マンホールの蓋に白壁の町が・・・これは下水道の蓋です。
ということで白壁の町、うきは市吉井町を歩いてきました。
その前にJAにじ耳納の里で瓜を頼んできましたが、いわゆるお天気次第ですので、こちらの都合通りにはいかないのです。雨が降ると瓜は良くありません、数日間の晴れ間が必要でパンっと張った瓜がいいのですね。入ったら電話で知らせてくれますが、いつかは?生産者さん次第です・・・いい瓜をお願いしますね_(._.)_
で吉井町へは11時くらいに入りました。デジカメ持ってくれば良かったと思いましたね・・・日差しも強くてスマホの画面が見えません。それにOCに取り込んだのですが、面倒だなー・・・
はい、吉井町。もう40年くらいときどき来ております・・・お邪魔虫。
此処は吉井小学校前の灌漑用水というか、筑後川から引き込んだ川、南新川がありまして校門との間が散策路というか遊歩道です、河童の石像などあります。
また俳句の盛んな土地柄で、ホトトギス同人の句碑、稲畑汀子さんと廣太郎さんお句碑が並んであります。
夏柳が垂れていい感じの水辺です・・・
白壁の町も歩きましたが、この南新川沿いに必見の屋敷があります。しかも二軒、軒というには規模がでかくて不相応な感じですが二つあるのです。
久しぶりに入ってみました・・・その一軒の名は「鏡田屋敷」と言います。
江戸期は役所で明治になって所有者が民へ(笑)、で屋敷の裏側へ増築されているのです。
私が初めて来たときに、20数年前に来た時に驚いたのが二階からの眺め!
耳納連山が広がり、ああ!こんなに買いの座敷で昼寝もいいだろうな!とか想像していたのですが・・・(^_^;)
本日、ボランティアの説明者さんから、屋敷の名前となった事実を知らされて、納得というか・・・ああ、それでか!!と合点しました。
その眺めというのは・・・・時期はちょうど今頃でしょう。
田植時期ですね・・・代田とか植田とかのじきです。二階の明け放った(窓ではないよ)戸からさきは、耳納連山の麓近くまで田んぼだったそうです。水を張った田に連山の影も映り、月が昇ればその影も映り、まことに見事なものだったそうです。
その景色を楽しむために来客が絶えず料理 酒の接待とかで賑わったそうです。
そう、田んぼが鏡となって山や月影を映したことにより、鏡田と名がついたと・・・明治大正、昭和の戦前まででしょうけど・・・
三連コンロならぬかまど、
左の浴槽は五右衛門でした・・・一部タイルも使われているようです。
四枚開きの屏風には農耕の絵がありました、江戸期の物だそうですが有名な作者じゃないと係の人は言ってましたが・・・私の眼にはしっかりと描写された人や農耕の絵は素晴らしく思えましたね・・・烙印だけ撮りました
読めませんけど、なかなかの絵師だと思いますね。
といったところで、句の材料をメモッたりしながらの2時間、久しぶりに楽しかったです(^_^;)
鏡田屋敷の1階座敷はレンタルで使用が可能だそうです。そういえば冷房機がありましたね・・・句会などすれば贅沢なことでしょうね。
しかし係の女性からわが年齢を問われました・・・こりゃなんかな?(笑)
昔の句を書いておきます・・・
由布岳の屹立映す代田掻く