3月24日 朝
東寺の講堂に入る。大日如来を中心に21体の諸仏による立体曼荼羅の世界が広がる。
空海の世界観である胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅を具現化した世界についての解釈は研究者により各論ありまだまだ新解釈が出てくるようであるが、僕らはその前で沈黙するしかない。おそらく空海はしっかりと諸仏をその目で見て、そのままを仏師に制作させたのだと思う。密教における根本佛の大日如来の絶対的な智慧が諸如来、諸菩薩、更に5大明王に変化し衆生を救済し、衆生もまた菩提心をもって悟りへと向かう金剛界も真理であり、夫々の諸仏ありきの仏の大慈を表した胎蔵界もまた真理で、釈迦と同じ宇宙即我の境地を体得した空海が見た(理解した)世界を1200年後の僕らも見ることが出来るのである。
金堂に入ると、本尊の薬師如来の左右に日光・月光菩薩像が安置されている。空海が鎮護国家の目的で作ったとされているが、宗教心を失った多くの現代日本人にとって平安時代の国家を想像してみることは良いことだ。国が仏を信じた健全な精神の時代の国造りは今よりも租税負担も少なく私たちが思っている以上に良い時代ではなかったのか。ちなみに日光・月光両菩薩の足元まで近づき、見上げてみれば驚きます。菩薩像は半眼が多いですが、今回その意味が良くわかりました。美しい日光菩薩と千数百年の間、人々は何を語っていたのでしょうか。優雅な月光菩薩から何を語られていたのでしょうか。仏像はじめ美術品を鑑賞するというのはよく見て体得し我が物とする第2の創作でもあるのだが、金堂でそういったことよりも直に御仏の慈悲を感得する場となっています。これより先我々は日光菩薩に見つめられながら生きていくことになるのです。
もう一つ東寺で重要な仏像に巨大な千手観音菩薩像があります。見るものを威圧する姿は畏れ多くも慈悲に溢れたお姿です。一般の高齢のご婦人が一人一心に真言を唱えていたのですが、声明が周りを包み込み遠い時代と思われていた仏を信ずる力というものが千手観音菩薩のお力で蘇ってくるような気がしました。
東寺五重塔は、世界で最も美しい木造建築であるが彼岸を過ぎても肌寒い雨交じりの日、
早咲きの河津桜が満開で、コントラストが美しかった。この河津桜を地元の方は「氷桜」と呼んでいたが、桜も多くが京から日本各地に発信されたものであるので、氷桜という名前の方がふさわしいと思った。