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はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

待合室にて・・・母と娘

2012年12月28日 | 雑談
二度目の手術を終えた翌日の診察の時です。
私の隣に親子が座っていました。
私より一回りくらい上のお母さんと娘さんです。
娘さんがお母さんの手術に付き添い、翌日の診察にも付き添われたんだと思います。
娘さんは、文庫本を読みながら座っていました。
隣に座っていたお母さんは、しきりに娘さんに話しかけています。
お母さんの話は、とぎれとぎれにしか私には聞こえてきませんが、私の隣に座っていた娘さんの声ははっきり聞こえて来ます。
「うん、その話は、聞いた。」
「わかってるよ。」
などと言っているのですが、その言い方がつっけんどんで、面倒くさそうな言い方です。
多少イライラしながら、お母さんの話に返事をしているのがありありと見受けられました。
本を読んでいるところに話しかけられているので、読書が中断されることが不快だったのかもしれませんが、私にはそれだけではないような気がしました。

そんな母娘の様子を見ていて、私も自分の母親とのことを思い出しました。

若い頃は、いつも母と会うと話のメインは私でした。
子供のことや義母のことなど、私がほぼ一方的に母に話をしていました。
母はいつも私の話を聞いては、喜んだり、心配したりしてくれました。

でも、年をとるにつれて立場は逆転し、私が聞き役に回るようになりました。
その頃は、すでに私には母に話すような愚痴もなくなっていたし、母のアドバイスを受けるような事態もなくなっていたんだと思います。
逆に母は、年に数回しか会わない私に色々話があったようです。
主に同居している弟夫婦のことや、近所の人のこと、自分の交友関係のことなどです。
聞いていると、母の独りよがりや勝手な思い込みなどもありそうでした。
それに、年齢を重ねるごとに話し方が回りくどくなり、聞いていてイライラすることが多々ありました。
内心、「早く結末を話してよ。」とか、「結局それが言いたかったの?」と思うことがありました。
なので、母の話を聞くふりをしながら、半分は他に気をとられていたり、聞いていなかったりして、適当に相槌を打っていた気がします。
その娘さんのようにつっけんどんな相槌を打つことも多かったように思います。

その母娘と私と娘では、10年くらいの開きがありそうです。
現在は、娘の話を私が聞き、私に何かあると娘に話し、娘も普通に聞いてくれています。
でも、後10年くらいしたら、やはり娘も私の話をうっとうしいと思うようになるのかもしれないと思いました。
今ですら、同じ話を二度三度することがあるようです(苦笑)

話は簡潔明瞭に・・・それを心がけようと思いました。



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