3月4日、茨城の叔父が亡くなりました。
94歳でした。
長寿だったと思います。
義母の弟で、私たち夫婦の仲人でした。
私たちの仲を取り持ってもらったわけではありませんが、当時仲人は結婚式にはつきものだったので、叔父夫婦にお願いしました。
とても穏やかな人で、叔父が怒った顔を想像するのは難しい感じでした。
以前のサッカーの日本代表の監督だったザッケローニ氏に似ていて、初めてザッケローニ氏を見たとき、「茨城の叔父さんに似てるね」と主人と声を揃えて言い、笑ってしまったことがあります。
叔父は、小学校の教員から教頭を経て中学校の校長になりました。
義母の話では、当時は中学が荒れていた時代でしたが、叔父は生徒の一人一人に声を掛け、荒れた学校を正常に戻したということでした。
その後、教育委員会に籍を置いたのですが、あちこちで依頼があり、校長時代の事を講演をしたと聞きました。
あの叔父さんなら、そういうこともあるだろうと思いました。
私たちが結婚してから毎年、初夏にはメロン、冬には干し芋を送ってくれました。
どちらも茨城県の名産品です。
それも数年前から来なくなり、その少し前から電話の受け答えが変な事があったので、もしかしら?と話していました。
叔父と同居している従兄に叔父の様子を聞くと、
「耳が少し遠いけれど、元気」
という話でした。
でも、私たちは単に耳が遠いだけではないだろうと思っていました。
昨年の11月に自宅生活ができなくなり入院したそうですが、コロナの関係で面会はできず、先日死亡の連絡を受けたそうです。
特に苦しむことはなく、眠るように亡くなったということでした。
老衰だったと従兄は言っていました。
主人は、「叔父が元気なうちに一度顔を見に行きたい」と言っていましたが、それも実現しないまま亡くなってしまいました。
主人の従兄は、電話口で「何ともない。元気だ。」としか言いませんでした。
入院の事も知らせてきませんでした。
生前の叔父の業績があるだけに、弱った叔父の姿を親戚中に知らせたくなかったのではないかと私は思っています。
今までなら叔父の葬儀となれば、私たち夫婦も当然参列したと思いますが、今般の事情で葬儀も内輪で済ませるということでした。
叔父の優しい笑顔が、浮かんできます。
コロナが落ち着いたら、一度お墓参りに行こうと話しています。