はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

弟の事とクマの事

2014年05月19日 | 出来事
弟は、17日の朝に警察署から引き取られ、午前中のうちには自宅に戻ることができました。
その旨、義妹から連絡があったので、私たちもすぐに家を出ました。

弟は、顔色も良くただ眠っているだけのように見えました。
でも、触ってみると身体は冷たく、そこで改めて命が消えてしまったことを確認させられました。

一段落した後、その時の詳しいことを聞きました。

弟は、一ヶ月くらい前から胸の痛みを訴えていたそうです。
「ゴールデンウィークに私の家に来た時には、何もそんなことは言っていなかったのに」
と言うと、その頃はまだ軽い症状で、たまに痛みがある程度だったらしく、特に私たちに話すほどではなかったということでした。
ところが、最近になって毎日のように胸が痛いと言い、先日、大学病院で検査を受けたばかりだったらしい。
その時の検査は、血液検査だけで、結果は心筋梗塞の心配はないということだったらしいのですが、それでも胸が痛むので、もっと詳しい検査をするため予約をしていて、来週検査を受けることになっていたということでした。

弟も私と同じ五十肩を患っていました。
私は、去年の10月から始まったのですが、弟は11月からだったそうです。
今年に入ってから弟と会う機会が多かったので、会うたびにお互い肩の痛みの報告と治療の方法など話していました。
なので、検査の結果異常がないのなら、胸の痛みは肩から来ているのかもしれないと思っていたそうです。

その日のゴルフも心筋梗塞の心配はないと言われていたので、出かけて行ったと・・・。
でも、「具合が悪かったら、止めるよ」とは、言っていたそうです。
そして、プレー中は何事もなく、普通にゴルフを楽しんでいたということでした。

ゴルフが終わってからみんなで食事をすることになっていたので、出かけようとしたところ、弟はそこで具合が悪くなったらしい。
お得意さんもいたらしく、弟は一人残って、会社の人たちには先に食事場所に行ってもらったそうです。
少し休んだ後、追いかけるつもりで弟は一人で電車に乗ったようです。
多分、電車の中でますます具合が悪くなったんだと思います。

弟が倒れた場所は、弟の行き先とは全く関係のない場所だったそうです。
警察の人が言うには、集合場所に行く途中、目的の場所で電車を降りることができず、先の駅まで乗り越してしまい、戻ろうとして別の電車に乗り、そこで倒れたのではないかということでした。

最初は、電車の中で会社の人と一緒だったと聞いていましたが、弟は一人だったようです。
一人苦しみながらゴルフ場を出て、電車に乗った弟の事を想像すると、かわいそうでたまらなくなります。
電車を乗り過ごすほど苦しかったんだと思うと、どうしてゴルフ場で救急車を呼んでもらわなかったのかと悔やまれます。
いや、それ以前に、どうしてそんなに毎日胸が痛かったのに、ゴルフなんかへ行ったのかと。

その日のゴルフがなければ、来週の検査で多分心筋梗塞と診断され、入院なり手術なりして、助かったかもしれないと思います。
義妹が、今回最期にお世話になった病院の先生に、
「血液検査で心筋梗塞の疑いはないと言われていた」
と話すと、
「血液検査だけでは、病気が表れない場合があるんですよ」
と言われたそうです。

弟は電車の中で一人ではありましたが、弟の様子に気づいた乗客がすぐに車掌さんに連絡してくれて、たまたま乗り合わせていた医師から心臓マッサージを受け、次の停車駅でAEDもしていただき、処置に関しては問題ない状況だったらしいのに、それでも弟はダメだったようです。
救急車で病院へ運び、普通は30分くらいで止めてしまう心臓マッサージを40分以上も続けていただいたということでしたが、実際のところ弟は電車の中で死亡していたのと同じだったようです。
弟の胸は心臓マッサージのため、かなりうっ血していて黒く痕が残っていると家族は言っていました。
それほど熱心に蘇生処置をしてもらったということだと思います。

若くして逝ってしまって
”バカ””馬鹿なヤツ”
と思います。

この日、弟が帰って来たので、親戚、知人に弟の事を連絡しなければなりません。
親戚関係は、ほとんどが私関係の親戚になります。
義妹では、連絡しにくいだろうと思い、私が連絡をすることにしました。
叔父、叔母、従妹たちに片っ端から連絡しました。
みな、一様に絶句でした。
私が甥から電話をもらったときと同じような反応だったと思います。

弟は、性格もあり仕事柄もあるのでしょうが、まめに人の世話をし、顔を出し、良い意味での仕切り屋さんだったので、何かがあるといつも中心になって動いていました。
なので、叔母やいとこたちも私同様、弟を頼っていたところがあったようです。
多くの親戚は近くに住んでいるので、連絡するとすぐに次々と弔問に来てくれました。
それだけ弟の存在は、それぞれの中で大きかったんだと思いました。

***************


クマは弟が大好きでした。
弟もクマが好きで、私たちが弟の家に行く時や、弟たちが私たちの家に来るときには、クマたちに必ずフードを持ってきました。
するとクマは、いつも弟のそばを離れず、ずっとそばにいました。
弟がフードをくれるからなのですが、弟とクマのツーショットは定番でした。

そんなわけなので、弟の方が先でしたが、きっとクマと弟は一緒に虹の橋を渡ったんだろうと思いました。
弟が少し振り帰り気味にクマを見ながら歩き、クマが後を付い行く姿が目に浮かんできます。
きっと、そんな風に二人でいるんだろうと思います。

弟は、ゴールデンウィークに来た時、帰り際に「クマ、がんばれよ!」と声を掛けていました。

私は、昨日弟の枕元に行くと、真っ先に
「今朝、クマも後を追ったよ。」
と報告しました。

弟の事とクマの事と悲しみが重なりましたが、重なったために悲しみが分散されているような気もしています。
クマは、よくがんばったと思います。
ずいぶん長い間、がんばりました。
クマは、世間で聞く夜中の徘徊や夜鳴きなど、私たちを煩わせるようなことはなく静かに息を引き取りました。
息は荒かったですが、それほど苦しそうにしていなかったのが救いです。
本当に親孝行だったと思います。

弟のことがあって、家を留守にすることが増えそうでした。
今度ばかりは、娘や息子に留守を頼むというわけにもいかず、クマの介護ができなくなるので、どうしたものかと思っていました。
そんな私たちの会話を聞いていたのかもしれません。
クマなりに自分の死期を私たちが出かける前に選んだのかもしれないと思っています。
家を出るときはまだ体中が温かく、何度も息をしているかどうか確かめました。
心臓の音も確かめました。
家に戻った時、もしかしたらまたクマは呼吸を始めたかもしれないとも思いましたが、やはり冷たくなっていました。

ここまでクマが長くがんばれたのも、山梨の先生のおかげと心から感謝しています。


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