日曜日の早朝、とてものどが渇いて目が覚めました。
起きだして水をがぶがぶ飲みました。
それから再度横になったのですが、だんだんお腹が痛くなってきました。
痛みは徐々にひどくなり、じっと寝ていられなくなりました。
お腹は痛むのですが、便意はありません。
トイレに行っても何も出るものがなく、ただただ強い腹痛で脂汗が流れます。
そのうち痛みがひどすぎて吐き気がしてきました。
胃の調子が悪いとは思えないのですが、痛みが激しくなると吐きたくなります。
一人で部屋を出て、居間でうなっていると主人が気づいて背中をさすってくれるのですが、痛みは一向に治まる様子はなく、七転八倒とはこういう事を言うのだろうと思いました。
腹痛が始まったのが明け方4時ごろだったので、気づかないうちに1時間以上、腹痛に耐えていました。
痛みがひどくなるとその都度吐きます。
吐くと言っても胃の中は空っぽなので何も吐くものはないのですが、それでも腹痛が始まると痛みのために吐き気がします。
主人が、私の痛みが尋常でないのを感じて
「こうしていても仕方ないから救急車を呼ぼう。」
と言いました。
「えぇ?そんなに大げさな・・救急車は呼ばなくてもいいよ」
と言いましたが、日曜日の早朝に診てくれるような病院はあるはずもなく、その後も主人に背中をさすってもらいながら腹痛のためにトイレに駆け込み、吐くということを繰り返していました。
そうしていても一向に痛みが楽になることはなく、結局救急車を呼んでもらうことにしました。
その日は、前日からまめが高熱を出していて、娘一家が我が家に泊まっていました。
救急車が来るとクマが吠えまくるので、主人は娘たちと息子を起こして、クマを何とか吠えさせないように言いました。
それでまめパパがクマと勘九郎を散歩に連れ出してくれました。
救急車が来たのは6時ごろでした。
まめパパが散歩の途中で救急車に会い家を教え、サイレンを切ってくれるように言ったらしいので、近所の人には救急車が来たことは知られずに済みました。
救急車が来た頃は私の腹痛は少し治まり、歩けるようになっていました。
救急車に乗らなくても大丈夫かもしれないと思いました。
やってきた救急車の中で、血圧、熱、酸素濃度を測り、痛む場所を聞かれました。
私を運んでくれる病院を探してくれたのですが、日曜日の早朝なので近くに受け入れてくれる病院は見つかりませんでした。
休日当番の病院は整形外科らしく内科の医師がいる病院は8時から始まるというので、私の腹痛が少し落ち着き始めていたことから自分たちでその病院へ行くことにして、救急車にはそのまま帰ってもらうことにしました。
ひっきりなしに腹痛が続いたのですが、時間が経つにつれて、腹痛の周期が少し間隔を置くようになってきました。
8時までは2時間ありましたが、私にとっては時間の流れがまったくなく、ただ周期的に襲ってくる腹痛に耐えるという状態でした。
時間がくるまでの間、息子と娘が背中をさすってくれました。
「こんなことをしてて、痛みが楽になるかなぁ。」
と娘が言うと、息子が
「痛いとき、そこに手を乗せるというのは、やっぱり痛みを緩和させるものがあるからだと思うよ。どこか痛くしたときにそのままにしておくと、ものすごく痛みを感じるけど、そこに手を当てるだけで痛みが多少は和らぐから。」
と言い、娘が、
「だから、『手当て』というんだよね。」
などという二人の会話を聞きながら、私はひざを曲げて、うつぶせに座るような格好で寝ていました。
娘がまめパパが出かけるため、朝食の支度を始めた頃は、息子がずっと私の背中をさすってくれました。
手が摩擦で熱くなっているのではないかと思われるほど、ずっと、ずっと長い時間さすってくれました。
「病院にいくまであと30分になったよ。8時からだから7時30分頃出ればいいんじゃない?」
などと言いながら。
すると、痛みの周期はますます間隔が開くようになり、お腹がごろごろきゅるきゅる言うようになりました。
腸が動き出しているのがわかります。
息子も
「お腹が動いてきたみたいだね。お腹が鳴っているのが聞こえるよ。」
と言います。
「ずっと、さすってもらっているからかなぁ。」
と言うと息子はますます思いを込めて背中をさすってくれました。
息子の気持ちを感じて、有難さで胸が熱くなりました。
内科があるという病院が始まる時間が近づき、主人が病院に電話すると、その日は内科の医師がいないので、休日センターへ行くように言われました。
休日センターというのは検査などの設備はなく、熱があれば解熱剤を、お腹が痛ければ痛み止めか整腸剤のようなものをくれるだけなので、痛みもだいぶ楽になっているため家で寝ていることにしました。
お昼を過ぎると、お腹の痛みは、だいぶ楽になってきました。
すると今度は熱が出てきました。
高熱ではないのですが熱のせいで身体がだるく、その日はまだ断続的に来る腹痛と微熱のせいでずっとゴロゴロしていました。
翌日になってもすっかり腹痛が治まったわけではないので、かかりつけの病院へ行きました。
どうやら、風邪からきた腹痛だったようです。
たかが風邪から来る腹痛でしたが、言葉にできないほどの痛みでした。
それにしても息子は変わったなぁと思いました。
最近、以前の息子には考えられないようなやさしさを感じます。
以前だったら、私がどんなに具合が悪くてもまるで他人事。
「俺に痛いなんて言われても、うるさいだけだよ。病院にでも行ってくれば?」
というような言い方をされて、私はそのたびに悲しい思いをしました。
どんなに私の具合が悪くても心配するような言葉もないし、私の様態にはまったく無関心でした。
ところが先日のやけどの時といい今回の腹痛といい、今までの息子にしては考えられないようなやさしさを感じています。
そんな話を食事の時に娘たちにすると、娘は、
「『お母さんがお腹が痛くて救急車を呼んだらしい。』
と言った時のお兄ちゃんは、がばっと飛び起きて、
『えっ?それでお母さんはどこにいるの?』
って、その慌てようは半端じゃなかったよ。今頃になって、お兄ちゃんにもお母さんの大切さがわかってきたんじゃないの。」
と言ってました。
主人も
「ずっとお前の背中をさすっていたよね。驚いたよ。」
と。
以前の息子からすると、私の老後も寂しいものになるだろうと、将来が不安でした。
特に大きな期待しているわけではありませんが、息子がこんな風に変わってくれたなら、私たちの老後も少しは安心できるかなぁなんて思った次第です。
腹痛は辛かったですが、家族の暖かさを感じた数日間でした。
起きだして水をがぶがぶ飲みました。
それから再度横になったのですが、だんだんお腹が痛くなってきました。
痛みは徐々にひどくなり、じっと寝ていられなくなりました。
お腹は痛むのですが、便意はありません。
トイレに行っても何も出るものがなく、ただただ強い腹痛で脂汗が流れます。
そのうち痛みがひどすぎて吐き気がしてきました。
胃の調子が悪いとは思えないのですが、痛みが激しくなると吐きたくなります。
一人で部屋を出て、居間でうなっていると主人が気づいて背中をさすってくれるのですが、痛みは一向に治まる様子はなく、七転八倒とはこういう事を言うのだろうと思いました。
腹痛が始まったのが明け方4時ごろだったので、気づかないうちに1時間以上、腹痛に耐えていました。
痛みがひどくなるとその都度吐きます。
吐くと言っても胃の中は空っぽなので何も吐くものはないのですが、それでも腹痛が始まると痛みのために吐き気がします。
主人が、私の痛みが尋常でないのを感じて
「こうしていても仕方ないから救急車を呼ぼう。」
と言いました。
「えぇ?そんなに大げさな・・救急車は呼ばなくてもいいよ」
と言いましたが、日曜日の早朝に診てくれるような病院はあるはずもなく、その後も主人に背中をさすってもらいながら腹痛のためにトイレに駆け込み、吐くということを繰り返していました。
そうしていても一向に痛みが楽になることはなく、結局救急車を呼んでもらうことにしました。
その日は、前日からまめが高熱を出していて、娘一家が我が家に泊まっていました。
救急車が来るとクマが吠えまくるので、主人は娘たちと息子を起こして、クマを何とか吠えさせないように言いました。
それでまめパパがクマと勘九郎を散歩に連れ出してくれました。
救急車が来たのは6時ごろでした。
まめパパが散歩の途中で救急車に会い家を教え、サイレンを切ってくれるように言ったらしいので、近所の人には救急車が来たことは知られずに済みました。
救急車が来た頃は私の腹痛は少し治まり、歩けるようになっていました。
救急車に乗らなくても大丈夫かもしれないと思いました。
やってきた救急車の中で、血圧、熱、酸素濃度を測り、痛む場所を聞かれました。
私を運んでくれる病院を探してくれたのですが、日曜日の早朝なので近くに受け入れてくれる病院は見つかりませんでした。
休日当番の病院は整形外科らしく内科の医師がいる病院は8時から始まるというので、私の腹痛が少し落ち着き始めていたことから自分たちでその病院へ行くことにして、救急車にはそのまま帰ってもらうことにしました。
ひっきりなしに腹痛が続いたのですが、時間が経つにつれて、腹痛の周期が少し間隔を置くようになってきました。
8時までは2時間ありましたが、私にとっては時間の流れがまったくなく、ただ周期的に襲ってくる腹痛に耐えるという状態でした。
時間がくるまでの間、息子と娘が背中をさすってくれました。
「こんなことをしてて、痛みが楽になるかなぁ。」
と娘が言うと、息子が
「痛いとき、そこに手を乗せるというのは、やっぱり痛みを緩和させるものがあるからだと思うよ。どこか痛くしたときにそのままにしておくと、ものすごく痛みを感じるけど、そこに手を当てるだけで痛みが多少は和らぐから。」
と言い、娘が、
「だから、『手当て』というんだよね。」
などという二人の会話を聞きながら、私はひざを曲げて、うつぶせに座るような格好で寝ていました。
娘がまめパパが出かけるため、朝食の支度を始めた頃は、息子がずっと私の背中をさすってくれました。
手が摩擦で熱くなっているのではないかと思われるほど、ずっと、ずっと長い時間さすってくれました。
「病院にいくまであと30分になったよ。8時からだから7時30分頃出ればいいんじゃない?」
などと言いながら。
すると、痛みの周期はますます間隔が開くようになり、お腹がごろごろきゅるきゅる言うようになりました。
腸が動き出しているのがわかります。
息子も
「お腹が動いてきたみたいだね。お腹が鳴っているのが聞こえるよ。」
と言います。
「ずっと、さすってもらっているからかなぁ。」
と言うと息子はますます思いを込めて背中をさすってくれました。
息子の気持ちを感じて、有難さで胸が熱くなりました。
内科があるという病院が始まる時間が近づき、主人が病院に電話すると、その日は内科の医師がいないので、休日センターへ行くように言われました。
休日センターというのは検査などの設備はなく、熱があれば解熱剤を、お腹が痛ければ痛み止めか整腸剤のようなものをくれるだけなので、痛みもだいぶ楽になっているため家で寝ていることにしました。
お昼を過ぎると、お腹の痛みは、だいぶ楽になってきました。
すると今度は熱が出てきました。
高熱ではないのですが熱のせいで身体がだるく、その日はまだ断続的に来る腹痛と微熱のせいでずっとゴロゴロしていました。
翌日になってもすっかり腹痛が治まったわけではないので、かかりつけの病院へ行きました。
どうやら、風邪からきた腹痛だったようです。
たかが風邪から来る腹痛でしたが、言葉にできないほどの痛みでした。
それにしても息子は変わったなぁと思いました。
最近、以前の息子には考えられないようなやさしさを感じます。
以前だったら、私がどんなに具合が悪くてもまるで他人事。
「俺に痛いなんて言われても、うるさいだけだよ。病院にでも行ってくれば?」
というような言い方をされて、私はそのたびに悲しい思いをしました。
どんなに私の具合が悪くても心配するような言葉もないし、私の様態にはまったく無関心でした。
ところが先日のやけどの時といい今回の腹痛といい、今までの息子にしては考えられないようなやさしさを感じています。
そんな話を食事の時に娘たちにすると、娘は、
「『お母さんがお腹が痛くて救急車を呼んだらしい。』
と言った時のお兄ちゃんは、がばっと飛び起きて、
『えっ?それでお母さんはどこにいるの?』
って、その慌てようは半端じゃなかったよ。今頃になって、お兄ちゃんにもお母さんの大切さがわかってきたんじゃないの。」
と言ってました。
主人も
「ずっとお前の背中をさすっていたよね。驚いたよ。」
と。
以前の息子からすると、私の老後も寂しいものになるだろうと、将来が不安でした。
特に大きな期待しているわけではありませんが、息子がこんな風に変わってくれたなら、私たちの老後も少しは安心できるかなぁなんて思った次第です。
腹痛は辛かったですが、家族の暖かさを感じた数日間でした。