5月の初めに、我が家に遊びに来たばかりの弟なので、私の家には、あちこちに弟の痕跡が残っています。
冷凍庫を開ければ、ウィスキーを飲んだ時に残ったロックアイスがあり、キッチンの隅には、弟がクマへのお土産に持ってきたお菓子があります。
「人気の店で、並んで買ったんだよ」と弟が言っていたお土産のお菓子もまだ一部冷蔵庫の中に残っています。
弟が息子へのお土産に持ってきたウィスキーもそのままです。
それらが目に入るたびに弟の事を思い出し、涙があふれてきます。
一人でいると、弟のことばかり思い出してしまいます。
私たちは、弟が結婚するまでは、とても仲の良い姉弟でした。
結婚してから仲が悪くなったわけではありませんが、それぞれが家庭を持ち、子供も生まれ、自分の家庭に目を向けるようになり、自然と姉弟の関係は、遠のいていきました。
ただ、それだけです。
でも、何かあるとすぐに弟は飛んできてくれました。
義母が入院した時も何度もお見舞いに来てくれたし、亡くなった時は、枕花を持ってすぐに来てくれました。
私の家の引越しの時も一人やってきて、荷物を運んでくれました。
義理堅い弟なので、私たちが弟の家の引越しを手伝ったため、その恩を返したいと思って無理して来たんだろうと思いました。
私たちの引越しは、目の前のアパートからだったので、距離も短いし、業者にも頼んでいたので、特に弟に来てももらわなくても大丈夫だったのに、弟は、
「引越しの時は、絶対に連絡してよ。」
と言って、手伝いに来ました。
でも、雪が降り始め、首都高が走れなくなる心配もあったので、早めに帰っていきました。
娘が入院した時も、「明日、退院だから心配しなくても大丈夫」と言ったのに、一人で車を飛ばしてお見舞いに来ました。
私たちが、弟の子供たちが入院した時に、お見舞いに行ったからだと思います。
そんなに気にすることはないのに、まめに義理を果たす弟でした。
2月の田舎の葬儀の時も、亡くなったという知らせを受けて、すぐに埼玉まで飛んで行ったようです。
私は、葬儀にしか顔を出しませんでしたが、弟は、お通夜はもちろん、その前にも顔を出し気遣いを重ねていました。
主人の妹の連れ合いが亡くなった時も、わざわざ福島まで出向いて、葬儀に参列してくれました。
「ゴルフの道具をもらったり、営業で福島へ行った時には、飲みに連れて行ってもらったから」
と弟は言っていました。
私は、香典を送れば良いと思って弟に連絡したのですが、弟はわざわざ行ってくれました。
そういう気配りというかまめな人間だったので、神経を使いすぎて心筋梗塞にもなったのかなと思ったりしています。
そんな弟だったので、葬儀にも多くの弔問の人が集まったんだろうと思いました。
まだ、孫の顔も見ることなく、仕事に対してもやり残したことがたくさんあったんだろうと思います。
さぞかし無念だったろうと思うと、かわいそうでたまりません。
あまりに突然で、早すぎだった弟の死は、私の中でなかなか消化し切れないでいます。
「私たちは、お互いに突然というのは、やめようね。」
と主人と話しました。
そんな風に話をしたからと言って、突然死から免れられるものではありませんが、残された者がこれほど辛い思いをするのですから、お互い心の準備ができてからにして欲しいものだと思います。
弟が突然亡くなってしまってから、毎日弟の事を考え、弟の事を思い出しています。
そして、それらのことを毎日ブログに書きました。
今後、また何か思い出して書きたいと思うことが出てくるかもしれませんが、これで一旦、弟の事を書くのは終わりにしようと思っています。
冷凍庫を開ければ、ウィスキーを飲んだ時に残ったロックアイスがあり、キッチンの隅には、弟がクマへのお土産に持ってきたお菓子があります。
「人気の店で、並んで買ったんだよ」と弟が言っていたお土産のお菓子もまだ一部冷蔵庫の中に残っています。
弟が息子へのお土産に持ってきたウィスキーもそのままです。
それらが目に入るたびに弟の事を思い出し、涙があふれてきます。
一人でいると、弟のことばかり思い出してしまいます。
私たちは、弟が結婚するまでは、とても仲の良い姉弟でした。
結婚してから仲が悪くなったわけではありませんが、それぞれが家庭を持ち、子供も生まれ、自分の家庭に目を向けるようになり、自然と姉弟の関係は、遠のいていきました。
ただ、それだけです。
でも、何かあるとすぐに弟は飛んできてくれました。
義母が入院した時も何度もお見舞いに来てくれたし、亡くなった時は、枕花を持ってすぐに来てくれました。
私の家の引越しの時も一人やってきて、荷物を運んでくれました。
義理堅い弟なので、私たちが弟の家の引越しを手伝ったため、その恩を返したいと思って無理して来たんだろうと思いました。
私たちの引越しは、目の前のアパートからだったので、距離も短いし、業者にも頼んでいたので、特に弟に来てももらわなくても大丈夫だったのに、弟は、
「引越しの時は、絶対に連絡してよ。」
と言って、手伝いに来ました。
でも、雪が降り始め、首都高が走れなくなる心配もあったので、早めに帰っていきました。
娘が入院した時も、「明日、退院だから心配しなくても大丈夫」と言ったのに、一人で車を飛ばしてお見舞いに来ました。
私たちが、弟の子供たちが入院した時に、お見舞いに行ったからだと思います。
そんなに気にすることはないのに、まめに義理を果たす弟でした。
2月の田舎の葬儀の時も、亡くなったという知らせを受けて、すぐに埼玉まで飛んで行ったようです。
私は、葬儀にしか顔を出しませんでしたが、弟は、お通夜はもちろん、その前にも顔を出し気遣いを重ねていました。
主人の妹の連れ合いが亡くなった時も、わざわざ福島まで出向いて、葬儀に参列してくれました。
「ゴルフの道具をもらったり、営業で福島へ行った時には、飲みに連れて行ってもらったから」
と弟は言っていました。
私は、香典を送れば良いと思って弟に連絡したのですが、弟はわざわざ行ってくれました。
そういう気配りというかまめな人間だったので、神経を使いすぎて心筋梗塞にもなったのかなと思ったりしています。
そんな弟だったので、葬儀にも多くの弔問の人が集まったんだろうと思いました。
まだ、孫の顔も見ることなく、仕事に対してもやり残したことがたくさんあったんだろうと思います。
さぞかし無念だったろうと思うと、かわいそうでたまりません。
あまりに突然で、早すぎだった弟の死は、私の中でなかなか消化し切れないでいます。
「私たちは、お互いに突然というのは、やめようね。」
と主人と話しました。
そんな風に話をしたからと言って、突然死から免れられるものではありませんが、残された者がこれほど辛い思いをするのですから、お互い心の準備ができてからにして欲しいものだと思います。
弟が突然亡くなってしまってから、毎日弟の事を考え、弟の事を思い出しています。
そして、それらのことを毎日ブログに書きました。
今後、また何か思い出して書きたいと思うことが出てくるかもしれませんが、これで一旦、弟の事を書くのは終わりにしようと思っています。