ぎょうてんの仰天日記

日々起きる仰天するような、ほっとするような出来事のあれこれ。

モイセーエフバレエ団来日公演1

2022-10-22 23:49:47 | コラム

27年ぶりの来日公演のチケットを2年前に購入した。けれどもコロナ禍で2度の延期を経てようやく今週、公演2日目に観ることができた。

初日の新宿文化センターの公演はロシア国営放送やNHKの取材も入り、なかなかに賑やかだったようである。2日目の目黒パーシモンホールの受付やロビーの様子は人数こそ多いけれど予想していたDVDの販売や各種グッズ販売などはなくてかなり当てが外れた。パンフレットも「もう少しページが多くてもいいよね。」と思うほど。花や差し入れは受付で預ける仕組みになっているがそれ専用のスタッフがいるのでもなく、観客がそのままテーブルの上に置いておくだけだった。

 

思うに27年ぶり、日本での知名度はそれほどでもない中で、もともとアットホームな感じでの公演スタイルだったのがウクライナとの戦争で公演が妙に緊張感漂うものになってしまったのかもしれない。とはいえ、観客はとても嬉しそうにしていた。ロシア人と思しき人たちも4割くらい(?)いて会場はほぼ満席に近い。そこへアナウンスが流れ「1メートルほどの間隔を空けて下さるように…」とお願いをしている。どう考えても実現不可能なお願いでアナウンスに意味があるのか疑問なほど客席は埋まっていた。

 

公演内容はかなり控えめにいっても「素晴らしい」の一言だ。洗練された動き、確かな技術、華やかさ、美しさ。モイセーエフバレエ団は正しくはバレエではなく、NHKニュース風に表現すると「『民俗舞踊団』、古典バレエと民俗舞踊を融合させた」舞踊でクラシックバレエのキャラクターダンスに近い。今回もロシアに限らずメキシコやギリシア、スペインなど世界各国の民俗舞踊を披露してくれた。

 

私が心から楽しみにしていたのはブログで何度か紹介した「カルムイク・ダンス」(Kalmyk Dance(前編)(後編))である。残念ながら素晴らしい踊り手だったラミール・メクディエフ(Ramil Mekhdiev)は同バレエ団を一昨年退団してしまい、今はソロで活動している。(ロシア国営放送の「大小」にレギュラー出演中。)今回の踊り手もまた素晴らしかった。メイクの関係もあるのだろうが「鷲メイク」(以前「ハヤブサ」と訳したが今回公演のプログラムで『鷲』と訳されていたので今後はそれに倣う。)でツンとした表情を作っていたので一瞬ラミール・メクディエフにも見える。(ファンとしては幸せなことに。)それはともかく新しい踊り手も素晴らしかった。

凛とした鷲の佇まい、素早い身のこなし、鷲が獲物を急襲し突く様子など十分に表現していた。同じメロディーの繰り返しの中で繰り広げられる美しいターンの数々、魅惑的なステップ。そしてそこから浮かび上がるカルムイクの大地。きっとこれからも成長し悠久の時を刻み続けていくだろう。

 

私自身とても驚いたことにあんなにも待ち焦がれていたカルムイク・ダンスなのに、コラムを書いたほどなのに、帰宅時の心の中でこのダンスが占める割合がそれほど多くないことに気づいた。なぜなら他の演目も素晴らしかったから。

(モイセーエフバレエ団来日公演2へ続く)

 


追悼 コラムニスト小田嶋隆先生

2022-08-17 13:12:51 | コラム

安倍元総理が亡くなった。それも衝撃的な亡くなり方で。その後、次々と明らかになる事実と報道を見るにつけて思う。「あと数か月遅かったら。」安部さんの死ではない。コラムニスト小田嶋隆先生のことである。「小田嶋先生なら、この事件をどう分析してコラムにするか。」それを読みたかった。先生は6月24日病気で亡くなられた。

 

ぎょうてんは小田嶋先生の文章講座に通っていたので、ここ数年の「自分の頭の中を最もよく理解している人」として同先生を位置づけている。稀代のコラムニストとして評されているだけに「読み手」としても素晴らしく、書き手の意図をきれいに、そして素晴らしく読み解かれる。時に書き手の意図した以上に知的な解釈をされ、大いに冷や汗をかいてことも一度ならずある。良心の呵責に耐えかねて「いえ、単にそう思ったからで…。」細々と答えると「え?」と固まってしまわれるのを見るのがまた辛く、何だか気の毒になって数度に一度は「はい、そうです。」と書き手本人が思いもしなかった、先生の知的な解釈を肯定する返事をしたものである。(これも辛い。)

ちなみに小田嶋先生はぎょうてんの「命懸け」が大層気に入り、「この課題を出した意味があったよ。」と言われた。(これは自慢。)

 

文章講座であるからして書き手への指導はあるけれど、書き手それぞれの着眼点や文章を認めるやり方をとられた。なかにはいかにも独りよがりの、俗に「ポエム」と揶揄されるような文章もあったものの、そうしたものには上手に距離を置いて注意深い言葉で控えめな、けれども実に冷静で的を得た指摘をされる。さすがに熟練した一流の書き手そして大人であるが故、のぼせ上がった頭とのつき合い方はこなれている。一流のコラムニストとして、また炎上を何度も経験したツイート主として、その辺りは巧みかつ書き手としてのしたたかさがちらりちらりと見えたものだ。

 

一方で大変に思いやりのある人だったことも強調しておきたい。コラムで誰かを厳しく批判しているのを読むと「怖い人」「斜に構えた人」のように思われるかもしれない。けれど実際話をすると、驚くほどの思いやりを示される人だ。内田樹さんがツイッターで小田嶋先生を「礼儀正しい」と評されるのを読んで心から賛同した。私が親知らずを抜いたと話した時「良い病院がある」と口にされたことがあった。その時は深く尋ねることもなかったがその後経過が悪く紹介をお願いしたところ、すぐにメールの返信があり予約の取り方に至るまで、事細かに説明してくれるのだ。こちらはもう恐縮することしきりである。この気遣いのありようと細やかさがコラムニストとしての読者を掴んでいるのだろう。冷静な観察眼と文章力だけではない。読者と社会への思いやりがコラムの根っこにあった。それがコラムニスト小田嶋隆の文章だ。

 

個人的な話をすれば、ぎょうてんは実に厚かましいお願いをした。遺作となる『東京四次元紀行』の連載が雑誌で始まった頃のことだ。自分の住んでいる区の名を挙げて「その時に私のことを書いて下さい。」と言ったのだ。周囲は「えーっ。」と仰天。さすがに遠慮のかけらくらいはあるから「主人公だなんて贅沢は言いません。通行人とか、『自分を書くようにと言われた。しかし書くつもりはない』、その程度で結構です。」と一応の遠慮を示した。でもさすがに書いてもらうならそれなりの注文はあったので「ここが大事なんですけど、必ずハッピーエンドにして下さい。」ささやかな幸せを願うぎょうてんなのである。

 

遂に連載中、ぎょうてんの住まう区が登場した。その回の主人公は女性だけれど内容についてはぎょうてんの事かはわからない。でも挿絵には心なしかぎょうてんに似た女性の姿がある。別の区の話にも登場する女性で、最後に幸せになるかは不明。これもまたぎょうてんの依頼と関係しているかは不明だけれど、ただ語り手は女性の未来についてこんな風に推測している箇所がある。

「どこかで幸せに暮らしているはずだ。

彼女には幸福になる権利と、なによりその気概がある。」

 

ありがとう小田嶋先生。

 


ウクライナ問題

2022-03-02 17:32:33 | コラム
ウクライナ問題について識者から話を伺う。

歴史的な事、民族、文化、社会の成り立ちのありよう、最近の政治や他国との国際関係や思惑、日本で報道されていない事、そうした事があるから単純な善悪では判断できない事がわかる。

様々な事を踏まえた上で自分の判断をしないといけないのですね。

物事の判断の仕方というより、「判断に至るまでに為すべき事」を学んだ感じです。(膨大な知識量でした…。)
改めて難しい…。


ウクライナに平和を