♪命かけてと誓った日から
素敵な思い出残してきたのに・・・
土曜日サッカーへ行く途中の車の中で、加藤和彦氏死亡のニュースを聞きました。
しかも死因は縊死だったとか。
「死はいつも身近にあるもの。特別な存在ではない。」
と加藤氏は常々語っていたそうです。
うつ病を患っていたという話も聞くので、心の病気だったのかなとも思います。
加藤氏の死後、あちこちのメディアから、「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲が流れます。
私はこの曲を聴くと、学生時代の同級生であるK君を思い出します。
この曲が流行った頃、私達はみんなでよくこの曲を口ずさみました。
当時私達のサークルの部室には1台のギターが置いてあり、誰かがギターを弾き、誰かが歌う、あるいはみんなで歌うということがよくありました。
当時はカラオケなんてないので、歌の伴奏はアコースティックギターでした。
特にK君はこの曲が好きだったらしく、部室に来るとギターを弾きながら一人で歌っていました。
同級生ではありましたが、私とK君は特に波長が合うというわけではなかったので、他の男子と比べるとあまり親しい関係ではありませんでした。
K君はテレビ局のアナウンサーになることが夢だったようです。
卒業後はアナウンスの専門学校へ通い、最終的には地元のテレビ局に就職しました。
その後K君は結婚し、奥さんと共にこちらに出てきた折、私も何年かぶりにK君に会いました。
その数年後、友達から連絡があり、
「明日の朝、Kがテレビに出るから見てくれ」
と言ってきました。
全国放送の朝のワイドショーの中継でK君の報道が流れました。
「○○放送のKさん、お願いします。」
というパーソナリティの呼びかけで、線路の上でマイクを持ったK君が現れました。
内容は忘れましたが、K君は一人で堂々とレポートをしていました。
「へぇ~、K君は初心を貫徹してがんばってるんだ!」
とちょっと感動でした。
その後も、K君はどんどん活動範囲を広げ、地方局から徐々に全国区へと仕事の量も増えていったようです。
そのK君は先日の『40年ぶりのサークルの同窓会』には出席しませんでした。
K君は40代前半に志半ばにして亡くなってしまったからです。
病死でした。
長年の夢であったアナウンサーへの道を貫き、邁進している途中でした。
K君が大好きだった「あの素晴らしい愛をもう一度」の作曲者である加藤氏は自殺、K君は無念の病死。
私は複雑な思いで加藤氏の縊死の報道を聞きました。

今日で私がブログを開設してからまる5年になります。
今日からは、6年目に向かう第一日目と言うことになります。

編集画面に書かれているブログ開設からの日数は1825日。
365日で割ってみたら、ちょうど「5」になりました。
書いた記事は今日の記事をいれて1698。
自分でもよく続いているなぁと思います。
これもひとえにみなさんのおかげと心から感謝しています。
ちょうど5年目にあたる記事がちょっと寂しいものになってしまいましたが、これからもお休みしたり復活したり、書きたいことがあるたびに何かしら書いていきたいと思っています。
今後ともどうか宜しくお願いいたします。
素敵な思い出残してきたのに・・・
土曜日サッカーへ行く途中の車の中で、加藤和彦氏死亡のニュースを聞きました。
しかも死因は縊死だったとか。
「死はいつも身近にあるもの。特別な存在ではない。」
と加藤氏は常々語っていたそうです。
うつ病を患っていたという話も聞くので、心の病気だったのかなとも思います。
加藤氏の死後、あちこちのメディアから、「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲が流れます。
私はこの曲を聴くと、学生時代の同級生であるK君を思い出します。
この曲が流行った頃、私達はみんなでよくこの曲を口ずさみました。
当時私達のサークルの部室には1台のギターが置いてあり、誰かがギターを弾き、誰かが歌う、あるいはみんなで歌うということがよくありました。
当時はカラオケなんてないので、歌の伴奏はアコースティックギターでした。
特にK君はこの曲が好きだったらしく、部室に来るとギターを弾きながら一人で歌っていました。
同級生ではありましたが、私とK君は特に波長が合うというわけではなかったので、他の男子と比べるとあまり親しい関係ではありませんでした。
K君はテレビ局のアナウンサーになることが夢だったようです。
卒業後はアナウンスの専門学校へ通い、最終的には地元のテレビ局に就職しました。
その後K君は結婚し、奥さんと共にこちらに出てきた折、私も何年かぶりにK君に会いました。
その数年後、友達から連絡があり、
「明日の朝、Kがテレビに出るから見てくれ」
と言ってきました。
全国放送の朝のワイドショーの中継でK君の報道が流れました。
「○○放送のKさん、お願いします。」
というパーソナリティの呼びかけで、線路の上でマイクを持ったK君が現れました。
内容は忘れましたが、K君は一人で堂々とレポートをしていました。
「へぇ~、K君は初心を貫徹してがんばってるんだ!」
とちょっと感動でした。
その後も、K君はどんどん活動範囲を広げ、地方局から徐々に全国区へと仕事の量も増えていったようです。
そのK君は先日の『40年ぶりのサークルの同窓会』には出席しませんでした。
K君は40代前半に志半ばにして亡くなってしまったからです。
病死でした。
長年の夢であったアナウンサーへの道を貫き、邁進している途中でした。
K君が大好きだった「あの素晴らしい愛をもう一度」の作曲者である加藤氏は自殺、K君は無念の病死。
私は複雑な思いで加藤氏の縊死の報道を聞きました。

今日で私がブログを開設してからまる5年になります。
今日からは、6年目に向かう第一日目と言うことになります。

編集画面に書かれているブログ開設からの日数は1825日。
365日で割ってみたら、ちょうど「5」になりました。
書いた記事は今日の記事をいれて1698。
自分でもよく続いているなぁと思います。
これもひとえにみなさんのおかげと心から感謝しています。
ちょうど5年目にあたる記事がちょっと寂しいものになってしまいましたが、これからもお休みしたり復活したり、書きたいことがあるたびに何かしら書いていきたいと思っています。
今後ともどうか宜しくお願いいたします。
