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ドキュメンタリー本vs映画「こんな夜更けにバナナかよ」

2019-01-27 18:51:17 | 


2018年も終わろうとしている時、一本の映画が公開された。
大泉洋主演「こんな夜更けにバナナかよ」で、
TVや映画館でも予告編をバンバン見かけた。
折しも夏頃から、
就労や外出が不可能な難病の人たちが、人と関わっていくために開発された
<分身ロボット>が、日本中の注目を集めていた。

偶然にも2018年という平成の終わりに、
長く閉ざされていた難病の人たちの自立や就労問題に、
スポットを当てたこの二つが世に出てきた。

いつもなら公開と同時に観に行くはずが、
この映画を観るなら、先ず原作を読んでから、、と決めた。

◇ドキュメンタリー本/渡辺一史「こんな夜更けにバナナかよ」◇

本屋の棚には、分厚い本とその半分くらいの本。
なぜか、、どちらも「こんな夜更けにバナナかよ」。

一つは小説風になっていて読みやすいが、もう一つは558頁。
分厚い方は介護用語・医学用語・福祉制度、
そして障害者自身が、
国に対して起こしたこれまでの行動が詳細に書かれており、
そこには
長く苦しい不屈の道のりが克明に書かれていた。

鹿野靖明氏の不治の病<筋ジストロフィー>発症は、
多感で不安定な思春期にさしかかった時だった。
親元を離れ、国の施設での生活が始った。
だが、
この施設での生活は、後の鹿野氏のトラウマとして深く根づくものだった。
それは、、
「すべてが時間と規則で決められ、夕食も4時、それ以降水分は摂れない」
「一生、ココを出れない」
「四人一部屋で、カーテンで仕切られた生活」
「外の人たちとの関わりがない、希望の見えない現実」を深く心に刻むことに。

施設や病院を嫌い、自らボランティアを募り、
24時間介護体制で自立生活を続けていくが、鹿野氏の病状は徐々に進行。

最終手段として人工呼吸器をつけた鹿野氏は、自立生活を諦めなかった。
自らの身体を使い、医療行為をボランティアにレクチャー。
医療行為は医療従事者しか行えないという縛りを、
ボランティアを家族同然という解釈と、自己責任という強い決意を背負うことで、
人工呼吸器の重度障害者が、
24時間365日
ボランティアのリレー介助で自立生活を再開。
これは、前例のない無謀とも言えることだった。

◇感情を超えた精神。。◇

それは決して順調とは言えず、
ボランティアたちの独白とも非難とも、達観ともいえる言葉が、
鹿野氏との間を繋ぐ介護記録のノートに記されている。

介護する人と介護される人の目線の違いもあるが、
鹿野氏の意思と強烈な自我に対し、
黒々とした怒りの塊を滾らせるボランティアと、
冷静に淡々とこなすボランティアに分かれていく。

障害者も自立生活をし、生きることに絶対妥協しない!態勢を貫く鹿野氏と
時間を割き、無償で介護に来ているボランティアの心の温度差は、
鹿野氏を暴力的な言動にさせ、
両者の精神的なダメージは大きくなり過ぎた。
鹿野氏とボランティアの心の隙間は埋まらない・・・かにも見えた。

その一方で、
激しい感情の揺れや摩擦を越えたボランティアは、
なぜか
鹿野氏の心と生活に寄り添うようになる。。

ケンカもするが、それはリクレーションのようなもので、
何年間も共に嵐の中を過ごした関係は深く強い絆に変っていた。

読み進めるにつれ、ビフォーアフターのようだった。
とりあえず時間があるから🎵と軽い気持ちや惰性で来ていたボランティアが、
いつの間にか、鹿野氏と<精神のしなやかさ>をもって向き合っていた。

去って行ったボランティアたちと違うのは、
とことん感情を晒し、本気で向かい合い、
その結果体得したモノが、感情を超えた精神のしなやかさだと感じた。

このことは鹿野氏もボランティアも全く予想もつかない産物だった。
その産物が、
その後の彼らの人生に大きな支柱になったのは、言うまでもない。

◇筋ジストロフィーと生きたい力
映画「こんな夜更けにバナナかよ」◇



当初、
鹿野氏は20歳までしか生きられない。。という診断を下される。

だが呼吸器をつけ、
自らの命をボランティアに託し、人集めに奔走する日々は42歳で閉じた。

24時間一人にならない生活。。は物凄いストレス、、
それを凌駕させたのが、人との関わりとコミュニケーションだと分かる。

鹿野氏は、それをやってみせることで、社会の一員として存在を示した。
日本では<何が出来ないか>がクローズアップされるが、
アメリカの福祉理念である<何が出来るか>を実践した。

映画では、政治的な事はほとんど触れられていないが、
人と関わることで、重度障害者が何が出来るか。。
障害者が社会の一員として存在する風景が普通にならなきゃいけない、、
この二つの精神を指し示しているのだと思う。

そして
前々回のブログで書いた<分身ロボット>は、
2018年、この二つ精神を実現させるため、心血が注がれたものだと改めて知らされた。


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2 コメント

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難病。。。 (kiyasume)
2019-02-04 21:08:55
私が親の経営する会社で働いていた頃、
会社の年配の人が筋肉が固まる病気になり、

2年ほど入院して居たのですが、
その後、病気になりながらも、暮らして行けないので、
会社に来て働いていました。

よく私に、筋肉が痛くなるとゼリー状の塗り薬を
塗ってくれと言って来ました。

その人は、病気になる前は、会社を半日勤務にして貰い、
半日は焼き鳥屋に修行に行って、焼き鳥のタレの仕込みを覚え、

自分の自宅を半分改装して、焼き鳥屋を始めました。
そんな矢先に、この病気に罹り2年入院をしていました。

そして職場に復帰して1年ちょっとで亡くなりました。

筋ジストロフィーとは違うけど、、
矢張り難病だったそうです。

映画観てみようと思います。
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映画の力 (gumrie)
2019-02-05 11:45:22
鹿野靖明氏は
決して立派な人ではない
けど
生きること。。が
鹿野氏の天命になり
必死に生きた

生きることは、生かされてることであり、
自分で取りに行かなければならない、、
それを知った映画でした
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