はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

母の旅立ち

2009年05月29日 | わたくしごと
5月27日、母が亡くなりました。
82歳でした。

ゴールデンウィーク中の母は、かなり良い状態でした。
ところがそろそろ食事とリハビリを初め、退院の準備を・・・と考えていた矢先、肺炎になってしまいました。
痰を自力で吐き出せなかったようです。

その後は意識がなくなり、最初は呼びかければ目を開けてくれましたが、徐々にそれもなくなり、2週間ほど前からいつその日が来てもおかしくない状態が続いていました。
夜呼び出され、高速を走る途中に「持ち直したよ」という連絡で引き返したり・・・。
そんなことを繰り返しながら、27日、とうとう母は逝ってしまいました。
正直言ってまだ実感はありません。

その日の朝、いつも通り出社し、席についた途端弟から
「『今日か明日かという状態だから、会っておいた方が良い』と病院で言われた。」
という連絡を受け、急遽息子と娘と共に母の病院に向かいました。

でも、間に合いませんでした。
首都高の渋滞の中、弟から立て続けに
「脈が弱くなった」
「血圧が低下してきた」
「もうダメかもしれない」
「あと、2~3分らしい」
という電話。
そして、とうとう母の死の知らせでした。
娘は、
「私たちが『一緒に行く!』と言わなければ、おばあちゃんの死に目に会えたのに・・・お母さん、ごめんね。」
と言い、弟は、
「前日、俺が『持ち直したから引き換えしたら?』と言わなければ息のあるお袋に会えたのに・・・悪かった。」
と言っていました。

でも、私はそれらのやさしい言葉に感謝し、母の死に目に会えなかったことに後悔はしていません。
それまでできる限り母の病院へ行き母に声をかけました。
前夜は引き返しましたが、その少し前にも意識のない母に会い、声をかけています。
当日、間に合ったとしても同じ状態だったと思えるのです。
いつも私たち子供のことを考えてくれていた母は、私たちが心残りのないようにと最大限がんぱってくれたのだと思います。

病院の計らいで、母は2ヶ月間いたベッドでいつものように私を迎えてくれました。
間に合いはしませんでしたが、母はまだ十分暖かくただ眠っているだけのようでした。

昨日、28日、母は湯灌をしました。
2ヶ月間お風呂に入っていなかった母は、程よい温度のお湯に浸かり、丁寧に身体や髪を洗ってもらいました。
シャンプーをしてもらっていたとき、不思議なことに母は微笑んでいるように見えました。
とても気持ちよさそうでした。
それは私だけではなく、そこに立ち会ったすべての人がそのように見えたようです。
最後に整髪、お化粧を施してもらった母は血色もよく、いかにも目をあけて話しかけてくれそうに見えました。

亡くなった母を見たまめたろうは、母のところに向かう途中、
「おばあちゃん、昨日はずっと眠っていたけど、今日は起きているかなぁ。」
と言いました。
「おばあちゃんは今日も眠っているよ。これからもずっと眠っているの。」
と私は答えました。
そう言いながら私は、母がもう目を開けることはないというのがいまだに信じられないでいます。


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