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『西遊記』第2章 孫悟空と名付けられ

2015-03-29 18:45:06 | 『西遊記』日本語訳
『西遊記』日本語訳を再開しました。第2章の翻訳案を担当したのは、3年生のZS。その翻訳案をもとに、本日、7名で日本語訳を決定しました。

【日本語訳】
第二章 誠心誠意芸を学ぶ
 あっという間に300年か500年ぐらいが過ぎた。ある日、美猿王は、猿たちと楽しく遊んでいる時、急に悲しくなってきた。彼は自分が今は楽しく過ごしているが、いつか必ず死ぬと思った。年を取った猿の一匹が、
「大王が不老不死になりたいなら、仏か仙人か神になるしかありません。」
と慰めた。皆はなるほど、なるほどと合点した。それで、美猿王は仙人を探し、不老不死の腕前を勉強しに行くことに決めた。
 翌日、彼は一人で筏に乗って、海の遥かなところに仙人を探しに出発した。8、9年が過ぎて辛酸をなめたが、とうとう仙人を見つけられなかった。またある日、海風に彼の筏が西牛賀州に流された。美猿王は岸に上がってみると、高い山があった。樵によると、この山は霊台方寸山だった。山には斜月三星と名付けられた洞があって、須菩提祖師と言われ限りのない神通力を持った仙人が中に住んでいた。美猿王は早速その洞を探してきた。童について祖師に会った。美猿王は、祖師が台の上で正座している姿を見て、急いで跪いて最敬礼をすると同時にこう言った。
「師匠、弟子でございます。お願いします。」
祖師は彼が利口で器用なように見えたので、とても気に入って弟子にした。そして、新しい名をつけてやった。孫悟空と言う名前だった。 
 ここから孫悟空は芸を学び始めた。毎日、兄弟子たちに字の書くことと線香を立てることを学んで、暇な時は、花や木の世話をして、掃除とか水を汲むことをやっていた。このように6、7年が過ぎた。ある日、祖師は孫悟空に吉凶占いや座禅を組むことを教えようとしたが、悟空はそれだけで不老不死になれないと思って、一切勉強しないことにしたので祖師を怒らせた。戒台から降りた祖師は、細長い板で彼の頭を続けて3回たたき折檻をしたあと、何も言わず後ろ手を組んで行ってしまって、扉を閉じた。兄弟子たちはその様子を見て悟空を責めた。その夜3時に、悟空はこっそり裏門のところに行って、祖師は部屋の中で寝ていることを分かっていたので、床の前に跪いて待っていた。間もなく、祖師が目を覚ましてわざと悟空を叱り付けた。
「私をお呼びになったのは師匠ではないでしょうか、3時に裏門から入らせて、私に不老不死の術をお教えになるのではないでしょうか。」
祖師は自分の心がちゃんと分かった悟空に、喜んで不老不死の奥の手を伝授した。また、72種の変化の術とトンボ返しの腕前も残らず全部彼に教えた。
 時間の流れは速く、3年のうちに、孫悟空は一日中絶えず勉強し修練を積んで、やっと72種の変化の術もトンボ返しの腕前も全て身に付けた。活発で、トンボ返しは勉強しやすかった。
 ある日、孫悟空は兄弟子たちと一緒に遊んでいたとき、兄弟子たちから変化して見せてくれと言われた。すると、悟空は得意げな顔して、呪文を唱えたとたんに、1本の松の木に変わった。皆は声を揃えて素晴らしいと叫んだ。その騒がしい声が祖師のところに届いた。祖師がこっちへ来て
「誰が騒いでいるのか。」
と聞いた。自分の腕をひけらかす悟空に腹を立てて厳しく責めた。
 悟空は直ちに師匠に許してくれと謝った。しかし、許しをもらえなかっただけではなく、さらに追い払われた。どんなに泣きついても、何の役にも立たなかった。最後は、皆とお別れせざるを得なかった。
 行く前に、祖師はわざわざ悟空に、どんな時でも、自分の弟子だと言っては駄目だと言いつけた。仕方なく、悟空は、感謝の気持ちで師匠に別れを告げ、トンボ返しの雲に乗って行ってしまった。

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