へレンケラー女史が 来日され
この中村久子に あい
言われた言葉
私より 不幸な人
私より 偉大な人
ケラー女史が 感動された
中村久子 は 2歳の時 脱疽という病を得た
そのため 両手 両足 を 失った
絶望の 両親のもとに 見世物小屋から
誘いが来た しかし 父は 烈火のごとく怒り
追い返した その父も 幼くして なくし
母に 育てられた
母は 久子に 厳しかった 口で 裁縫を
させ お人形を 作らせた
唾液で べたべたの お人形
そのうち ちゃんとした お人形ができた
結局 生きるすべがなく 見世物小屋に売られていった
だるま娘という ことであった
若い娘が 耐えるしかなかったのである
小屋の 芸人と所帯を もち 娘を得るも
2度にわたり 夫を なくす 2 3年 で死んでいく
久子 32歳 の 時 新聞で 座古愛子という
クリスチャンの 女性を 見つける
愛子は 首から下が 動かない 寝たきりである
しかし 教会の購買部で 働いていた
しかも 伝道までしていた
久子は 愛子に 会いに行った
目と目で 一瞬に 通じ合ったという
愛子は この境遇ですら 感謝に満ちていた
信仰のゆえである
久子は うらみを 持ち続ける 自分を恥じた
こんな 人が いた
彼女の 心が 開いた瞬間であった
久子 32歳であった
しかし 久子は クリスチャンに なっていない
2人の 子供を育てながら 再再婚し
見世物小屋 で生きた
彼女が 最後に 至ったのは 親鸞聖人の歎異抄に
出会った
善人往生す いわんや 悪人をや
善人が救われるなら 悪人はもっと
あわれまれ お救い下さる
深い お言葉である
たまたま わが代々の 宗派である
ここに 久子は 生かされる喜びを 知り
開花 する
そして 自分を育ててくれた 手足のない体に
感謝 するのである
信仰の 開花である