること、
人力ではどうしようもない
また、医者、学者、
というのも信じていない
というより、
私は医者のすることに反対なのだ
大体、今の医学はおかしいと思う
何が何でも、
治療を加えればいい、
ってもんとちがう
治らんとわかっているものを、
クダを突っ込んだり、
針金入れたり、
骨を削ったり、
めったやたらいじくり倒して、
植物人間にして何か月か何年か、
保たせたところで何になろう
死ぬまで検査検査といらい廻し、
欲しいものも食べられず、
そばへ寄って手を握ってほしい人をも、
遠ざけられ死んでゆく病人には、
なんの心の安らぎがあろう
もっと、自然の寿命、
というものを考えたほうが、
よいように思う
しかしそう思うのも、
私が健康でまだまだ死ぬ気が、
ないせいであろうか
ま、なんにしても、
(モヤモヤさん、
よろしゅうにたのみますわなあ)
というところである
誰もボケたい人はいないのだから、
かくなる上は神だのみあるのみ
でも、ひよいと思いついたのだが、
嫁たちと言い合いになり、
ああいえばこういい、
こういえばああいい返す、
そういう腹立ちの気力、ファイトが、
ボケない要素かもしれぬ
世の中には、
おナラで毒素を出すお鈴教やら、
脱争、脱病、脱貧の水子供養やら、
「ブー」と「テー」教やら、
いろいろあるらしいが、
みな、争いごと、
腹立ちごとを毒素として、
体外へ排出するのが目的のようだ
しかし腹を立てることは人間、
燃料を燃やすようなもので、
何にも腹を立てなくなったら、
それこそ細木老人のように、
ボケてしまうであろう
それを思うと、
私に腹を立てさせてくれる嫁どもは、
(嫁女さまさま)
というところかもしれない
とまあ、
気を取りなおし、
私はお花見兼観劇の日、
叔母を迎えに行った
叔母は少うし、
背がかがんでいるものの、
白髪をきれいにまとめて、
小さいまげを作り、
一越縮緬の青ねずみ色の着物に羽織、
きちんと身ごしらえして、
孫に車で送られてきた
孫といったって、
もう四十を超えている
「帰りはタクシーに乗せとくなはれ、
僕は廻らんならんとこ、あって
しかしおばあちゃん、
大丈夫かいな」
と孫息子がいうのは、
叔母を托す私もたよりない、
というのであろう
しかし宝塚には私の英語クラブの、
友人たちも待ち合わせている
宝塚観劇の日は、
この人々も誘ってある
富田氏、魚谷夫人、飯塚夫人、
というようなメンバー
長身でやせた富田氏は、
私の家でのパーティのときのように、
「いやあ、今日が楽しみで、
夕べは子供みたいに眠れませんでした」
といい「キッキッ」と、
特徴のある笑い声をうれしげにもらす
肥った飯塚夫人も、
おとなしい魚谷夫人も、
弾んでやってくる
そうしてみんなして、
九十一の叔母を大切に囲み、
そろりそろりと花の道を歩くと、
人々は微笑みつつ道をあけてくれる
この四月は、
宝塚がまさにいちばん、
宝塚らしい月といってよい
遊園地、そういう呼び方のほうが、
私などはぴったりするが、
いまは宝塚ファミリーランドと呼ぶ
その入り口の前の道、
ちょっと堤のように高くなって、
延びていてその道は桜のトンネルなのだ
薄桃色のかすみの中を、
叔母はそろりそろりとあるき、
「ああ、きれいでごあんな
今年もまた息災でお花見でけて、
結構なこっちゃおまへんか」
と花を仰いで喜ぶのである
その上、毎年四月の舞台には、
新しく宝塚へ入った初舞台生が、
お目見得して、
ずらりと何十人かならぶ
それが組長さんの口上で、
いっせいにお辞儀をする
そのさまがういういしくて、
叔母は、
「可愛らしおます」
と上機嫌なのだ
この叔母は、
私の母の末妹であるが、
昔からはっさい(おてんば)な女で、
私はその地を引いたのであるらしい、
若い時から自転車に乗ったり、
卓球が巧かったり、
はねっ返りの明治女学生であった
自分で作ったへちま水で、
朝晩肌を磨き、
わりに色白でしわも少ない
松屋町の菓子問屋に嫁入りして、
戦後、息子がその商売を再興し、
いい羽振りである
いまはひ孫もあって、
安気に暮らしているが、
「同じ年頃の友達が、
ついこのあいだベッドからおりる拍子に、
骨折しはってそのまま、
どこが悪いいうこと無う、
死んでしまいはりましてん
人間て一寸先はわからんもんで、
ごあすな
怖いことや
歌子ちゃんも用心おしやす」
と私にいった
(次回へ)
・長男の嫁の次は、
理屈いいの三男の嫁からかかってくる
「お姑さん、
ボケの兆候でも何か出ましたの?」
「そんなことが、
自分でわかるくらいなら、
ボケてませんっ!」
この嫁はズケズケ言いで、
もののいうすべさえ知らない
ボケたかどうかと、
本人に聞いて失礼とも思わないらしい
「今月の婦人雑誌の付録に、
『老人問題のすべて』
というのがありますから、
お送りします
その中に『ボケぬためには』
というのがありますから、
ようく読んどいてください
ほんとにボケだけは困りますわ
ボケるのはいやですわ」
そうボケボケといわれると、
私は猛然と怒りを発する
オールボケ老人になり代わり、
「誰もボケとうてボケてる人は、
ありませんっ!
みんな神さんの思し召しですから」
「だって、
ほんの少しの注意で、
いくらかは予防することが、
できるんじゃないですか、
そうお医者さんや学者先生が、
書いていられますけど・・・」
「医者や学者がアテになるかいな、
養生、注意してもボケる人はボケますのや、
それに、ボケぬためには、
なんて書いてる人はみな若い人やろ、
ほんまにトシヨリのことわかって、
書いてんのと違いますやろ」
「だって学問的裏付けがあって、
精神的肉体的に研究されてるんですから、
間違いないと思いますわ、
何たって科学的ですもの」
「そんなあほな
科学ほどアテにならんもんは、
おまへん
医者のクスリや科学信じて、
えらい副作用に苦しむことも、
おまっしゃないか
ボケかて神さんの指図や、思わな、
しょうないときあります」
「へえ・・・
お姑さんのように頭脳明晰な方が、
神さん持ち出されるなんて、
ふしぎですわ・・・」
頭脳明晰やさかい、
神さん持ち出すのやないかいな、
あほか、
というところである
あほな人間は、
としよりがボケぬためには、
など読んで実行すれば、
それで済むと思っているのだ
「ま、何にしても、
宝塚見とったら、
めったにボケになりまへん
あれは動脈硬化をほぐすのに、
いちばんや
須美子はんも見なはれ、
近々、松屋町のお婆ちゃん連れて、
行きますよってな」
というと嫁はせせら笑い、
「何ですか、
ああいう、チイチイパッパというようなもの、
どうも、もひとつ・・・
その分のお金頂けたら、
あたし、春のブラウス、
買いたいんですけど・・・
お姑さん、
株でしこたま儲けられたんですって?」
チイチイパッパとは何や
宝塚も知らんくせに、
見ず嫌いでバカにしている
春のブラウスより春の踊りのほうが、
なんぼ女に必要かしれない
こういう女にかぎって頑固で、
宝塚を見ようともしないのだ
「あたしゃ儲けた分だけ、
宝塚へ通うて遊びますのや、
それこそボケの妙薬、
医者や学者の指図より、
好きなことしてるほうが、
ずっとボケ防止になりますわいな」
といってやったら、
「そのぐらい、
お口が達者なら、
当分、お姑さんには、
ボケの心配はありませんわね」
と三男の嫁は捨てぜりふをいって、
電話を切りよった
次にかかったのは次男の嫁
「お姑さん、
ありったけのお金を、
遊びに使われるんですって?」
すべて嫁たちは、
ちょっとずつ違ったふうに、
受け取り解釈し、
また少しゆがめて、
次へ伝達しているらしい
「箕面の須美子さん、
いってらしたですけど、
株で儲けたぶん、
そっくり宝塚へ入れあげて、
誰にも残さないつもりですって?」
そんなことはいわないが、
三男の嫁には、
そう聞こえたのであろう
「入れあげるたって、
あなた、宝塚は安いですよ、
たかだか入園料まで入れても、
三、四千円、
歌舞伎や相撲のヒイキをするのとは、
ケタがちがいます
ご心配には及ばんこってすわ」
と私がいったら、
「それはそうでしょうけれど、
病気、ということがありますのよ
病気!お姑さん、
今日び、ガンにでもなったら、
大金が要りますのよ、
やはりその分だけは残して頂いて・・・
いえ、そりゃもう、
みんなしてお姑さんに、
不自由はかけないようにしますけど」
「えらいお心くばり頂いて
けど助からんもんなら、
やたら治療して、
いじくらんといてほし」
私はしんそこそう思っている
「痛い目ぇにあうのんいややし、
あっちこっち切り刻んだり、
レントゲンかけたりするのもいや、
もうここまで生きたら、
そうっと寿命あるだけでよろし」
「そんなこといわれても、
西宮のお義兄さんあたりが、
承知なさらないでしょうし」
とさすがに次男の嫁も、
長男の性格を知っている
「それにお医者さんもいろいろと・・・」
「今からそんな心配して、
どないしますねん
ま、当分、宝塚見て厄払いしますわ
あたしが元気なんは、
もう六十年から宝塚見てる、
せいかもしれまへん」
「へえ
宝塚ってそんなに古くから、
あるんですか」
何をいうてるねん
まあ、趣味は人それぞれ、
押し付けられないけど、
ウチの嫁たちはそろいもそろって、
宝塚ぎらいである
次男のところにも、
小学生の娘がいるが、
絶対、宝塚を見させようとはしない
(次回へ)
・四月は毎年大騒ぎである
九十過ぎた私の叔母を連れて、
宝塚へお花見兼、
観劇にゆかなければならない
私も宝塚歌劇が好きで、
七十七の今もよく見るが、
叔母ときたら何しろ、
大正三年、宝塚少女歌劇創立以来の、
愛好者ということで、
演しものの変りめごとに行く
とくに四月は、
桜を見るのと、
初舞台生の口上を見るのとで、
二回か三回は行きたがるのである
何とも元気な年寄りである
で、切符の手配もし、
(これは長年の私のファン仲間である、
さる会社重役夫人が口をきいてくれる)
いよいよ、花も見ごろ、
叔母を迎えにいく手筈をし、
いそいそしている最中、
つまらぬことで、
またウチのバカ嫁どもと、
電話で言い争ってしまった
ことのおこりは、
亡夫の友人だった八十一の細木老人が、
ボケたというニュースである
長男の嫁がそれを聞いて、
早速電話してくる
「細木さんのおじいちゃま、
この頃、夜昼なしに、
ほっつき歩かれるそうです
お家のかたはもう、
困っていられるらしいです
始終、交番のおまわりさんが、
連れて戻られるらしいんですけどね・・・」
「へえ、
あの人なら、
そうかも知れまへん」
私は冷静にいう
細木老人はもともと、
昔話と死んだ人のことしかいわない、
回顧趣味の老人であった
世の中の新しいことに、
なんの関心も興味もなく、
何を見ても「ほほう!」とびっくりし、
三十分くらいすると、
もうそのことは忘れて、
またたずねるといった、
魯鈍なところがあった
見るからに老人くさく、
グチ話ばかりしていたから、
ボケもするであろう
気の毒に
「まあ、
お姑さんなら、
ボケの心配はないでしょうけど、
でもどんな拍子でどうなるか、
ウチのパパも心配してますのよ」
と長男の嫁はいうが、
ボケの心配よりも、
ほっつき歩くボケ老人を面倒見る、
その心配の方に重みがかかっているような、
口吻である
「お姑さんは、
よく出歩かれるから、
お元気だとはいっても、
何しろすべて単独行動ですものねえ、
ウチのパパ、
『ワシの名刺、
いつも持っててもらうように、いうとけ』
というてましたけど」
何が単独行動や
そんなことは言われるまでもなく、
バッグの中に三人の息子の名刺を入れ、
どこでどうなっても見苦しからぬように、
してあるが、
何しろ私の神さんモヤモヤさんは、
本人に悪意はないとしても、
人の意表をつく名人であるから、
どんな運命を用意して、
待ち受けているかしれない
「ボケになるときはなるやろうし、
しょうがおませんな、
こればっかりは・・・
私もまさかと思うものの、
そうなったらなったときのこと、
ま、あんじょうたのんまっせ
迷子札つけてもろて、
おまわりさんに連れ帰ってもらうように、
なるかもしれまへんし」
といったら、嫁はうろたえ、
「そんなことはないと思いますわよ、
大丈夫ですとも、
お姑さんみたいに、
シッカリしてられる方は、
夜昼なしにほっつき歩くなんてこと、
ないでしょうけど・・・」
「そらわかりまへん、
ボケて人のもんも自分のもんも、
わからんようになってしまうかも、
しれまへん
梅田あたりの陸橋の上から、
一万円札ばらまいて、
喜んでるようになるやら、
しれまへん」
と私はふざけてしまう
私のおふざけも悪いのだが、
この長男の嫁は真面目で、
融通の利かぬ女であるから、
この女としゃべっていると、
私はいつもからかいたくなる
「えーっ!」
と嫁は電話口の向こうで奇声を発し、
「まさか、お姑さん、そんな・・・
こういっちゃナンですけど、
そんな現金お手元においてられない、
でしょうね、
信託とか定期とかにして、
いらっしゃるんでしょうね」
「そんなもん、
いつでも現金化できますがな、
それに近頃、株でちょっとばかし、
儲けましたよってな」
「お姑さん、
株やってらっしゃるんですか」
嫁はぎょっとしたように尋ねる
「危ないことありませんか、
こわいやありませんか、
シロウトの株なんて、
お姑さん、
ウチのパパは知らないでしょう、
そんなおそろしいことを、
お姑さん・・・」
嫁は泣き声を立てている
さだめし私が全財産をスッて、
あまつさえ、
長男の財産も食いつぶすのでは、
あるまいかという心配で、
気も狂わんばかりであろうが、
私はシロウトではあるものの、
決して向こう見ずなことはしない
もと女中のおトキどんの娘婿が、
証券会社にいっている、
その縁でちょいちょい株をやるのだが、
欲はかかないので、
ちゃんと儲けているのだ
「ラジオや新聞の株式市況が楽しみでねえ、
べつにおそろしいというよなもんや、
あれへん、
老いの楽しみ、
いうてもよろし」
「えっ、
新聞にそんなもん、
載っているんですか」
嫁は頓狂にいい、
若いもんがいい目をして、
新聞のどこを読んでるのだ
「でも株で身上すった、
という話はよく聞きますから」
「それはあとさき見いひんからや
いつもよう気ぃつけてたら、
そんなことあらへん、
この間も三百万儲けましたで」
「・・・」
嫁は黙ってしまう
こういうもの知らずをからかうのは、
面白い
「そやけど、
これもボケへんうちのこと、
ボケたら梅田の陸橋から、
一万円札ばらまいて交通まひおこすか、
そのへんの牛乳箱へ一枚づつほりこんで、
お助け婆さんになるか、だす」
(次回へ)
・松花堂弁当は塗りの結構なもの、
おや、これは近所の仕出し屋から、
取ったものらしい
ひとくちふたくち食べて、
そのまま蓋をして置き、
眠ってしまった
夢なのか、
それともうつらうつらしながら、
考えていたことなのか、
あの世を遠くからのぞいている気がする
あの世には死んだ夫や、
私の両親がいた
舅姑もいる
大番頭、為吉っとん、
みんながずらりと並んで、
こっちを心配そうに眺めている
そしてここが、
私のびっくりしたところだが、
みんなの顔はおだやかに、
楽しそうで晴れ晴れしているのだ
あの世の住人という、
しょぼくれたところはない
あんなにきつく当たった姑でさえ、
やさしい穏やかないい人相になっている
そうしてみんなは口々に私にいう
「大丈夫か・・・」
「無理しなはんなや」
「そんなとこでいつまでも苦労せんと、
はよ、こっちへおいなはれ」
「こっちのほうが、
なんぼラクか知れまへんで」
「生きてる人間は死ぬのん怖がるけど、
こっちゃのほうが、
なんぼ楽しいか知れまへんで」
「早う来たらよかった、
と思いまんなあ」
その声色が知恩院さんの鐘のようで、
やわらかでたのしい
ハテ、私もお迎えが来るのかいな
しかし考えてみると、
あの世はそういうものかもしれぬ
「あっちの人々」は「こっちの我々」の、
あくせくぶりを指さして、
嗤っているのかもしれない
しかしその嗤いには、
嘲笑はなかった
心からおかしげな、
たのしげな笑いであった
ふと気づくと、
私は誰かに背負われて、
そこへ行こうとしている
私を背負うちょんまげの男は、
長男のようでもあり、
次男のようでもあり、
三男のようでもある
私は時代劇の婆さんになり、
ちょこんと息子の背中に負われて、
山奥へ山奥へと入ってゆく
これは昔話の姥捨てやな、
と私は気づいた
しかし、いい気持ちはつづいて、
悲しくはないのでる
いい気持でいい所へ行くのだ、
という感じである
そこまで夢を見て、
インターホンのベルで目を覚まされた
いつの間にか外は明けていて、
もう八時である
あたまはすっきりして、
熱もないみたい
少しふらつくだけで、
風邪はなおりかけている
ガウンを着てドアを開けたら、
お政どんである
お政どんは私を見るなり、
「ぼんぼんからの電話で、
ご寮人さんが病気やいうて聞いて、
まあ、びっくりして、
いそいで参じました
何ぞおあがりやしたかしらん、
いそいでお粥でもたきますよって、
熱いのをおあがりやす」
お政どんは勝手知ったるキッチンへ、
まっすぐゆき、
すぐ物音をたてはじめる
その音を聞いていると、
さすがに私はほっとして、
気が安らぐ
私はまず熱い片栗湯を飲まされる
「こんなときに昔の、
あの吸入器があったら、
よろしおましたのになあ、
ご寮人さん」
「ほんまに
あの白いぬくい湯気が、
シューっとのどへ入ると、
ええ心持ちやった」
「そいで富山の置き薬のんでたら、
いっぺんになおります」
お政どんは、
お粥をたいてくれながら、
夕べの弁当の残りの中身も、
上手に暖めたり、
蒸しなおしたりして、
皿に盛ってゆく
「それからこれ、
お祀りしときます」
「何やのん?」
「これがお鈴でございますねん
よう拝んでたら、
鈴を振るようなおナラが出ます
それが風邪の毒素でおます」
「いろんなお宗旨が、
あるもんやなあ」
「イワシのあたまも、
信心から、でおますな」
私もモヤモヤさんのおかげかしらん、
ここまで来られたのは
モヤモヤさんは私を病気にさせ、
足をすくって「ぬははは」と、
喜んでいるかもしれないが、
私は夕べの夢で、
あの世も怖くなくなった
あれはあんがい真理やないやろか、
あの世のほうがたのしい、
というのは
死ぬのは怖くもあるが、
ま、あの世は怖いところではない、
ということを知っただけでも、
モヤモヤさんに私は、
逆転勝ちしたわけである
あの世は怖いとこでないにしろ、
<さればとてせいてゆきたいトコでなし>
いま、この世が面白いから、
私は長生きしたい
死にとうないというのが本音である
「お政どん」
「へえ」
「おなかがすいてきたわ、ワテ」
昔なじみのお政の前では、
私も船場言葉がでる
「お粥では追いつかん、
ビフテキが食べたいわいな
何やしらん力が出てきましたわいな」
「へー、
鈴のおかげで、
毒素が出たんかもしれまへん」
エロ恍惚でもええやないか、
それまではツツいっぱい、
前沢番頭の分まで生きてみせたろ、
と私はモヤモヤさんがあきれるぐらい、
もりもりと気力がわいて出る
(了)