安倍元総理が亡くなった。それも衝撃的な亡くなり方で。その後、次々と明らかになる事実と報道を見るにつけて思う。「あと数か月遅かったら。」安部さんの死ではない。コラムニスト小田嶋隆先生のことである。「小田嶋先生なら、この事件をどう分析してコラムにするか。」それを読みたかった。先生は6月24日病気で亡くなられた。
ぎょうてんは小田嶋先生の文章講座に通っていたので、ここ数年の「自分の頭の中を最もよく理解している人」として同先生を位置づけている。稀代のコラムニストとして評されているだけに「読み手」としても素晴らしく、書き手の意図をきれいに、そして素晴らしく読み解かれる。時に書き手の意図した以上に知的な解釈をされ、大いに冷や汗をかいてことも一度ならずある。良心の呵責に耐えかねて「いえ、単にそう思ったからで…。」細々と答えると「え?」と固まってしまわれるのを見るのがまた辛く、何だか気の毒になって数度に一度は「はい、そうです。」と書き手本人が思いもしなかった、先生の知的な解釈を肯定する返事をしたものである。(これも辛い。)
ちなみに小田嶋先生はぎょうてんの「命懸け」が大層気に入り、「この課題を出した意味があったよ。」と言われた。(これは自慢。)
文章講座であるからして書き手への指導はあるけれど、書き手それぞれの着眼点や文章を認めるやり方をとられた。なかにはいかにも独りよがりの、俗に「ポエム」と揶揄されるような文章もあったものの、そうしたものには上手に距離を置いて注意深い言葉で控えめな、けれども実に冷静で的を得た指摘をされる。さすがに熟練した一流の書き手そして大人であるが故、のぼせ上がった頭とのつき合い方はこなれている。一流のコラムニストとして、また炎上を何度も経験したツイート主として、その辺りは巧みかつ書き手としてのしたたかさがちらりちらりと見えたものだ。
一方で大変に思いやりのある人だったことも強調しておきたい。コラムで誰かを厳しく批判しているのを読むと「怖い人」「斜に構えた人」のように思われるかもしれない。けれど実際話をすると、驚くほどの思いやりを示される人だ。内田樹さんがツイッターで小田嶋先生を「礼儀正しい」と評されるのを読んで心から賛同した。私が親知らずを抜いたと話した時「良い病院がある」と口にされたことがあった。その時は深く尋ねることもなかったがその後経過が悪く紹介をお願いしたところ、すぐにメールの返信があり予約の取り方に至るまで、事細かに説明してくれるのだ。こちらはもう恐縮することしきりである。この気遣いのありようと細やかさがコラムニストとしての読者を掴んでいるのだろう。冷静な観察眼と文章力だけではない。読者と社会への思いやりがコラムの根っこにあった。それがコラムニスト小田嶋隆の文章だ。
個人的な話をすれば、ぎょうてんは実に厚かましいお願いをした。遺作となる『東京四次元紀行』の連載が雑誌で始まった頃のことだ。自分の住んでいる区の名を挙げて「その時に私のことを書いて下さい。」と言ったのだ。周囲は「えーっ。」と仰天。さすがに遠慮のかけらくらいはあるから「主人公だなんて贅沢は言いません。通行人とか、『自分を書くようにと言われた。しかし書くつもりはない』、その程度で結構です。」と一応の遠慮を示した。でもさすがに書いてもらうならそれなりの注文はあったので「ここが大事なんですけど、必ずハッピーエンドにして下さい。」ささやかな幸せを願うぎょうてんなのである。
遂に連載中、ぎょうてんの住まう区が登場した。その回の主人公は女性だけれど内容についてはぎょうてんの事かはわからない。でも挿絵には心なしかぎょうてんに似た女性の姿がある。別の区の話にも登場する女性で、最後に幸せになるかは不明。これもまたぎょうてんの依頼と関係しているかは不明だけれど、ただ語り手は女性の未来についてこんな風に推測している箇所がある。
「どこかで幸せに暮らしているはずだ。
彼女には幸福になる権利と、なによりその気概がある。」
ありがとう小田嶋先生。