私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

もうこんな季節になった

2024年11月30日 | 自分のブログ

昨夜も良く寝ました。動き過ぎたせいかもしれません。

朝からこんなモノを、七輪で作っていました。

先ずは水にぬらして、アルミホイルで巻きます。

七輪に練炭を入れて火を点けました。

そのまま放置すると、良い香りがします。

美味しそうな石焼き芋が出来ました。

芋を焼いている間に、熱帯魚の水槽を洗います。

底の小石にはエサやフンが溜ったり、ガラス面が不透明になっています。

プラティー(熱帯魚)を移しての作業です。

あとは適温の温かい水を入れて、プラティーを戻しました。

濁りも無くなり、気持ち良さそうに泳いでいます。

次にレヴォーグの冬用タイヤ交換です。

スタッドレスタイヤも結構重く、後期高齢者がやる作業ではないと感じるくらいです。

でもこんな作業も楽しいものです。いつまでやるやら(できるやら)・・・。

3本の柿の木がありますが、実の付くのは2本で渋柿と甘柿です。

渋柿は皮を剥いて干し柿に、甘柿はそのまま吊るして熟すのを待ちます。

庭にシイタケの原木を置いていますが、今年もたくさん収穫出来ました。

こんな風に置いてあるだけです。野放し状態です。

もう少し離してみると、こんな景色?です。

デッキの上には、作った木鉢が雑然と置かれています。

収穫量が多いものですから、干しシイタケにもします。

少し遠景にすると、こんな庭になっています。パラソルの奥にシイタケが見えます。

あの突き当りまでが庭です。

反対側からの庭です。これも突き当りまでが庭で、結構掃除や剪定も大変ですね。

駐車場にでもしたいくらいですが、先代が残した石灯篭などがあります。

五葉松?を中心とした空池や松の向きなど配置は私の設計です。

夕刻6時からダンスのレッスンでした。普段は飲み始めている時間です。

基礎の基礎からのレッスンです。先ずは組み方(男性と女性の位置)、体の絞り?腰から下と上半身を分離したり、もう25年やっているのにこんな指導があります。

まぁ~後期高齢者の私と、前期高齢者最後の女房ですから良い運動だと思っています。

一日の間にここまで動ければ十分なのでしょう。

寝坊して、少し遅れてのアップになりました。

 

yuki76

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「会話が少なくなった団塊の世代」各世代の特徴

2024年11月29日 | 自分のブログ

日本の各世代には、それぞれ特有の社会的、文化的、経済的背景があり、それがその世代の特徴の中で暮らしていますが、特に(私)団塊の世代は会話が少なくなったと思っています。

団塊の世代(1947~1949年生まれ)

  • 背景: 第二次世界大戦後のベビーブームで生まれた世代。
  • 特徴:
    • 人口が多い: ベビーブームの象徴的な世代。
    • 私が行った公立中学校でも1学年で13クラスありました。同級生の顔など覚えていなく、窓ガラスなどは割られ荒れた中学時代でした。
    • 競争意識が強い:高校受験でも一番欲しかったモノが睡眠です。受検図書とにらめっこしながらオールナイトニッポンを聴いていつも睡眠不足になっていました。
    •  大学受験の競争が非常に激しかったのですが、オリンピック後で景気も上向き高望みしなければ就職先はたくさんありました。
    • 高度経済成長期を牽引: 戦後の経済復興とともに働き、高度経済成長を支えた世代です。
    • 特にバブル期を迎え、給料も倍々とあがり華やかな時代も経験しました。公共交通機関もスト決行中もありました。
    • その後、バブルの崩壊、リーマンショック、近年では新型コロナウィルスの発生、リモートワーク(在宅勤務)、そして定年退職(私は72歳まで働く)、友人との別れも多くなる、また75歳前後では親の介護や別れも、自分も認知症の心配を考え始める。
    • 価値観: 仕事第一努力主義が根付いているが、退職後は趣味や地域活動にも積極的参加する方としない方に分かれる。
    • 退職後の社会的影響: 2000年代以降の「団塊の世代の大量退職」は、社会保障や高齢化問題に大きな影響を与えた得ている
    • 主な特徴:

      • 戦後の人口爆発期に生まれる。
      • 経済成長期を支えた世代で、物質的な豊かさを追求。
      • 労働市場の主力として活躍し、会社への忠誠心が強い。
      • 社会運動(公民権運動、学生運動)やカウンターカルチャーの時代に影響を受ける。
    • キーワード: 高度経済成長、安定志向、競争社会

    • *******

その前に戦前・戦中・戦後を経験した世代をご紹介します。

戦前・戦中・戦後のサイレント・ジェネレーション です(1925~1945年頃生まれ)

団塊の世代の兄姉はこの世代で、いろいろな経験的知識を持ち合わせています。いろいろと教えてもらいました。

  • 主な特徴:

    • 第二次世界大戦や戦後復興期を経験。
    • 忍耐強く、伝統や規律を重視。
    • 質素な生活を送り、仕事に対して忠誠心が強い。
    • 技術に対する親和性は低い傾向。(アナログ思考で、デジタルには弱い傾向にある。スマホはなんとか使える方も多い)
    • 年齢的には80歳前後で、お一人さま暮らしの方が多い健康志向はあるものの、体力の衰えを感じている。
  • キーワード: 戦後復興、家族中心、勤勉。

*******

戦前・戦中・戦後世代の次に、下記のような世代もありました。

御笑覧いただいている方から、しらけ世代や新人類世代もあるのではないかとご質問がありました。結構重複している部分もありましたので飛ばしてしまいました。スミマセン!

  • 団塊世代
  • しらけ世:しらけ世代とは、団塊世代とバブル世代の間の世代のことを指します。現在日本の多くの組織で中枢を担っている人が多い世代です。
  • 新人類世代:新人類世代(59歳〜68歳前後の方)
    主な特徴としては、自身の子供と友達のような関係になりやすいことがあげられます。 高度経済成長期に育った世代であるため、消費意欲が高いのも特徴です。 しらけ世代と重なっていることから、個人を尊重する傾向もあります。
  • バブル世代
  • 団塊ジュニア世代
  • ミレニアル世代
  • さとり世代
  • ゆとり世代
  • Z世代

続いて団塊の世代にとっては、息子・娘たちの時代です。

団塊ジュニア世代(1971~1974年生まれ)

  • 背景: 団塊の世代の子供たちが生まれた時期で、第二次ベビーブームに当たる。
  • 特徴:
    • 教育熱心な環境: 多くの親が団塊世代で、教育への期待が高かった。
    • バブル崩壊の影響を受ける: 就職氷河期世代に直面し、非正規雇用の増加などの影響を強く受けた。
    • 価値観: 団塊の世代と比較して、安定志向や現実主義的な傾向が強い。
    •  

バブル世代/ロストジェネレーション(1980年代生まれ前後)

  • 背景: 1980年代のバブル経済期に青春を迎えた世代。
  • 特徴:
    • 豊かな消費文化: バブル期の贅沢なライフスタイルやファッション(ブランドブーム)を楽しんだ。
    • 就職環境の良さ: バブル期の恩恵で「売り手市場」とも呼ばれる就職環境に恵まれた。
    • 価値観: 楽観的で派手なライフスタイルを好む一方、バブル崩壊後に現実と向き合うことになった。

ゆとり世代 ジェネレーションX (1965~1980年頃生まれ)

  • 背景: バブル崩壊後の「就職氷河期」に成人を迎えた世代。
  • 特徴:
    • 非正規雇用の拡大: 正規雇用への道が厳しく、アルバイトや派遣などの不安定な雇用が多い。
    • 経済的不安: 結婚・子育てへの消極性が見られる。
    • 価値観: 個人主義的で、社会への期待が低め。

ミレニアル世代 (1981~1996年頃生まれ)

  • 主な特徴:

    • デジタルネイティブの始まり。インターネットの普及とともに育つ。
    • コミュニケーションはデジタルを中心とし、SNSが生活に密着。
    • 環境問題や社会的正義に関心が高い。
    • キャリアでは「意味のある仕事」や柔軟性を重視する。
  • キーワード: デジタルネイティブ、多様性、価値観重視。

  • 背景: ゆとり教育が実施された時期に育った世代。
  • 特徴:
    • 教育の影響: 詰め込み教育が見直され、余裕を持った学びを重視された。
    • 批判的な見方も: 「忍耐力がない」「競争心が薄い」といった批判があるが、柔軟性やバランス感覚に優れる。
    • 価値観: ワークライフバランスを重視し、無理をしない生き方を好む。

Z世代 ジェネレーションZ (1997~2012年頃生まれ)

以降総じてZ世代と呼ばれています。お孫さんたちはこの世代と呼ばれているのでしょう。

  • 主な特徴:

    • 完全なデジタルネイティブで、スマートフォンやSNSが日常的。
    • 環境や社会的問題への意識が高く、行動力がある。
    • 即応性を求め、短いコンテンツやリアルタイム性を好む(例:TikTok、ストーリーズ、Xなど)。
    • 働き方では自由さや柔軟性を重視。
    • キーワード: スマート世代、多文化主義、即時性。

 α世代(2010年以降生まれ)

 主な特徴: 

 背景: 生まれたときからAIやIoTが身近な存在。 

   完全なデジタルネイティブ: タブレットやAIとの接触が当たり前。             

   教育環境の進化: プログラミング教育や個別学習など、新しい学び方に対応。

   価値観: まだ成長中だが、これからの社会の中心となる世代。

  こんなに多くの世代と呼ばれるモノが有ったのですね。調べるのも大変でした。

私だけかも知れませんが、仕事人間中は多くの方々と会話していました。

しかし、今では会話する機会も少なくなったのが現状です。

いろいろな世代がありますので、話しも合わないのは当然です。NHKの紅白出場者も知らない方ばかり、デジタル社会からは置いてきぼりになり、寄る年波を感じ、近いうちに認知症と付き合うことになるのですから~。

こうなったら、開きなおって今が大事!幸せ!と思うしかありませんね。

 

yuki76

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カメラはフィルム式36枚撮りがスタートだった

2024年11月28日 | 自分のブログ

私が写真が趣味になったのは、父の影響が十分にあるかと思います。

押し入れを暗室代わりにして、幻灯機でフィルムから写し出される画像を印画紙に焼いている時代です。

カメラもいくつも持っていた父です。Nikon・コンタックス・マミヤなど・・・。

あの不思議な暗闇の世界で現像液に浮き出て来る場面は、私にとって貴重な思い出でした。

やがてスキューバダイビングが趣味となり、水中写真に興味を持ちました。

最初に買い求めたのは、水中専用のカメラ「ニコノス」です。

当時のことですから、もちろんアナログのフィルム式でした。

36枚撮って、気に入ったものが1枚あれば良い方です。

次に買い求めたのは、父のカメラ(NikonのF4?)をもらって、水中用のハウジングのネクサス(カメラを箱に入れるように包む)を注文しました。受注生産ですのでカメラより高価なものでした。

スピードライト(フラッシュ)も単1電池を6本も入れるものです。

水中カメラ機器のすべてに言えますが、完全密閉にしなくてはなりません。

蓋を開けてフイルムや電池交換などをする時は、防水のためにOリングに油を塗って、砂などが付着しないよう頭からタオルなどを被って慎重な作業でした。

フイルムは36枚撮りですが、少し爪に引っかけて37枚撮れるようにセットしていました。

そして、撮り方などを雑誌や先輩から学びますが、失敗の連続です。

今のようにデジタルカメラだと何百枚も取れるのでしょうが・・・。

水中は波の動きもあり、体を固定?(動きを止める)して、被写体に向かう必要があります。

当然、呼吸もピントが合うまで止めています。

全て手動設定です。その場所場所で異なります。

深く潜れば光が届かず暗い世界になり、水面近くは明るく泳ぐ魚も多くいます。

カメラ技術はありませんが、アングルとか撮り方を実践で学びました。

浮上(水面近く)した時に、良いアングルに出会います。

そんな時のために、36枚撮りでも2~3枚は残して置きます。

水中ではフィルム交換は出来ませんからね。

今ではデジタル式カメラが主流となり、PCでAI加工も出します。

少しくらいの失敗だって、AIが何とかしてくれます。

囲碁将棋だって、プロがAIから学んだり、勝負もしている時代です。

考えて見れば、私たちの生活はAIに囲まれているのでしょう。

フイルム式で撮った画像も、スキャンして取り込めばAIとつながります。

写真だけは、なんかこにこだわりがあるんですね。

明るさやトリミングなど最低限の加工は出来ますが、なるべく撮ったままの画像にしています。

それは、日常でデジタルカメラを使っている時も同じです。私はありのままの画像で良いんです。

スキューバダイビングをされている方は、こんな画像を見てどこだか直ぐに分かるのでしょう。

あっ、これはサイパンのグロッㇳだとか・・・。

これらの画像はAI加工していません。ありのままです。

そう、水中で呼吸するためのタンクを、酸素ボンベと言う方がいます。テレビの解説者?も使っていました。(もちろん特殊作業用で酸素式ボンベもあります)

使っているボンベは空気を180~200倍くらい圧縮して入れている「空気のボンベ」です。

画像はネットより拝借知っています。

今の水中カメラですね。カニの足のような先に付いているライトも小さくて性能が良いのでしょう。もちろんデジタルですので36枚ではなく、無限にパチリできるかと思います。

そう、海の中は砂などが巻き上げられ濁っていますので、カメラ近くでライトを使うと、その濁り?が映ってしましいます。これを説明するのは難しいのですが、カメラとライトをなるべく離してパチリします。

海外の海も良く潜りました。

現在の日常生活でのカメラは全てデジタルです。しかし、トリミングと明るさ修正するくらいでAI機能はほとんど使っていません。

AI加工した写真は、きれいでもあり不思議さもありますが、何故か、バーチャルの世界に見えて私には向いていないのでしょう。

余談ですが、プロ(教室)が開催するパーティなどでは写真撮影の依頼を受けます。

暗いフロアーやスポットライト、スピードのある動きなどを撮るのはかなり難しいですね。

それでも先生方は私に撮ってくれと言ってきます。生徒さんもです。

プロよりアングルや表情をうまく撮ってくれるからと言っていました。

これからは(も)AIと上手に付き合う生活になるのでしょう。(カメラは別ですけど)

 

yuki76

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「70歳の正解」より

2024年11月27日 | 自分のブログ

失礼ながら団塊のシニアのひとりごと」さんの記事を引用させていただきます。

「70代は危険な期間と言われてるが」

2024年11月18日 | 老後の生き方より

認知症や要介護になる人の割合は70代になると60代の5倍をこえる、だから健康寿命を延ばすためには、できることを減らさない、今できていることをやらなくなるのは老化防止の観点から非常に危険である、これは精神科医で多くの著書を出している和田秀樹氏の言葉である。

元気な80代を迎えるには外に出ることできることを減らせな料理をしている人は辞めずに続けること、その意味では運転免許は返納すべきではないとうのが和田氏の持論である、運転許を返納すると6年後の要介護率は2.2倍になるという

平均寿命と健康寿命の差は男性が9年(平均寿命81歳、健康寿命72歳)女性が12年(平均寿命87歳、健康寿命75歳)病気や認知症などで誰かに介護されたり場合によっては寝たきりになったりして生きる平均期間である、この平均寿命と健康寿命の差を考えると確かに70代は危険な期間といえるかもしれない。・・・。

*******

「70歳の正解」を読み始めて、はじめにのまだ5ページ目です。

和田先生曰く、私には、わが国の高齢者には、「正解」からほど遠いい「損な生き方」をしている人が非常に多いように思えます。」たとえば、

間違った健康常識を信じ込んで、不必要な我慢や節制をしている人

・「定年=引退」と思い込んで、人生の可能性を閉ざしている人

簡単に解消できるストレスを抱え込んで、暗い人生を送っている人

いづれも、もったいない人生後半の過ごし方ですと・・・。

後悔しない老後

①80代

良い思い出をある 弱って歩けない 貯金は問題ない そんなに残す必要はない

歳とっての再婚 財産があると子供が反対する。

年寄りは残すことは考えるな。歳をとるとさみしくなく、お金を楽しみに使う。

②医者の言うこと聞いたら元気になる訳ではない。

歳を取ると、個人差がある。日本は癌で亡くなる方が多いが、米国では心疾患(心筋梗塞)が死因のトップ。

そうならない細胞?ストレスが悪い細胞になる。笑うが長生きする

③人間関係 85歳になり施設に入りお見舞いに来ない人は、社長とか偉い人で下に偉そうなことを言っている人には来ない。

下の人をかわいがる人は、部下が来る

④夫婦関係 夫は仕事 妻は家庭 「夫源病」と言う 退職後20~30年一緒に暮らすことになる。嫌なら分かれる。自分の幸せがあると?

好き勝手、楽しい人生 食べ物

著者は病気のデパートでも普通に暮らしている。丈夫でいるかは賭けである。

人間関係が問題で嫌なやつとは付き合わない。

我慢すれば良い時があるのは年寄りは違う。病より今の幸せ。幸せかどうかを調べる方法。

48歳は幸せではない。周りと比べてしまう。

82歳以上 歩ける 凄い貧乏ではない。歳を取った方が幸せを感じる。

周りの目や人間関係で不幸に思ってしまう。

*******

ここからは幻冬舎新書「70歳の正解」を買っていただき、熟読・黙読・積ん読?してみてください。

中でも気になったことは、「酒は前頭葉を縮め・・・」

酒はストレスの発散効果があるとはいえ、基本的には脳にダメージを与える物質ですと。

大酒を飲んだとき、記憶がなくなるのも、脳内で記憶に関して重要な役割を果たしている「海馬」という部位が麻痺するために起きる現象だとしています。

アルコール類は一時的に"記憶喪失"は酒から覚めれば解消されるとしても、アルツハイマー状態になっているとのことです。

たしかに、酔うと言ったことを覚えていなかったり、モノを落としたり、強い口調になることもあるのでしょう。

昨日も、テレビの音量のことですが、補聴器とテレビ音が直接聞こえる機器を使っていて、女房の問いかけが聞こえず?ちょっとした言い合いになりました。

今朝は普通の生活に戻っています。

和田秀樹著「70歳の正解」を読み始めての感想でした。

焼き芋作りました。

 

yuki76

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美味いでごんす!

2024年11月26日 | 自分のブログ

実際に大相撲の関取間では「ごんす」なって言う言葉は使っていないようです。

笑点の一部のメンバーが使って受けているようですが、「ごっつあんです!」は聞いたような言葉ですが、今では使っていないのでしょう?

昨日は庭隅にある、シイタケをたくさん収穫いたしました。

ほとんどは干しシイタケにしましたが、野菜炒めにも入っています。美味いでごんす!

朝食です。美味しい味の開き、卵入り味噌汁、道志で買い求めたカブのお新香、納豆などです。

夕食はうどん鍋でした。それこそ冷蔵庫にある食材が中心です。体が温まります。

ごま豆腐も、美味いでごんす!

朝食は残して置いた鍋の汁でオジヤです。味が出ていて、これまた美味いでごんす!

朝から、脂が乗ったサバ焼きです。美味いですねぇ~!

一昨日のスパゲティ(ボローニャ?)と餃子です。

道志の道の駅で買い求めた、白菜のお新香です。塩加減もヨシ!

これだけで、ご飯も美味しくいただけます。

今年最後の小さなゴーヤです。この夏の暑さでしたので、何でも不作でしたね。

春と秋の期間は短く四季の無い日本になってしまいました。

今日は「美味いでごんす」をご紹介いたしました。

追記:ネットでは、力士言葉ではなく、ただの方言とか?茨城言葉で「ごんす」は「ござんす」転訛で、「がんす」同じ使い方としていました。

また、京近辺でも「ごんす」を良く使うようです?もとは花町で使う言葉だったようですが、「さようでござんす」と言って艶っぽい言葉だったのでしょう。

 

yuki76でごんすでした。

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急に里心が(帰りたくなって)・・・

2024年11月25日 | 自分のブログ

昨日は道志村の「道の駅」で、女房から土産物を頼まれて開店する9時前に行ったのですが、バイクや乗用車ですでに満車状態でした。

買物を済ませて道志の自宅に戻ると、何故か帰りたくなりました。(里心ですかね?)

着のみ着のままで、片付けもせずに帰宅です。

きっと、3時に目が覚めて早朝より「富士の介」を捌いたり、他にも重たい板などを運び入れ、さらに、朽ち果てた板の壁面を改修するために、大きな木槌で杭を地中深くに何本も打ち込んだりで動き過ぎたせいかも知れません。

70歳半ばも過ぎた、爺さんが杭打ちするのは大変な労働だったのでしょう。

山道は混んでいましたが、中央道の上下線は普段より空いていました。

私が家に着いたのは1時半ごろですが、家には誰もいません。

冷蔵庫を開けてあるものとシチューを温めて、遅い昼食です。

5時近くになって、女房は帰って来ました。

"あら?帰って来るのは明日じゃなかったの?"と言っています。

上野の埴輪展に行ってきたと言っていました。

帰宅後、ラインで送られて来た埴輪展の画像です。

その頃は缶酎ハイを飲み始めていて、朝3時から起きていましたのでもうウトウト状態です。 

気が付けば、大関同士の相星決戦の時でした。結果、大関・琴桜が大関・豊昇龍との優勝決戦を制し大関・琴桜初の賜杯を手にした時でした。

器用と言われれば、そのとおりかも知れません。これからは動くのも体力と相談しながらが良いのでしょう。

 

yuki76

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「富士の介」(交配したサーモン)を捌く 道志村

2024年11月24日 | 自分のブログ

先ず、富士の介とはです

「富士の介」は山梨県水産技術センターがマス類の中でも最高級とされる「キングサーモン」と山梨県で生産量ナンバーワンの養殖に適した「ニジマス」を交配し開発した、山梨オリジナルの「育てやすく美味しい」魚です。

全国各地に数多く存在するご当地サーモンの中でもキングサーモンの血を引く魚は「富士の介」が唯一です。とネットには書かれていました。

前日に道志の養魚場場長の霧〇さんから、冷凍保存して置いた「富士の介」を捌いて日干しにしてくれないかと、依頼がありました。

素人ですが魚を捌くのが好きなんで、3匹お受けしました。

一晩自然解凍して置いて、早朝より作業に入りました。

まだ、夜明け前の5時ごろからです。

順を追ってご紹介いたします。

先ずはぬめりを良く洗い流します。

頭を切り落します。ちなみに、この生板も自作です。溝を付けて流れるようにしています。

腹を裂いて、内臓を取り出し血合いも含めてきれいに取り除きます。

きれいになった状態ですが、後程骨も出来るだけ取り除きます。

先ずは二枚にします。

三枚にしました。背骨あたりは美味しいので、あえて厚めに残しています。

美味しく出来るかは、塩降りですね。最初は粗塩で擦りこむように馴染ませ1時間寝かせます。

あまり放置すると、身が塩っぱくなってしまいます。

1時間後には塩を洗い流し、キチンペーパーなどでよく拭き取ります。

食べやすいように切り身にしてから、私は今度は味塩を利用します。

表現は難しい?のですが、適度にふりかけます。今回の3匹で味塩瓶の半分くらい使いました。

量も多かったものですから、網かごに入り切れず他のものにも干しました。

風もあり陽も射して、日干しにはちょうど良い季節です。見ると程よく乾燥して行きます。

感覚では、ちょっとべた付くくらいが良いかと思います。

しばらく、頃合いを見ることにしました。

*******

出来るまで時間がありますので、他の作業開始です。

気になっていたデッキ下の配線などを目隠しすることにしました。

有る材料で施工することにしました。杉の端材です(皮の付いたままです)。

地元の方や本職はそんなことはしないのでしょう。でもこれで良いんです。

防腐剤を塗り、寸法に合わせてデッキ下に潜り込みます。あえて不揃いに張り付けました。

作業服は泥だらけです。それなりに満足感はあります。良いじゃないですかぁ~!

着替えて、一休みです・・・。

あの「富士の介」の干物が程よく出来ています。養魚場へお届けする電話を入れました。

落ち場に埋もれた駐車場です。お届けしました。

凄く喜んでいただき、今度は活魚で作ってくれないかとのことです。

プロではないのですが、時間があれば良いですよ!と伝えました。

カラスウリも風に揺れています。

陸ワサビです。

こちらは水耕(湧き水)ワサビです。

葉が無くなっています。これはシカが食べた痕跡だと思います。

敷地内を流れるせせらぎです。これも作ったものですが、どこへ行かなくてもこれで十分な生活空間なのでしょう。

そんな時、女房から電話がありました。いわゆる安否確認かと思います。

他愛無い話で、長電話?になりました。

道志の夕暮れです。外気も寒くなってきました。

薪ストーブに火を入れました。

暖を取りストーブで体を温め、いいちこで身を温めています。

話す相手もいません。静かな至福の時間が流れます。

部屋に入り、大相撲観戦です。

いただいた「富士の介」の干物を真空パックして、冷凍庫に入れました。土産です。

早朝から動き過ぎたのか、大相撲が終わるころにはウトウトしてきました。

一人生活ですので、簡単に夕食を作って、洗濯して(部屋干し)、大雑把に片付けて一日が終わりました。

人生も着陸態勢に入り、なだらかなタッチダウンとなれば良いかと思いますが、まだ機体は揺れるかどうかは分かりまん。いまの瞬間が大事だと思っています。

 

yuki76

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深まりゆく秋(道志村)

2024年11月23日 | 自分のブログ

道志に入るごとに、季節の変化が分かります。

生い茂っていた、農機具小屋のアイビーなども葉も落ち赤く染まって来ました。

色づくカエデと薪ストーブの煙突・・・。もうこんな季節になったのですね。

夏の暑い時期には、木陰を作ってくれこの下で作業していました。

小さな池も水草で覆われ、風情をかもし出しています。空気が美味しい静かな道志です。

車に荷を積み込み西の空にはまだ、青いお月さんが見えます。

朝から、BSで大谷翔平選手がナ・リーグでMVPを2年連続(3回目)という快挙を成し遂げた報道がありました。民放も大谷選手一色です。

どのくらい凄いのか私には良く分かりませんが、米国プロ野球選手が何人いるのか分かりません。その中で満票で選ばれたのは、日本人として誇りが持てます。

中央道に入りました。何故か最近はいつも渋滞気味です。目の前を多摩モノレールが通過していきました。

道志みちに入りました。かなり紅葉しています。この辺くらいまで来れば、あと15分くらいで到着です。

道志の自宅前の景色です。

駐車場も落ち葉で埋もれています。これを集めて堆肥にして自然に返すのです。

お昼過ぎです。女房がたくさんのお弁当のおかずを作っては、持たせてくれたものをいただきました。

まぁ~51年連れ添った夫婦ですので、一つひとつ私好みのものを美味しく作ってくれます。

女房は午後から、バイオリンのコンサートに友だちと出かけると言っていました。

夜は一人ダンスのレッスンに行くのでしょう。(私は道志ですから)

それぞれの生活がここにありました。

自宅(母屋)を片付けて、先代の物を少しずつお焚き上げしています。

モノによっては手を合わせて、感謝しながらです。

道志は電波がなかなか届かな、いつもバリ1~2で、電話するにしても外に出て電波の強くなる方向に向いて話していますが、途切れることもしばしばです。

ラインも遅くなって入ることもあります。それだけ秘境?なのでしょう。

ほとんど、何もせずに一日が終わりました。今日から本格的に動き出します。

いつもの東京方面です。

気温は6度です。

メモには枝木の処理、杭を打ち込む、朽ちた壁面を直す・・・。やること多しです。

出来る・動ける健康に感謝です。

 

 

yuki76

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さて ここは何処でしょう?

2024年11月22日 | 自分のブログ

場所につきましては、最後にご紹介いたします。

こんな焼酎があるんですね。鹿児島霧島町の芋焼酎です。

ランチでしたが、美味しい寿司をいただきました。

もちろん、キリン生ビールもです。

豪華なランチになりました。

この店の女将も顔を出しました。

店の女将とパチリです。

メニューも豊富です。

街には忙しそうに宅急便バイクも走っていました。

陽も落ちて、関係者で一杯(二次会)です。

お疲れさまです!みなさん日頃のうっ憤ん?ばらしか、張り切って歌っています。

大盛り上がりのカラオケバー?でした。

古いホウロウの看板が並んでいます。

世界各国のビールが陳列されていました。

古いホテルのバーです。

楽団員も70歳は超えている方ばかりなのでしょう。リズムや音が多少合わなくてもOKです。

********

①最初のランチ(和食レストラン)は上海でした。

②カラオケバーはチンタオ(青島)です。

③ホウロウの看板や各国のビールはチンタオ(青島)のビール工場です。(あの青島ビールです)

④古いホテルは、上海でも有名なホテルのバーでした。

外灘の街を縦断する黄浦江です。経済発展の象徴ともいえる上海の夜景です。

黄浦江の反対側はイギリスの建物が保存されている地域です。

楽しそうなところばかり、紹介してしまいました。

これも中国出張の一コマです。(コロナ禍前です)

 

yuki76

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移転前の築地場外市場

2024年11月21日 | 自分のブログ

この日は江戸っ子5代目でありながら、移転前の築地市場に初めて行きました。

都内のどこでも、いつでも行けると思ってしまうのか、なかなか行かないものです。

あれが二重橋だよ おっかさん♪ 傍に寄ってじっくりと見たことはありません。

築地の場外市場はなんでこんなに混んでいるんですかね?

下町の活気ある雰囲気なのか、混んでいるから混むところに行くのが人の習性かかなぁ~。

基本的に並ぶのが好きでない私です。東京ディズニーランドも行ったこともありません。

孫でもいて、ジィジとせがまれば違うのかも?

何しろ、外国の方が多いですね。

昼めし時でしたので、どこもいっぱいでしたが空いていてそうなこの店に入りました。

この雰囲気は、中国青島の屋台村にいていますね。

参考ですが、上の2枚は中国の青島(チンタオ)の飲食街です。

どひゃ~、満席状態です。

昼でしたが、これをいただきました。

この雰囲気だと、何でも美味しく思えます。

注文した海鮮丼(山盛り)が出てきましたよ。

外人さんで日本にはいないかと思いますので、画像処理はしませんでした。お許しを!

テレビでも有名なこの方の兄?がやっている、卵焼き屋さんです。長蛇の列です。

考えてみれば、豊洲移転前の築地場外市場に行けたのも、良い思い出になりました。

 

yuki76

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11月19日 普通の暮らし

2024年11月20日 | 自分のブログ

東京地方は風も強く寒い一日でした。あの暑かった夏はどこへ行ったのでしょう。

その分、空は晴れ渡っています。柿の実も取れる時期ですが、きっとそのままなのでしょう。

女房の実家(長男)より、今年収穫した米と里芋(やはた芋)が送られれてきました。

"ねえちゃん、米と芋を送ったよ!"とメールがあり、昨日届きました。

やはたいもは山梨県の釜無川の度重なる氾濫による堆積した肥沃な砂質土壌により、白くてきめ細かく、粘りが強く、独特の風味があり、地元では「ほうとう」にも欠かせない食材です。

両親が居なくなっても、姉弟のつながりを強く感じます。感謝です!

いただいたそば粉とやはたいもの汁ものです。

そばがきを作るには、少しうどん粉を混ぜると良いようです。まさに田舎の味ですね。

庭先で大きく育ったシイタケです。3年くらい前に道志で原木をもらい、シイタケ菌を打ち込んだものです。道志に置くと収穫時期を逸してしまいますので、東京の自宅に持って来ました。

カラスウリやオキナワスズメウリも赤く色づいています。こうなると秋を感じます。

昨日の午前中は、近所の職人さんに頼んで雨漏りする個所を応急的に直してもらいました。

本格的に直すには瓦をすべて降ろし軽量の屋根材にするようですが、この家に何年住むか分かりません。費用も数百万かかるようです。そんなことをするような余裕はありません。

運動習慣を付けるために、近所のジムに通っています。

兵庫県出身の若き(孫のような)、人気のある吉〇トレーナーです。

週に2回は専属トレーナーについて、後期高齢者に合わせたプログラムでトレーニングしています。まさに老いとの戦いですが少し勝って来たような気もいたします

トレーナーの話しでは、多くの方がお腹周りの脂肪をなんとかしたいとしていますが、トレーニングしても、腹回りはの筋肉(脂肪)は一番最後に落ちて来ると言っていました。

七味缶の穴は、ナスの切り口と合わせれば良いのです。

山梨県名物のほうとうを作ってくっれました。私は七味が好きで、何でもかけてしまいます。

タマネギのかき揚げや豚ロースの生姜焼きのアップです。

トレーニングして帰宅したら(午後2時過ぎ)、大盛りのうどん炒めが出されました。

何のためにトレーニングしているのか分かってくれていませんね。私の気持ちや努力も分かって欲しいですね。

今日の東京地方は雨が降り出してきました。(順不同の内容でした)

 

yuki76

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2010年の母との思い出

2024年11月19日 | 自分のブログ

こうして思えば、仲の良い姑と嫁の関係でしたね。考えてみれば50年私よりは母のそばに居たかと思います。

母も私より女房の方を頼り、可愛がっていました。

リゾートホテルでの夕食を少しご紹介いたしいます。(14年前のことです)

私はこの真実の口に噛まれそうでした。きっとやましい(偽りの心)を持っていたのでしょう。

ホテルはこちらが予約して運転手でも、母親のおごりになりますので普段食べられないメニューにしました。

もう、何を食べたのか忘れました。画像だけで判断です。

料理人さんが何かを擦っています。

イタリアン風なのか、スパゲティの上にトリュフのようです。世界三大珍味の一つと言われても、私にはこれは美味い!とはあまり感じません。食レポの出来ない私です。

「世界三大珍味」とは「トリュフ」「フォアグラ」「キャビア」のことを指しています。

トリュフは地中深くで育つ芳醇な香りのきのこ、フォラグラは肥大化させたカモやガチョウの肝臓、キャビアはチョウザメの卵の塩漬けのことで、どれも希少価値の高い高級食材とされていますが、強いて言えばフォラグラくらいかもしれません。

きっと本当に、美味しいものを食べたことが無いからなのでしょう。

出されるたびに季節の食材など説明をしていますが頷くだけで、失礼ながらなんだか分かりません?私にとってはお上品ではありませんので美味しければ良いのです。

フォークやナイフも面倒なので、箸をお願いいたしました。

もう、お腹一杯なのに女性陣はデザートは別腹のようで、美味しそうにいただいています。

母と女房は庭を散歩しています。そんな光景が懐かしく思い出されます。

朝食はバイキング形式で、端から並んでは少しずつ乗せて行きますが、最後は山盛りになっています。まさに欲と二人連れです。

土産を買い求める相手がいませんが、こうしてぶらぶらするのが楽しいのでしょうね。

ここは山中湖のエクシブでした。

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ちなみに昨夜の夕食は・・・。

缶酎ハイすき焼き(小どんぶり)シシャモを焼き晩酌です。

これで、十分美味しさを感じます。

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朝食は庭で収穫したシイタケです。

これぞ旬な食材です。収穫して3分で食卓に乗ります。天皇陛下でもこんなことは無いかと思います。まさに贅沢な極みなのでしょう。

これだって、量が多いくらいの贅沢な朝食です。

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昨夜はダンスの練習会でした。

もう、こんなイルミネーションが飾られている市の体育館です。

カップルでダンスを楽しむ?自主サークルです。みなさん後期高齢者の仲間です。

体育館内では、若者が飛び跳ねています。

私たちは長い間、地球の引力に引っ張られて来ましたので、それも困難になってきました。

みなさん語らいながら体育館を後にして、家路につきました。

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今回は14年前に母を連れてホテルの食事などと、姑と嫁が仲良く話し合っている場面が懐かしく思い紹介いたしました。この時の二人の話は、きっと私のこと(酒の飲みすぎ!)などが話題になっていたのでしょう。

 

yuki76

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キモサベ 「ローンレンジャー」の思い出

2024年11月18日 | 自分のブログ

ローンレンジャーを知っている方は、私同様にかなりご年配の方ですね。

子どもの頃、日本ではテレビドラマ版が私が10歳くらいの時ですので、各家庭にはテレビはありませんでしたが、1958年からテレビ放映され、黒い仮面をつけた主人公が白馬にまたがった姿が、アメリカ版『鞍馬天狗』として親しまれたからでしょう。

テレビ映画化されたこの西部劇を題材にした作品を毎週のように楽しみに見ていたものです。

ローンレンジャーとインディアンの友だちと会話する時に、はじめにキモサベ」と挨拶し合っていたのです。

キモサべとは“信頼できる奴”と言う意味です。子どもの頃は、仲間同士で「キモサベ」と言い合っていました。

主人公ローン・レンジャーが愛馬シルバーを発進させる時の掛け声「ハイヨー、シルバー!(Hi-yo Silver)」や、相棒であるインディアンの青年・トントの台詞に「白人嘘つき。インディアン嘘つかない」もありました。

物語では、無法者キャンベンディッシュ一味を追跡中のテキサス・レンジャーたちは、一味に全滅させられてしまったのです。
しかし、その中の若い隊員一人が、奇跡的に先住民のトントに助けられて生き残り、彼は、死んだテキサスレンジャーの隊長だった兄のチョッキから黒仮面を作り、ローン・レンジャーとなったのです。
男の子にとっては、懐かしいテレビドラマでした。

*画像はネットより拝借しています。

ドラマでは、彼の拳銃の弾丸は純銀製だが、これは自分の持つ鉱山から掘り出した銀を使って作ったものであるとしていました。まぁ~それは作り話かと思いますけど。

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以降あまり面白く無い内容ですのでスルーしてください。

あまり、こんなことは言いたくないのですが、キモサベと呼べる"信頼できる政治家さん"も少ないかと思います。

エッフェル塔や赤いベンツ、総理答弁中に大あくび、政治資金パーティーでのキャッシュバックがあったり、申告せずに税金もかからず自由に使えたなんて・・・。

最近では国会審議をスマホで撮影する新人議員もです。いくら新人議員としても、その品格がいただけません。

まさに、この行動(議員)は無法者とも思えてしまいます。真面目な方もいるかと思いますが。

この方は、本物のテキサスレンジャーです。
 
 
実際の画像ですが、胸にはこのようなバッチが付けられていました。
 
あの広いテキサス州公安局の各部門はそれぞれ別々に出先機関を設ける縦割り方式をとっていたようですが、テキサス・レンジャーも6個中隊に再編され、地区司令部と同じ管轄区域が割り振られたと記されていました。

現在、テキサス・レンジャー州全体で162名とのことです。

レンジャーに就任するには8年以上の法執行官としてのキャリアと 2 年以上のテキサス公安局における職歴等の資格要件があり、有名国立大に受かるより遥かに困難だとしていました。平均年齢も44歳となっています。

歴史と伝統に基づく誇りを大切にし、現在でも新任のレンジャーはブーツ、白のカウボーイハット、ピストルベルトを前任者より引継ぐ。発足当時より、僅かな日当以外、馬や銃などの装備類はすべて自分持ちであったことから、現在でも制服はなく日常業務時には胸にバッジを付け、ブーツを着用することになっているようです。

テキサス・レンジャーのバッジです

現行バッジの素材は、メキシコ・ペソ硬貨で作られ、現在レンジャー達が胸に着けているバッジは1962年10月から使用されているもので、裏面はコインの刻印が、周囲にはコインのギザギザが残っています。

土産用のイミテーションバッチは、現地の方からいただきました。

 
ある時、本物のテキサスレンジャーにお会いすることができました。
いやぁ~格好良いですよ。
 
 
ついでにテキサスのある市の騎馬警察官です。
テキサスに行った時の何枚かの写真をご紹介します。
 
 
この牧場のオーナーで、テキサス州の地域でもかなり有名な方のようです。
ブルージーンズにカウボーイハットの姿が日常なのです。
 
 
こうやって、何人もいないテキサスレンジャーを自宅の牧場に呼べるくらいですからね。
 
 
 
私も少しは乗馬も出来ますので、牧場の息子さんと草原を走ってみました。
 
 
このカウボーイハットは、私のサイズに合わせて黒人の議員さんからいただきました。
実にフレンドリーで、キモサべと呼べる方だと思います。
 
 
テキサスの広大な牧場に落ちる夕日です。
テレビ映画のローンレンジャーを見てから60数年たちました。この間にもいろいろな出会いがあり、別れがあったり・・・。「キモサべ」“信頼できる奴”と呼べる人が段々少なくなってきました。
いただいたカウボーイブーツのエンブレム?は車に付けています。
 
 
yuki76
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午後2時から昼飲み会

2024年11月17日 | 自分のブログ

昨日は友人と二人で昼飲み会でした。お互いの中間点の駅で待ち合わせです。

私は最寄りのバス停から待ち合わせの駅に向かいました。

バスは混雑していて、何故かシルバー等の優先席の前に立ちました。その時、突然に座っていた外国人の女性が英語で座ってくださいと促されました。一緒にいた男性が立ち上がりました。もちろん日本語は通じません。他人からは私が年寄りに見えたのでしょう(笑)

突然の会話でしたが、私はまだ若いので結構ですよ!と伝えました。

私からどこへ行くのですか?と訪ねました。すると「スブルー」と言っています。すぐに分かりました。スブルーは日本語ではスバルです。

あと、2つですよと伝えました。そこから短い雑談が始まりました。オーストラリアから来た方のようで、和製英語の発音は難しいですよねと・・・。ダットサンはダッツンですし、シボレーはシャバレー。シアトルはシアローなどの発音になります。

笑ながらバス停近くになりました。システムも分からず降りるボタンも押していません。乗車した入口に移動しようとしていました。降り口はこちらですよと伝え、運転手さんにも降りますと声をかけました。

若いご夫婦かな?笑顔で会釈しています。私もTake care!Have a nice day ! と伝えました

そのご夫婦?もアリガトと言ってバスを降りました。

突然の出来事?でも、日常会話の英語でお話し出来たのもうれしかったのですが、年寄りに見られたのが残念です。

さて、待ち合わせの駅に着きました。駅から一番近い昼飲みが出来る店(土・日・祝のみ昼のみOK)です。

午後2時でも思ったより混んでいて、ほぼ満席状態です。聞くと今は忘年会シーズンだと言っていました。また、中高年の昼飲み会が多くなったようです。

先ずは、生中です。喉に染みわたります。

もちろん、友人も私もご満悦です。

今ではバーコード読んで注文なんですね。こんなシステムは私どもには向いていません。

お姉さんを呼んで直接注文です。

付け出しが出てきました。出来立てではないので、貝の実がなかなか出て来ません。

得意なのですが、途中でキレて残念な結果です。

少しは健康を考えて、サラダを注文です。

お互いに悩み?や心配ごとの話しです。いろいろと出てきます。

やはり、健康とか同級からの喪中のご挨拶までもあります。

具体的なことはお話し出来ませんけど・・・。

日本酒のハイボールも美味しいのですが、これは私には向いていません。

茶髪のお姉さんも忙しく働いています。

名は忘れました、アルミの鍋に貝類が入ったモノを注文しました。

これぞ!至福の時間と言うべきなのでしょう。

いろいろと話しましたよ。友人も今日でモヤモヤ?がスッキリしたと言っています。

やはり聞き手が必要なのでしょう。

これが年寄りの昼飲み会の実情です。

笑顔の友人です。

久し振りに楽しい昼飲み会でした。

何で?と思うほど、若い方も昼飲みしています。

ころ合いも良く、お会計にしました。

店を出てもまだ明るい時間です。

ちょうど来たバスにより、自宅に着いたのは夕刻の5時ごろでした。

久しぶりの英語での会話と言い、長い付き合いの中で気心しれた互いにしか分からない内容を話し、スッキリ気分の良い一日が終わりました。

 

yuki76

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土俵をもっと下げたら?

2024年11月16日 | 自分のブログ

昨日の大相撲で、御嶽海と琴勝峰戦で勝った御嶽海が土俵下に落ちストレッチャーで運ばれました。

なんか決まりがあるようで、土俵は地面から俵の上部まで60センチメートル、俵を除けば土俵の上から下まで55センチメートルになるように作られているようです。

以前からも土俵の高さが落ちた時の怪我を生むという指摘もあり、下にはゴムマットも敷かれているようですが・・・。

女房とも土俵下で動けない力士を見て、もっと下げたら良いのにと話していたところです。

相撲協会も伝統とか決まりではなく、力士のことを考えよく検討された方が良いかと思います

*******

昨日の私です。探しものが多くなりました。やがてはこんなところに有ったと出てきます。

いつも使っているスマートウォッチが見つかりません。

一日中探していました。結局、居間のテーブル下に落ちていたのです。なんで?と思うくらいです。

補聴器とスマホをブルートゥ―スでつなぎ、音楽や電話も聞えるコムデックと言う器具です。

これも道志に忘れてきたと思っていましたが、いろいろなコードに絡まっていました。

毎日のように使っているものです。

品物が多過ぎるのです。

こんな使わないコンデジも何故か保存しています。

女房が店でアレクサ音楽を聴きたいと言っていますので、新たに購入しました。

また、モノが一つ増えてしまいました。

道志でも聞きたいので、息子にペアリングをお願いしました。今朝帰宅したらやると言っています。まったく、オジャジも~!と言う顔をしています

なんか、いろいろと買い求めたり、これが欲しいと考えちゃうんですね。

朝は朝で、一番に歯医者に行って来ました。型どりしたマウスピースを受け取りにです。

前回、予約した日に行けなかったので、キャンセルし後日連絡することになっていたようです。

それも忘れこの日だと思って予約なしで行ったものですから、受付の方が予約を待っていました!と言われました。それでも少し待ってセッティングしてくれました。食事している時以外が付けています。

また、時期が来ましたので種まきです。

もう、苗も園芸店では苗が出ていますが、地植えで種まきした方が強い芽を出します。

これも大きな、木製のプランターに撒きました。

朝食です。一昨日買い求めた、安い燻製にしたハラスです。

昼はお茶漬けにしました。

これで十分です。

好物の白菜サラダです。

サンマも美味しくなってきました。

庭で切り取ったニラやいただいた里芋の味噌汁も美味い!そして晩酌です。

和田先生の本では、酒を飲むと基本的には脳にダメージを与える物質で、脳には「血液脳関門」と言う、有害(アルコール)なものを突破して、海馬を麻痺させ、一時的な"記憶喪失"、いわゆるアルツハイマー型認知症状態になるとしていました。ある部分では自分の勝手な推測です。

今日も友人と昼飲み会がありますが、酒に酔っている状態が一時的に認知症と同様だとは思っていませんでした。

この落ち着かない性格は、相撲協会の決まりとか習慣と言っていられませんね。なんとかしなければと思っています(当分は思うだけなのでしょう)。

 

yuki76

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