ケン事とのかみ合わない話が済んだ後、サイ判カンと会うことになりました。
サイ判カンは女性でした。
「まずいな・・・」
と思いました。
ケン事は、起ソの一点張りで、全く話を聞き入れてもらえず、今度は女性が相手です。
置換というハン罪は女性の敵だという意識が強いかもしれない。
またまた自分には不利だと思いました。
サイ判カンは、
「何か言いたいことがありますか?」
と言いました。
私は、
「とにかくシャク放して欲しい」
と言いました。
「身元も明らかにしているし、逃げも隠れもしない。会社も急に休むことになってしまったし、とにかく家に帰して欲しい。」
と言いました。
サイ判カンとの話が済んだ後、私はまた地ケンのドク房に入れられました。
地下の暗いドク房です。
自分の身がこれからどうなってしまうのか・・・不安でいっぱいでした。
しばらくすると、カン守に呼ばれました。
自分の荷物を渡され、そして、シャク放となりました。
地ケンの建物から出たとたん、一瞬めまいがして倒れ掛かりました。
「大丈夫ですか?」
先ほど、あれほど居丈高で、私を起ソの一点張りで攻めたてたケン事が私に声をかけてきました。
その声が徐々に遠くなっていきました。
私は気を失ってしまったようです。
気持ちを取り直して、一人で検サツ庁を出ました。
その後、母と待ち合わせて、ベン護士さんの事務所に行くことにしました。
待ち合わせ場所に行くと、母はすでに来ていました。
私は、母の顔を見るなり、涙が出て止まりませんでした。
良い年をした私ですが、このときばかりは、母の存在の大きさを感じました。
母がいてくれて、母が良いベン護士さんを手配してくれたからこそ、私のシャク放も実現したようです。
私は、不覚にも母にしがみついて泣きました。
ベン護士事務所に行くと、ベン護士さんも釈放を喜んでくれました。
こういうケースだと、そのままコウ留を延長されてしまうことのほうが多いらしいのです。
ケイ察にタイ捕された被ギ者は、タイ捕の翌日か翌々日にケン察庁に連れて行かれ、シャク放の有無が検討されます。
ケン察カンとサイ判カンによってシャク放が「なし」と判断された場合、タイ捕された被ギ者は、コウ留を請求された日から10日間から20日間、リュウ置場での生活を強いられることになります。
そうなった場合、ベン護士さんが、ケン察カンやサイ判カンにコウ留をしないように求める意見書を提出し、コウ留が決定された場合でも、不服申し立ての手続きにより、その取り消しを求めることができます。
私の場合、そこまでのことをしなくても、釈放されることになったのは、弁護士さんの力かもしれないと思いました。
その後、普段通りの生活が戻ってきましたが、あの時のことがトラウマのようになり、私は、しばらくの間、電車に乗ることができなくなりました。
仕事での得意先訪問も、車で行くようにしました。
会社での昼食の仕出し弁当もあのときの食事を思い出してしまい、のどを通らくなりました。
仕事中は、煩雑な時間が過ごせるので忘れていても、仕事を終えて家に帰ると、タイ捕されてからのみじめな時間を思い出し、眠れない日々が続きました。
そんな頃、例のケン事から呼び出しがありました。
もう少し続きますので、コメントは最後にいただけると、うれしいです。
サイ判カンは女性でした。
「まずいな・・・」
と思いました。
ケン事は、起ソの一点張りで、全く話を聞き入れてもらえず、今度は女性が相手です。
置換というハン罪は女性の敵だという意識が強いかもしれない。
またまた自分には不利だと思いました。
サイ判カンは、
「何か言いたいことがありますか?」
と言いました。
私は、
「とにかくシャク放して欲しい」
と言いました。
「身元も明らかにしているし、逃げも隠れもしない。会社も急に休むことになってしまったし、とにかく家に帰して欲しい。」
と言いました。
サイ判カンとの話が済んだ後、私はまた地ケンのドク房に入れられました。
地下の暗いドク房です。
自分の身がこれからどうなってしまうのか・・・不安でいっぱいでした。
しばらくすると、カン守に呼ばれました。
自分の荷物を渡され、そして、シャク放となりました。
地ケンの建物から出たとたん、一瞬めまいがして倒れ掛かりました。
「大丈夫ですか?」
先ほど、あれほど居丈高で、私を起ソの一点張りで攻めたてたケン事が私に声をかけてきました。
その声が徐々に遠くなっていきました。
私は気を失ってしまったようです。
気持ちを取り直して、一人で検サツ庁を出ました。
その後、母と待ち合わせて、ベン護士さんの事務所に行くことにしました。
待ち合わせ場所に行くと、母はすでに来ていました。
私は、母の顔を見るなり、涙が出て止まりませんでした。
良い年をした私ですが、このときばかりは、母の存在の大きさを感じました。
母がいてくれて、母が良いベン護士さんを手配してくれたからこそ、私のシャク放も実現したようです。
私は、不覚にも母にしがみついて泣きました。
ベン護士事務所に行くと、ベン護士さんも釈放を喜んでくれました。
こういうケースだと、そのままコウ留を延長されてしまうことのほうが多いらしいのです。
ケイ察にタイ捕された被ギ者は、タイ捕の翌日か翌々日にケン察庁に連れて行かれ、シャク放の有無が検討されます。
ケン察カンとサイ判カンによってシャク放が「なし」と判断された場合、タイ捕された被ギ者は、コウ留を請求された日から10日間から20日間、リュウ置場での生活を強いられることになります。
そうなった場合、ベン護士さんが、ケン察カンやサイ判カンにコウ留をしないように求める意見書を提出し、コウ留が決定された場合でも、不服申し立ての手続きにより、その取り消しを求めることができます。
私の場合、そこまでのことをしなくても、釈放されることになったのは、弁護士さんの力かもしれないと思いました。
その後、普段通りの生活が戻ってきましたが、あの時のことがトラウマのようになり、私は、しばらくの間、電車に乗ることができなくなりました。
仕事での得意先訪問も、車で行くようにしました。
会社での昼食の仕出し弁当もあのときの食事を思い出してしまい、のどを通らくなりました。
仕事中は、煩雑な時間が過ごせるので忘れていても、仕事を終えて家に帰ると、タイ捕されてからのみじめな時間を思い出し、眠れない日々が続きました。
そんな頃、例のケン事から呼び出しがありました。
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もう少し続きますので、コメントは最後にいただけると、うれしいです。