はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

母の病院へ

2009年01月28日 | わたくしごと
お正月明けの朝、弟から電話がありました。
忙しいはずの朝の電話なので、良い電話でないのは間違いありません。
「どうした?」
と言う私に、
「おふくろがまた変になった。救急車を呼んで、今、待っているところ。」
「また、肺?」
「昨日、変だったから女房が病院へ連れて行ったんだけど、今朝、なかなか起きてこないから部屋に行ってみたら意識がないんだ。」
と言います。
「まだ、どこの病院に運ばれるかわからないから、救急車が来てからまた連絡する。」
とのことで電話は切れました。

その時、私も体調がイマイチ・・・というか最悪の時でした。
身体がだるくて自分の身体をもてあましていた時でした。
それでも母の様態が悪いようなら行かなくちゃ・・・
と思いながら弟の連絡を待ちました。

午後になって弟から電話があり、
「おふくろは大学病院の救急救命センターへ運ばれたよ。前にも入院したところ。病名は喘息。
もう年だから、他の器官も弱っているし、今、処置中だけど、予断を許さない状態ということらしい。
だけど、今日明日中にどうにかなるということはなさそうだよ。
どっちみち今日は来ても会えないから、また明日連絡するよ。」
とのことでした。

母のことが気になっていても、自分の身体が思うように動かず、ただボーっとしていた私でした。

翌日、弟から電話で、
「おふくろは、かなり回復してきたよ。
意識も戻ったし、会話もできる。
はっきりとは言えないけど、たぶん、大丈夫だと思う。」
とのこと。
ほっとしました。

そして、その翌日、
「おふくろは、もう大丈夫だ。
救命センターから家の近くの病院に転院する話が出ているよ。
ここは、救急センターだから、回復した人は置いて置けないらしい。
今近くの病院に問い合わせているけど、ベッドが空いていないから、空いたらそっちへ移るよ。」

ほっとしました。

ところがその翌日、弟が転院先の相談をするために救命センターへ行くと、母の周りに医師や看護婦さんが集まっていて、ただならぬ様子。
母が突然発作を起こして、また危ない状態になっていたとのこと。
救命センターの面会はお昼と夕方の一時間で面会できる人数は二人だけ。
様態が悪いからと病院へ行っても面会できるわけでもなく、ただ連絡を待つのみでした。

翌朝、また弟から電話で
「また気管に管を入れたけど、落ち着いたらしい。」

母は、一進一退を繰り返している感じでした。

それから間もなくして、やっと私の体調が戻ってきたので、母の病院へ行ってみました。
母は、管をつけているので会話はできませんでしたが、意識はあるようで、私の言うことに首を振ったり、うなずいたりしていました。

それからの母の回復は順調で、
退屈だからラジオが欲しいだのジュースが飲みたいだの。
救急センターのICUでラジオやジュースが許可されるわけもなく、母はちょうどベッドが空いた家の近くの病院へ移りました。

前の週末は義母の七回忌だったため母の病院へ行くことはできませんでしたが、この間の土曜日に行ってきました。
母はベッドから起き上がって、元気そうでした。
まだ声がかすれて普通に出ませんが、弟の話では以前から比べるとだいぶ声も出るようになってきたということです。
その日から歩く練習をする予定だと言っていたので、この調子なら退院もそんなに遠い話ではないかもしれないと思っています。

母の肺で危篤状態に陥ったのはこれで4度目です。
そのときによって病名は違うのですが全部肺の病気です。
そして、いつものパターンで、一度意識がなくなって回復すると、母は痴呆のようになってしまい、見えるもの、思うことが尋常ではなくなります。
なんと返答したらよいかわからないようなことを口走るようになります。

初めてそんな風になったときは、身体は回復しても頭の状態は元には戻らないかもしれないと心配しましたが、2回、3回と繰り返しているうちに、それは、母の途中経過だと思えるようになりました。
それを知らない病院の看護士さんたちは完全に母がボケてしまったと思うらしいのですが、私たち家族はわかっているので、それほど心配はしていません。

今回も同じでした。
最初に私が行った時も、おかしなことばかり言っていました。
「あそこにお父さんがいるのに、いくら声をかけても振り向かない。」
とか、看護士さんを指差して、
「あの人はナイナイのやべっちだ」
とか、言うので笑ってしまいます。

母がお父さんと言っている人は確かに後姿が亡くなった父に似ていました。
弟が
「親父はもう死んだんだよ。もういないんだ。」
と言うと
「へぇー、そうなの?」
と目を丸くしたり。
先日行った時も、たまにおかしなことを言っていましたが、会話はほぼ普通に近い状態でした。

父が亡くなってから7年半になります。
その後、母は肺を患うようになり、入退院を繰り返すようになりました。
元気な時の母は、家の中に話し相手がいないため、近くの薬局へ行っては、話し相手になってくれる店員さんに言われるままに高価な健康食品を買って、持っているお金を全部つぎ込んでしまっているようです。
弟も
「おふくろはあんなにあった金、全部使っちゃったんだよ。
自分ではあると思っていたらしいけど、銀行に行ったら一円のお金もないと言われたらしい。
病院に入っていてくれたほうが金を使わなくて良いや。」
なんて言ってました。
弟たちが
「あそこの店には行くな!」
と何度言っても、ちょっと時間があるとそこへ行っては店員さんに話し相手になってもらっているらしいのです。

高い買い物をするというのも、私の想像では、母が
「ここが痛むから何か良いものはないかしら?」と言うために、お店の人も
「それなら・・・」と次々と品物を紹介してそれらを買ってしまうからだと思うのです。
高価な下着を買っては、どこかにしまい忘れ、なかなか見つからないからと、また新しいものを買うということもよくあるそうです。
母の寂しい気持ちもわからないわけではないし、私もそんな話を聞くと複雑な気持ちになります。

このままリハビリが始まり、歩けるようになれば、たぶん退院ということになるでしょう。
退院すればまた母の薬局通いが始まるのかもしれません。

母の様態に関してはひとまずほっとしているところですが、寒い季節なので風邪の心配もあるし、できれば春になるまでじっとしていて欲しいなと思ったりしています。

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