(5歳くらいの時でしょうか?)
今日はちょっと硬い話になります。
私は団塊の世代で、1948年生まれです。
何しろ同世代が多いのです。
戦後のベビーブーム・受験戦争・就職戦争・結婚ラッシュ?・バブル・崩壊・景気の低迷・・・。すべてが競争社会の出来事でした。
そして大量退職者時代が始まります。
この間、いろいろな場面を経験し突き進んで、何ごとにも精一杯やる人間が多かったですね
それが団塊の世代のキャラクターを作っているのかも知れません。
時代の流れの中で、バブル崩壊後は社会情勢やモノの考え方まで変化してきました。
怒涛の流れと猛スピードで走ってきた我々は、ここに来て大きな壁にぶつかりました。
(二十歳くらいの時です)
何ごとも徹底して、とことんやろうとするエネルギーそれ自体は、人間にとって貴重なものだと思います。
しかしそこには、このまま続けていると地球ゴマのように回転していなしと(頑張っていないと)と倒れたり壊れたりすることは明らかです。
例えば、腹いっぱいに食べると体の動きも、頭の働きも悪くなるように、常に何がなんでも目いっぱい追求しやろうとすると、考え方の柔軟性が失われ、生活にも飽き・疲れがでて消耗していくのでしょう。
もう青年のように勇猛果敢な力を持った立場ではないのですから、中年のしぶとさを出して、いぶし銀のような輝きでの生き方をしたいものです。
あれもこれもやるのではなく、何かを捨てる積極的さが重要なのでしょう。
二十歳で美しく、三十歳で強くなり、四十歳で賢くなり、五十歳でそれなりの財産を持つ。
けっして、がむしゃらに働けとか、人よりも偉くなれとか、お金を儲けよと言っている訳じゃありません。
人間は、つねに人生のその時々の自分を見すえ、与えられた良さをを自覚し、満足して生きるなら、理想の人生に到達できるとモノの本に記されていました。
要するに、年齢に応じて自分の力量を知って、日々何かに努力していれば、素敵な生き方になるのでしょうね。
こうなったら、今後の生活や方向性を見極めて、すこし余裕を持った生き方にシフトチェンジすることも大事かなと感じています。
今日は長文で硬い話になりました。
思うままに記させていただきました。
yuki 52
なんかこの一言に納得させられました
私もそうだなぁ・・
<余裕を持った生き方>
それが1番素敵ですね
今日大好きな元校長先生に会いました。
毎日「家事」をしてるよ、とわははと笑いながら話していました。
短歌集をだしたり、エッセイのようなものを書いたり、散歩、旅行、温泉、などなど・・
お忙しい毎日を楽しまれているようで、うらやましい気がしました。
そんな風に、私もなりたいと思いました。
こんな時間にコメント書いてます。
私はyukiさんより少し下の白けの世代と言われた年代なので、一生懸命と言う言葉に少し胡散臭さをかんじてしまうのです。
団塊の世代の方たちが求めて必死で抵抗して手に入れられなかったのを見て、私たちの年代は頭でっかちになり、庄司薫氏の言葉を借りれば、街頭派と机上派の机上派で、汗とか根性などと言う言葉は赤面するような風潮でした。
でも、今になって思うとあの年代に“一生懸命”を経験しなかったのはどこかに忘れ物をしてきたようなもどかしさを感じます。
日本の高度経済成長に勢いをつけその地位を頂点まで押し上げたのは団塊の世代の方たちですものね。
今、その年代の方たちが「動」から「静」に舵を取り直し本当の意味でのご自身の為の人生のまとめの段階に入るのでしょうね。
そういう意味では団塊の世代の方たちには叶いませんね。
yukiさんのカウントダウン一緒に数えます。
私も今日は硬いお話になりましたぁ~
人生って走り続けることかな?
止まってしまったら前に進めないような・・・
振り返ると走り過ぎた風景を思い浮かべるような
今と言う日をもがきながら 突っ走っているような感じかな?
ロックンローラーみたいな事を偉そうに書いちゃってごめんなさい
まだまだ 人生を語るには未熟者です
>何かに努力していれば、素敵な生き方になるのでしょうね
は共感できます
常に何かに対して 努力は惜しんではいけないですね
私の年齢・・・メタボリックシンドロームを気にするような年齢です
まだまだ強くなる段階の私です。
時に落ち込む時もあるのですが、こういう言葉を聞くと、まだまだ私は修行の身だなあと気持ちが引き締まります。
一生懸命って我が家の合言葉で。
夫もまだまだ異国の地で挑戦者の身です。
ふたりともyukiさんに倣い、楽をすることを考えず
前向きに懸命に生きてゆきたいです。
(↓今ダイビングスクールの書類の翻訳のバイトをしてます。私も一応ダイバーなんですよ。船酔いするダメダイバーですけど 笑)
欲しいもの・・心穏やかな優しい毎日・・って決めたのが40になった時でした
感謝して 自分に出来ることを工夫して楽しんでこつこつやって 大切な人のそばで穏やかに生きたい、と思って暮らしています
『満足して生きる』言葉の意味が深いですね。
がんばり過ぎて突っ走っていると、ふと立ち止まることがいけないことの様に感じてしまうのよね~
余裕がなくて、一番大切なものが見えなくなってしまうし。。。。
携わっていることを整理して切り捨てていくのも勇気がいることですよネ。
私は余裕というよりも「いい加減さ」も必要な気がしています。
そんな自分を許せる心の余裕があればいいなぁ
yukiさん、ステキな話題をありがとうございます