はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

突然の出来事

2005年08月22日 | わたくしごと
先週末の土曜日のことでした。
朝の10時前だったと思います。
突然弟から電話があり、
「急におふくろの意識がなくなり、今、救急車を呼んだ。病院が決まったら、また連絡する」
と言ってきました。

1週間前に実家に行ったときには、元気だった母です。
コラーゲンを飲んで肌も艶々して顔色も良く、『元気そうだなー』と安心して帰ってきたばかりでした。
それが突然『意識不明』と聞いても、納得がいかないことばかりで、何を聞いても「何故?」「どうして?」と弟に問うばかりでしたが、緊急事態の真っ只中にいる弟には、私にいろいろ説明している時間はなかったようです。

それから、そんなに時間がかからないうちに、再び弟から電話が入り、
「病院に着いたけれど、医師から『もう回復の見込みがないから、延命措置をするかどうか?』と言われている。どうしたらいいか?」
という内容でした。
でも、私は、それに答えるより、
「何が何だかわからない。あんなに元気だったお母さんが、何故、急にそれほどの重態になったの?」
という問いかけばかりでした。

弟は、病院の医師に結論を伝えなければならないし、詳しく私に説明している時間もない。弟本人にも何故こんなことになってしまったのかよくわからず、私にあれこれ問いかけられて困惑しているようでした。

私と弟が電話でやりとりしている間に、いずれにしてもそこの病院に重体の母の処置をする設備がないということになり、とりあえずは応急処置をし、別の病院に搬送されることになりました。
いわゆる救命救急センターのあるところでないと母の処置をするのは無理ということでした。
救急隊の人が、母を受け入れてくれる病院を探してくれました。

病院が決まったという連絡を受けて、私は病院に向かいました。
娘も仕事を早退して来て一緒に行きました。
事態が悪化したときは、後から主人と息子が来るという段取りにしました。

でも、病院へ行っても、母は一番重度の集中治療室に入っていて面会はできず、とりあえず実家で待機することになりました。
その後、弟が帰ってきて、詳しく話を聞くことができました。

母は、2~3日前から変な咳をするようになり、薬局で買い薬をして、咳を止めようとしていたようです。

金曜日の昼食の時、母の顔は別人のようにむくんでいて、食欲もなく、たまたま休みで家にいた弟が近くの病院へ連れて行ったそうです。
そこで、レントゲン撮影の結果、肺炎と心臓肥大と言われ、薬をもらって帰り、翌日入院設備のある病院でもう一度看てもらおうということにしたとのこと。
それでも、その日の母は自分で歩き、友達との約束を断るために電話もしていたそうです。

そして翌朝の土曜日、朝食の時間になっても起きてこない母を見に行ったところ、すでに意識がなくなっていたそうです。
呼んでもゆすっても目を覚ます様子がなく、口から泡を吹いて、それには血液のようなものも混じっていたようなのです。
救急隊員の人がやってきて、母を運び出す時もまったく意識がなかったそうです。
最初の病院で、「回復の見込みはない」と言われた時は、弟も覚悟を決め、連絡を受けた私も希望をつなぎながらも、もう母はダメなのかと暗い気持ちになり、ともすると泣き出しそうになるのをぐっとこらえていました。

でも、最初の病院での応急処置が良かったのと、現在入院している病院で長い時間をかけて母を治療してくださったのとで、母の意識は回復したのです。

やっと面会することができるようになって私と娘が呼びかけると、母は目を開けて、私と娘を交互にじっと見ていました。
「わかる?」
と聞くと頷いていました。
呼吸器をつけているので、言葉は話せませんが、私達が言っている言葉には、しっかりと反応していました。
肺の方まで酸素の管が入っているとの事で、意識が戻ると苦しいそうです。
そのため、あまりそばで刺激すると苦痛を与えてしまうようで早々に引き上げてきました。

母は、とても強い菌を吸ってしまったらしく、まだまだ予断を許さない状態のようです。
「100パーセント回復するという保証はできないけれど、回復する方向で努力する」
という先生の言葉を信じて見守るしかないようです。

母は、先日80歳になったばかりです。
秋に行われる娘のダンスの発表会を楽しみにしていました。
そして、娘の結婚のことも心待ちにしていました。
自分自身でも、まだまだやりたいこともあり、行きたいところもあると思うのです。
何とか気力で、もう一度元気になってほしいと思っています。
母の生きようとする力に期待したいと思っています。


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