感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

蓼科山遠景

2007年01月22日 | 雑記


姨捨山を右に見て更に進むと、坂城町に入ります。
途中 千曲川に架かる橋の向こうに 遠く霞んだ蓼科山が見えました。
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姨捨山伝説

2007年01月21日 | 雑記




冠着山(かむりきやま)…別名「姨捨山(おばすてやま)」です。
長野市から上山田温泉方面に向かう道すがら千曲川を挟んだ対岸に見える山並の
一部に、頂の下に猪の牙のような小さな岩が目印となります。
平安の御世から大和物語、今昔物語などにも登場し、また月見の名所として松尾芭蕉も
この山にかかる中秋の名月を見にきたそうです。麓には斜面にへばりつくようにいくつも
作られた棚田の水面に映る月が「田毎の月」として有名です。
山に囲まれた信州でも山そのものは標高もそれほど高くなく(1200m程度)
目立つ山でもなく、隣市へ行くと全く人々の口にもあがらない山です。
けれども姨捨山の名前だけは、姨捨伝説とそれを題材にした深沢七郎の名作「楢山節考」
で、大変有名で、実際にそのモデルとなっている山がほんの近くにあることや
まして家から見える山(家からも見えます)であることは、私の住んでいる地域の人々
はほとんど知らない。
そんな知名度だけが優先している例がもうひとつ。
松谷みよ子さんの児童文学の「龍の子太郎」ですが、こちらも全国で知らない人はいない
ほど有名な伝説ですが、これも私の住んでいる市内(山の方)に残る伝説が元となって
います。でも同じ市内でこれを知っている人は大変少ないです。

姨捨伝説にはいくつかの説話があるようですが、
飢饉が続き食べるものも無かった時代、60歳になった年にはそのお年よりを姨捨山
に捨てに行くきまりがあり、村人は従っていたのですが、ある若者はどうしてもそれが
出来ず、一度山へ母親を連れて行くが、翌日には迎えに行き人目のつかない場所に隠し
ます。その頃殿様の所に難題が起こっていました。3つの難しい問題を解かないと
その国が滅ぼされるとのことでした。けれども国中のだれもが解けない問題を、その
老婆が簡単に解いてしまいます。その話を聞いた殿様は改心して、以降お年寄りを
大切にし、尊ぶようになったそうです。
深沢七郎の「楢山節考」はこの伝説を感動的に蘇らせた名作で、是非沢山の人に、特に
子供達が大人になる前に読んでもらいたい作品です。

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冬の縁日

2007年01月08日 | 雑記
毎年正月7日から8日にかけて、近くのお寺(除夜の鐘のところ)で大規模の縁日が
開かれます。メインはだるま市ですが、おびただしい屋台が三方から繋がる参道の両脇
にならび、近隣はもちろん県内外からも沢山の参拝客が訪れます。
もちろん近所の子供から若者達も一斉にやってきます。(ほんと極寒の中)

だるまは高崎の業者の方ですが、来週は隣町でやはり「おたや祭り」があり、毎週
こちらで市を開いています。新年のだるま市は2月初旬、佐久市の鼻顔稲荷の縁日で
最終となります。





いつもは本堂内にいる「花まつり」の時の白い像も外に出され寒そうにしていました。
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窓の雪

2007年01月07日 | 雑記


昨日降った雪が、今朝は凍りついています。
今日は大荒れの天気のようですね。
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大雪

2007年01月06日 | 雑記

朝起きると雪が降りていました。積もりそうです。

 

 

 

もんじゃが雪を見るのは初めてなので、めずらしそうに見ています。

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元日

2007年01月01日 | 雑記
軽井沢プリンスです。あたたかい元日です。
軽井沢駅周辺は離山の影となり浅間山がよく見えません。

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除夜の鐘

2007年01月01日 | 雑記
明けましておめでとうございます。

近くのお寺に2年参りに行き、除夜の鐘を鳴らしてきました。
願いを込めて力いっぱい叩く方、静かに鳴らす方。
気をつけて聴いていると、同じ鐘を叩くのにも、一人として同じ音色はありません。
力を入れすぎると鐘の音が割れてしまい、弱すぎても響きが濁ります。
何事も中程がいいとは、仏説にある言葉ですが、
願いが強過ぎると音は下に響き、心に曇りがあると、音も澱んでいるような気がします。
いくら叩いても百八つの煩悩は飛んで行きません。
美しい心を持つ人の音だけが天まで届き、そうでない方の音は、どんなに強く叩いても
自分に戻ってくるだけです。

そんな事を考えながら夜道を歩いてくると、満天の星空に北斗七星が一際大きく輝いていました。




  
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