今朝の丹沢です。
雲ひとつなく晴れ渡った空にくっきりと大山が見えました。
遠くの山並みには、少し白いものが・・・
昨日の雨が雪に変わったのでしょう。
今朝は肌寒く12月初旬の気温だとか。
11月3日文化の日は、晴れの特異日だと聞いていますが、その例にたがわず、今朝も見事に晴れ渡りました。
今日は私達夫婦の33回目の結婚記念日です。
忘れていたわけではないけれど、今日はいつも通り仕事なので、結婚記念日ということがすっかり頭から抜けていました。
朝食を終えた頃、主人が
「今日で33回目だね」
と言い、はっと思い出しました。
主人は
「33年も一緒にいたんだね。」
と言いました。
33年もいたのか、まだ33年しか経っていないのか。
私は特に感慨もなく返事を濁しました。
私達の結婚式の日も今日と同じように晴れ渡った青空でした。
私達は貧乏人同士の結婚だったため、式場も豪華な結婚式場ではなく、服の着付けはありましたが、髪のセットをしてくれるところはありませんでした。
ウェディングドレスは主人の妹に作ってもらい、お色直しのドレスは自分で編みました。
特別な髪型をするわけでもないため、式場の近くの美容院を予約してセットしてもらうことにしました。
美容院に行くために私は一人で先に家を出ました。
世間一般には、両手をついて、
「お父さん、お母さん、お世話になりました。」
という決め台詞を言うところだったのでしょうが、私は照れくさくてそんなことはできませんでした。
いつも家を出るのと同じように支度をし、いつもと同じように
「じゃね、行ってくるね」
と見送る両親に手を振って家を出ました。
そんな私を両親はどう思ったのだろう?と今でも時々思うことがあります。
朝一番に予約をした美容院で、セットが終わると
「こんなに朝早く、どちらかへお出かけですか?」
と聞かれ
「結婚式なんです」
と答えると
「お友達のですか?」
と言われ
「いえ、私が結婚するんです」
と答えた私に美容師さんが驚いた顔をしたのを今でも覚えています。
それほど、普通の髪型にセットしてもらったということです。
特別ハプニングもなく、式は滞りなく終わり、晴れ渡った空の下、集まった人たちで集合写真を撮りました。
披露宴では友達がそれぞれ余興を披露してくれて、当時としてはお決まりのやり方でお決まりの終わり方をしました。
最近の新郎新婦は食事も普通に皆と一緒に食べるようですが、当時の新郎新婦はお飾りのように何も食べずにただ座っているものだったようです。
でも、朝早く家を出て、空腹だった私はそんなことはおかまいなしに食事をしてしまい、その写真もしっかり撮られて、友達には、後々まで言われてしまいました。
お腹が空きすぎてがまんできなかったんです。
もう一つ覚えている事は、叔父がワンワン泣いた事です。
父のすぐ下の弟でした。
私のことを可愛がってくれていたのもありますが、私の両親が全然涙を流していないのに、叔父が一人で大声を出して泣いていました。
叔父にも娘がいたので、私とダブったのかもしれません。
その叔父も私の両親も今はいなくなってしまいました。
33年経った今、突然そんな結婚式のエピソードを思い出しました。
何でも良く食べて、食べ物には一切文句を言わない主人はいっしょにいて楽な人です。
汚いものや私が嫌だと思うものの始末は、何も言わなくて率先してやってくれます。
私がどこかへ行きたいと言えば、一緒に行ってくれます。
こうして考えていると、私はずいぶん主人に頼りきって生活しているなぁと思います。
健康だけが取り柄で、何年かに一度風邪を引くくらいの主人だったのに最近は年には勝てず、風邪も引きやすくなりました。
もう還暦なのですからそれも仕方がないのかもしれません。
私達の人生、こうして二人三脚でやっていけるのも後何年あるかわかりませんが、悔いのないよう日々仲良く暮らしていきたいなぁと思っています。
雲ひとつなく晴れ渡った空にくっきりと大山が見えました。
遠くの山並みには、少し白いものが・・・
昨日の雨が雪に変わったのでしょう。
今朝は肌寒く12月初旬の気温だとか。
11月3日文化の日は、晴れの特異日だと聞いていますが、その例にたがわず、今朝も見事に晴れ渡りました。
今日は私達夫婦の33回目の結婚記念日です。
忘れていたわけではないけれど、今日はいつも通り仕事なので、結婚記念日ということがすっかり頭から抜けていました。
朝食を終えた頃、主人が
「今日で33回目だね」
と言い、はっと思い出しました。
主人は
「33年も一緒にいたんだね。」
と言いました。
33年もいたのか、まだ33年しか経っていないのか。
私は特に感慨もなく返事を濁しました。
私達の結婚式の日も今日と同じように晴れ渡った青空でした。
私達は貧乏人同士の結婚だったため、式場も豪華な結婚式場ではなく、服の着付けはありましたが、髪のセットをしてくれるところはありませんでした。
ウェディングドレスは主人の妹に作ってもらい、お色直しのドレスは自分で編みました。
特別な髪型をするわけでもないため、式場の近くの美容院を予約してセットしてもらうことにしました。
美容院に行くために私は一人で先に家を出ました。
世間一般には、両手をついて、
「お父さん、お母さん、お世話になりました。」
という決め台詞を言うところだったのでしょうが、私は照れくさくてそんなことはできませんでした。
いつも家を出るのと同じように支度をし、いつもと同じように
「じゃね、行ってくるね」
と見送る両親に手を振って家を出ました。
そんな私を両親はどう思ったのだろう?と今でも時々思うことがあります。
朝一番に予約をした美容院で、セットが終わると
「こんなに朝早く、どちらかへお出かけですか?」
と聞かれ
「結婚式なんです」
と答えると
「お友達のですか?」
と言われ
「いえ、私が結婚するんです」
と答えた私に美容師さんが驚いた顔をしたのを今でも覚えています。
それほど、普通の髪型にセットしてもらったということです。
特別ハプニングもなく、式は滞りなく終わり、晴れ渡った空の下、集まった人たちで集合写真を撮りました。
披露宴では友達がそれぞれ余興を披露してくれて、当時としてはお決まりのやり方でお決まりの終わり方をしました。
最近の新郎新婦は食事も普通に皆と一緒に食べるようですが、当時の新郎新婦はお飾りのように何も食べずにただ座っているものだったようです。
でも、朝早く家を出て、空腹だった私はそんなことはおかまいなしに食事をしてしまい、その写真もしっかり撮られて、友達には、後々まで言われてしまいました。
お腹が空きすぎてがまんできなかったんです。
もう一つ覚えている事は、叔父がワンワン泣いた事です。
父のすぐ下の弟でした。
私のことを可愛がってくれていたのもありますが、私の両親が全然涙を流していないのに、叔父が一人で大声を出して泣いていました。
叔父にも娘がいたので、私とダブったのかもしれません。
その叔父も私の両親も今はいなくなってしまいました。
33年経った今、突然そんな結婚式のエピソードを思い出しました。
何でも良く食べて、食べ物には一切文句を言わない主人はいっしょにいて楽な人です。
汚いものや私が嫌だと思うものの始末は、何も言わなくて率先してやってくれます。
私がどこかへ行きたいと言えば、一緒に行ってくれます。
こうして考えていると、私はずいぶん主人に頼りきって生活しているなぁと思います。
健康だけが取り柄で、何年かに一度風邪を引くくらいの主人だったのに最近は年には勝てず、風邪も引きやすくなりました。
もう還暦なのですからそれも仕方がないのかもしれません。
私達の人生、こうして二人三脚でやっていけるのも後何年あるかわかりませんが、悔いのないよう日々仲良く暮らしていきたいなぁと思っています。