・秋月さんはこれからの計画をいろいろ練っている。
「何ちゅうたかて、
ワシらの村やし、
どこへいくこともでけへん。
それに埋まった家を掘り起いてもどうもならんしの。
危険な山は崩せるだけ崩いて、
ワシ、こんどはてっぺんに家建てたるねん」
秋月さんは意気軒昂であった。
「みんなは怖い、怖い、いうけど、
みな崩れてしもうたら大事ないやろ。
なあに、またやりますがな」
秋月さんは新築したばかりの自宅や、
スタンドや車数台を奪われ、
一億あまりの資産をフイにしたのであるが、
親の遺産ではなく自分の稼ぎで作った人だから、
「またやりますがな」
という口調には迫力がある。
村の人が呼びにくる。
「保険の相談があって」ということだ。
火災保険には、みな入っていたが、
こんな災害では保険金が下りないので、
いま特別措置を交渉中だ、ということであった。
被災後、
全国からの見舞い品はありがたかったが、
これから生きていく手立ての配慮、
という点では、国も県も、
かのテレビ局のレポーターみたいなもので、
ヒトゴトのように、
「これから寒くなるのに、
どうなるんでしょう、ほんとうに」
というようなところらしい。
中々尻が重くて、
てきぱきやってもらえない、とこぼしていた。
「しかしまあ、
みな、仲ように被災してよかったやんか、
グループともども」
と夫はいった。
「まあ、そうやな」
秋月さんは資力のある人であるから、
すぐ小さな家ぐらい独力で建てられるのであるが、
村の若手グループの指導者ということで、
みなと同じようにするのがホンマやといい、
長いこと中学校の校舎に避難し、
仮設住宅に入り、
自宅のことは、いつも後回しである。
「災害からこっち、飛び歩いていて、
声嗄らしていたころは、もう、怖うて、怖うて。
夜、帰ってきたら、怒ってばっかりいるんやもの」
と秋月さんの奥さんはいっていた。
夫が、
今ごろは、男はみな、殺気だってるはずや、
というのは、ここのところをいうのかもしれなかった。
「今日は、別荘に泊るのか、
あそこは水に浸かってないし、何ともない」
とみなはいうが、
「今日はまあ、お見舞いに来ただけ。
元気な顔でよかった」
と私は引き上げることにした。
みんなぞろそろと、
道まで送ってくれた。
「昨日(きんの)、トクゾーが、
山崎警察でホウビもろとった、
生き埋めの奥さん助けて」
抜山のとなりの山は、
あいかわらず青々している。
帰途、
見るとなるほど新しくついた道のほとりに、
コンクリートで床をかため、
ドラム缶の巨大なやつをおっ立て、
プレハブの小舎のその横に、
建てたガソリンスタンドがあった。
その横に、クリーニング屋らしいプレハブの小舎もある。
屋台のごとき店は散髪屋だろうか。
そうして真っ青な空の下、
岸を削られた揖保川は岩を噛んで、
かなり激しい流れである。
山河は昔と変わらない。
山津波のなだれを免れた畠に、
柿の木があって、赤い実が生っており、
それらは以前、この村へ来て、
ようく見知った秋の風情である。
秋月さんらは、
どうやら元気で生きてゆくだろう。
あんなにしぶとく、
元通りにイキイキしてるなんて、
私は思ってもみなかった。
どういうように慰めようかと、
考えながら行ったのだった。
「やっぱり、ある程度、
時間をおいて行ったから、よかってん」
と夫はいうが、
私はまたまた、感じていた。
私は「運命」と渡り合って負けたのである。
「へへへ、へへへ」
という「運命」氏の、
(してやったり)という笑い声をきく気がする。
しかしそれは、
いまの私には、
たいそう快くひびいたのである。
(了)