![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/6c/ef57d1edc174f6ae1b986d4310ccead2.jpg)
◇江戸の福寿草と蕗の薹◇
毎年、師走が近づくと欲しくなる花がある。
真冬の凍った土から短く突き出すちんちくりんの小さな蕾。
陽があたると、冬とは思えぬ真っ黄色の花を咲かせる。
見て🎵見てよ🎵と咲いていたのが、陽が翳ればあっという間に萎んでしまう。
冬の大地で咲いたり閉じたりと、なんだか忙しい山野草だ。
それが福寿草。。
そして
福と寿がつく、何ともめでたい名前ではないか。
なのに今は、
園芸店でも取り扱いは少なく、稀に見かけても値札を見てすごすごと帰る。
特に私好みの福寿草は緑色の花をつけ、それはそれは清楚で愛らしい。。
ある日、江戸ものの小説を読んでいると福寿草が出てきた。
しかも花売りの棒手振りが、天秤棒に担いで売り歩く。
『福寿草~いらんかえ~~~」と。
必死になって棒手振りの声のする方を探す。
やっとのことで見つけ、
若い奉公人や下足番のお爺さんが貯めて置いたお金で福寿草を買う。
江戸は沢山の売り子が練り歩くが、花売りの棒手振りは人気があった。
中でも、桃色の芝桜や紫の紫式部は大人気。
女の棒手振りから、若い母親が買おうとしている浮世絵。
↓梅の鉢の下の小さな鉢三つが、福寿草。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/fb/77b3aa99b5b90ce7731eea161b8cff15.jpg)
↓雪の中から花を咲かせる福寿草
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8a/9bc6ac03e346b56b6bedf4b52a21667d.jpg)
↓寒さの残る春に食べる蕗の薹
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5a/5e2d13f67ffcda82489255f6193dda23.jpg)
蕾の時は福寿草も蕗の薹も緑色。
江戸時代の料理屋の庭には、福寿草は絶対植えなかった。
食材の蕗の薹なども植えてあるため、間違えて調理する事故がしばし起きた。
万が一、客が福寿草を食べてしまうと死に至るほどの毒を含んでいたからだった。
それでも江戸の町では縁起いい贈り物として大人気だった。
町民から武士まで江戸中の者たちが、花を咲かせる魅力に取り憑かれた。
その大きな原動力になったのが、綺麗な植木鉢と花売りの棒手振りだった。
鉢に入れることで運搬が楽になったのが、広まるキッカケに。
庶民が鉢植えで路地を飾れば、吉原遊郭は粋で豪奢に花木を飾った。
多くの大名屋敷は競うように珍しい花木を植え、
江戸城の庭は将軍たちが夢中になった花木で埋められていた。
江戸の町は、九割近くが人の手によって緑で埋め尽くされ、
江戸っ子の園芸熱と美意識が<花のお江戸>を作っていった。
◇幻想の世界を作る花木 吉原遊郭◇
帯表紙は吉原遊郭の桜の絵。
吉原は幕臣・大名なども来るほどの遊郭。
花魁は吉原の宝。
花魁とのランデブーは城が傾くと云われたほど。
吉原の遊女は3000~5000人。
大枚はたいて来るお客に、吉原は幻想的な世界を創り上げた。
仲通りに
春は淡い桃色の桜、初夏は紫の花菖蒲、秋は色とりどりの菊、正月は松飾り。
いづれも花が散る前に、全て撤去。
その費用は何千万円もかかった。
この時代の花師の技術は、相当な水準に達していた。
だが
吉原の見事な桜に関しては、どんな植え込み方法をしたかは不明だと云われている。
◇将軍たちの園芸熱◇
三代将軍/徳川家光のララバイ♫その①で触れた<盆栽溺愛>は、
大久保彦左衛門の一喝では収まらなかった。
吹上御殿を花尽くしにし、珍しい植木や鉢物で埋め尽くした。
そんな噂は直ぐに広まり、将軍の花が欲しいと狙う輩まで出る。
このため花泥棒のための監視要員の武士を何人も置き、昼夜問わず見張らせた。
家光クンは、どこまでも家光クンだったのが分かる事実だ。
そして
五代将軍綱吉の「生類憐みの令」で、釣りと狩りが禁止。
コレが、江戸中の者たちが園芸へ傾倒する大きな一因へ。。
止めが
八代吉宗はん。。
飛鳥山にどっさり桜を植え、予算がないため江戸の町にはポツンポツンと植えた。
お花見を奨励し、夜桜見物も奨励。
新しいイベントや粋なものが大好きな江戸っ子が飛びつかない筈がない、、
瞬く間にお花見は、
仮装や宴会・歓迎会・町内会とコミュニケーションの大イベントになる。
遠出の花見は年寄が行けないため、ポツポツの桜の間に自分たちの桜を植え始めた。
小さな苗木が成長すると、自分たちの桜の下でお花見をする。
幕府がキッカケで、庶民が花咲か爺さんになった。
なんともお見事な町つくりとなった。
<余談>
お武家さんたちは、へんてこな植物を好んだ。
コレヲ「奇品」と呼ばれ、福寿草は奇品にされていた(;・∀・)
過熱する武士の中には、
屋敷の庭に温室風を作り、サークルを立ち上げ、学問的に究める者もいたと。
「小おもと」の錦絵。
鉢がなんとも素敵!!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a8/021689393dd4e3f540a5ddea858ecfb3.jpg)
天下泰平は退屈かもしれないが、ゆるい時間が齎すのは熟成というスキル。
そして人の美意識の豊かさだと、、知った江戸の園芸だった。
**返信です**
mobileさんへ
変化咲きは大変らしい、、と
原種に戻りやすいようですね(◎_◎;)
来年は朝顔市に行こうと目論んでますよ~~
団十郎を育ててみたいです🎵
鈴木さんへ
こちらこそありがとうございます。
湯やは談話室みたいな広場かもしれないですね。
腰痛になってからは、結構気に入ってます(*´ω`)
あんてろーぶさんへ
ご縁があればと云わずに
どうぞお越しください
よろしゅう( *´艸`)
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あすからは 花がさきんすと 文がくる
花さえも 盛りがすぎると おかぬとこ
昔々、「さんだらぼっち」(作・石森章太郎)という、吉原の掛け取りを題材にしたマンガで覚えた二句。(汗)
色鮮やかな朝顔の中で茶色は逆に目立ちます。
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