(スポーツドクター 辻秀一さんの講演会レビューです)
「好きなことを考える」幸いなことにこれについてはよく知っている。「自分の好き」で満ち溢れている友人が何人かいる。この友人達と話す時は完全にストレスフリーで、友人の幸せが私にも伝染してくる。知識を披露する時にも「すごいでしょう」や何のマウンティングもなく、ただ「自分の好き」を基に話してくれるので何の嫌味もない。「この人を切り刻んだらきっとどの断片からも『自分の好き』が溢れてくるに違いない」といつも思う。自分が私の頭の中で切り刻まれていることを知らぬ友人は、物静かでいつも自分の好きに歓喜しながらとても幸せそうだ。これからも幸せでいて欲しい。
こうしたライフスキルの思考習慣が自分という内部環境を整え、「整えたらするべきことをする」「するべきこと」?後半の「守りのメントレ」では自己存在感つまり自分らしさについて語られた。「自己肯定感」ではない。自己肯定感は自己を高めようとするものだから終わりもないし、そこには自分らしさもない。究極の自分らしさは命であり、自分の内にあるものだと辻氏はいう。自分の中にある「ある」を知り、唯一無二の自分に価値を感じるのが自己存在感だと。唯一無二の自分とは何だろう?自分の感情、自分の好き、自分のごきげんの価値、自分の目的、自分のあり方。こうしたものを感じ、見つめて気づくことだ。私はこれと同じことをどこかで何度か聞いている。
「自分の人生を全うすること」「ただ自分でありさえすればそれだけで良い」横田南嶺老師(鎌倉円覚寺管長)の講演から私はそうしたメッセージを汲み取った。だから「自分とは何者なのか」「何のためにそれをするのか」を考える。恐らくこの世の真理なのだろう。自分の外に何かがなくても、既に自分の中に「自分」をもっている。辻氏は「思考習慣が自分」という。自分を作るものは思考習慣。だからクヨクヨ、イライラに代表される不機嫌なことで頭と心が満たされていると「自分」が不機嫌な人間になってしまう。大変だ。不機嫌には速攻ご退出願わねばなるまい。それからSNSをある程度締め出すことが必要となりそうだ。あの中にいると時として自分を見失いそうになるから。頭で理解していても時に実現が難しくもあるけれど、それでも自分の人生を歩むためには自分でごきげんを作り出していた方が良い。選択して実行する。型から入るのでもそのうちには結果もついてきてごきげんになれるだろう。辻氏は上機嫌かつ笑顔で講演をしていた。
Sofia IivarinenによるPixabayからの画像
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(スポーツドクター 辻秀一さんの講演会レビューです)
その日の私は体調不良ほかストレスの暴風雨の中にいた。感情が自分を乗っ取ると良い成果は出ないことをもちろん知っている。これまで様々な本を読んだりマインドフルネスや禅も学んだりしたけれど道半ば。感情に乗っ取られることもまだまだ多い。講演の日もまさにそんな状態で、辻秀一氏が提唱する「ごきげんの海」に移行する必要性を誰よりも感じていたので「待ってました」とばかりに会場へ(体を引きずるようにして)向かった。
辻氏はなぜ「心とパフォーマンス」「心を整える」ことを扱うようになったかを丁寧に説明した。その理由のひとつは「Quality of Life(生活、人生の質)を決めるのは心」であることに気づいたこと、また言及されたようなご本人だけでなく参加者の多くもオウム真理教事件などが問題となった90年代を知る世代だったこともあるだろう。この世代にとり内観や「心を整える」はある種の警戒心を伴う言葉だ。さらに現代がスマートフォンにより外界と過剰に接着した「認知が暴走している状態」ということも理由にある。
講演は大きく二つによって構成された。「攻めのメントレ ~セルフマネジメント~」と「守りのメントレ ~自己存在感~」そのどちらにも共通しているのは自分の心(感情)をしっかり見つめることだった。「攻めのメントレ」ではライフスキルの思考として以下の8項目が挙げられた。
・感情に気づく
・ご機嫌の価値を考える
・「今を生きる」を考える
・「一生懸命は楽しい」と考える
・ありがたいと考える
・自己ツールを大切にする
・好きなことを考える
・目的を考える(内発的動機)
「感情に気づく」はまずは自分が今どんな感情にあるかを見つめ言語化して気づくことだ。言語化して気づくことで対応することもできるだろう。自分の感情を言語化することができない人が結構いるとのことで、これには驚いた。(「ボーナスをもらった時」と答える人もいるそうでかなりショックを受けた。このように答えた人の職業や属性に大変興味がある。)
「ありがたいと気づく」私はこの言葉を多くの本の中に見つけている。感謝することの重要性はわかるようでいて、しかしこの文脈で語られる時にはいま一つよくわからないものだった。道徳的な重要性はともかくなぜこの文脈で感謝することが大事なのだろう?辻氏は「他人に何かをしてもらった時に『ありがとう』と言いなさいと私たちは習うけれども、何かしてもらわなくても『ありがとう』という。『ありがとう』という時にはまず自分の耳にそれが聞こえる」つまり『ありがとう』と言うことで既にあるものに対して、または自分を取り巻くすべてを前向きに積極的にとらえる姿勢ができるということなのだろう。もしこの理解が正しければ私は「ありがとう」の意味と力を明確な形で捉えることがようやくできたようだ。これは私にとって大変幸せでそれこそありがたいことだった。
(「ごきげんになりたい 2」へ続く)
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韓国大統領が来日した。シャトル外交が再開されてまことに結構な話である。
隣の国同士、できるだけ仲良くするに越したことはない。ぎょうてんも嬉しい気持ちでニュースを見ていた。で、とても気になってしまった。視聴者の多くが気になったと思う。そう、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領夫人である金建希(キム・ゴニ)さんだ。61歳の尹大統領の妻にしては妙に若くはないか。妙に美しくはないか。いや美しいのはいいのだけれど、様々な「憶測」を呼ぶタイプの美女ですよね。
(画像出典 内閣広報室)
韓国の「お直し文化」は美容に積極的な現れなのであって、これは良し悪しでなく単純に文化の違いである。韓国留学をしたとある男性によると「高校までは普通にブスがいるんだけど大学に行くと美人しかいなくなる」とのことである。ぎょうてんは韓国に友人知人が多いので、このコメントが極端ということは承知しているもののお直しが盛んなんだろうなーと感じる意見ではある。ソウルの道行く人を見るとまったくの自然顔もいればパーツお直し系もいる。キュートな個性になっている人もいる。いずれにしても文化的に受容されていて本人が前向きに幸せであれば悪いことではないと思う。
が、金建希さんの場合はお直しの方向が何と言おうか、CAとも違う、全顔バービー系のいわば「様々な憶測を呼びがちな美女」に完全に向いているのだ。「この二人どこで出会ったんだろう」「どんな仕事してたの?」「尹大統領って何回目の結婚なの?」などの「周囲に憶測を呼びがちな美女」を指す。本人には迷惑な話だろう…。
ネットで調べてみるとやはり同様の疑問を持つ人は多いようで経歴が出ていた。夫である尹大統領とは12歳の年の差で、共通の知人である僧侶の紹介で出会ったが合コン出会い説も未だに根強いそうだ。(何となく頷ける。)芸術系企画会社を経営していて美術にも経営にも強いとか。尹氏が大統領選の時には夫人の経歴詐称で謝罪会見まで開いた。その時の評価が記事によっては「かえって反発を買った」とも書いたものもあれば「好感度アップ」というのもある。この点の真実は1度現地にいた人に聞いてみたい。一説には10万人ともいわれる会員数を誇るファンクラブがあるそうな。夫婦二人の映画鑑賞の報道も、普通の政治家夫婦なら何てこともない光景なのに「疑惑の二人」的なタイトルをつけたくなる、妙に気になる図柄となっている。
そして尹氏のプロポーズの言葉が「君のご飯を毎日作ってあげる」というものだったとかで、その記事を読んだ読者は「へえー検事といえども結構甘ったるい事言ってるんだ」とますます好奇心をそそり憶測を呼ぶようなエピソードが紹介されていた。
(「憶測を呼ぶ妻2」へ続く。)