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再び 蕩減に ついて

2019-01-28 10:02:50 | 日記

再び 蕩減について

蕩減復帰という

すなわち 蕩減を払いながら

復帰するのである

お父様によれば 苦しいとか 悲しいとか

言えば 蕩減なならないと

そうであるならば

信仰による 喜びが 蕩減の苦しみ 悲しみに

勝らなければ ならない

 

ライオンの餌に 掘り込まれようとしているのに

喜びに満ちて 天に帰っていった

クリスチャンがいた

独り 彼だけではない

大勢のクリスチャンが 十字架を

越えていった

イエスさまに 愛され ながら行った

 

最初の殉教者 ステパノは

なげらられた 多くの石で なくなっていった

そのとき 彼は

主と同じように 彼らは何も知らないのです

許してあげてください

と言って 天に帰っていった

苦しくなかった はずはない

痛くなかったはずはない

それでも 彼は心満ちて

愛を残して 天に帰っていった

蕩減は決して苦しくないものではない

しかし  信仰の喜びが

蕩減に勝って

この 苦しい蕩減を 越えていく

神様の愛が 蕩減に勝って

越えていく

アージュ アーメン アージュ


蕩減は 神様を称えて 越えるべきもの

2019-01-26 19:42:41 | 日記

蕩減という問題を考えている

蕩減だよね

ということは 裁く言葉のような

感じがあった

しかし 本当はそうではなく

真剣に取り組まなければ ならない

問題である

蕩減は実は 神様からの贈り物である

これを 越えれば 復帰かあるのであるから

これを このように超えるシックが

現れなければ ならない

これは あの人の蕩減だね

と言われても それがほめ言葉のように

ならないといけない

勲章である

十字架は キリストにとって蕩減であった

それで 主は くじけられたか

否である

お父様によれば 余裕しゃくしゃくであった

ゴルゴダの丘で 主は 泣く女に

思いをすら

与えた 自分の心配をしていなかった

主は 十字架を文字通り

乗り越えて 行かれた

彼らは 何をしているか 知らないのです

彼らを 許してください と

された 主でありました

ここに 蕩減にたいして

微塵も 動じる主ではありませんでした

越えさせる 神様を 思いやる心すら

ありました

お父様は 拷問のさなか

天の 御父様を慰められました

心配しないでくださいと

お父様の 御言葉に

先生は 蕩減を むさぼり食った

というような 御言葉がありました

そうです 蕩減は食べるものです

そして 私が 覆うものです

少なくとも 蕩減にたじろいではなりません

十字架にかかるとしても

神様を 称えて越えるべきです

 

 


気が付いた時には 暗闇は去っていた

2019-01-24 19:25:31 | 日記

私が 敵を愛せるかもしれないと

思った瞬間がある

思いもしない 偽りの中に

ほおりこまれて

苦しんでいた

自分のした失敗ではないのに

自分のせいにされ

悶々と 苦しんでいた

あまりに 苦しい

なんてやつだ うそをついてまで

人を 陥れるとは

苦しみながら 夜の 眠りについた

朝に なった

なんと あの苦しみが薄れている

恨んでも 恨みきれないのに

薄れている

そのとき 気づいた

人は 良いことも 悪いことも

こうして 時と共に

忘れていくのだと

神様は 人にこれを与えてくださった

そういう能力が人にはあるんだと

気が付いた

恩讐を 愛せるかもしれないと

思った瞬間であった

恩讐を愛するためには

恩讐となった 出来事を

忘れなければならない

消さなければ ならない

そう いくらりきんで恨んでいても

忘れていく

少なくとも 薄れていく

そして そこに 博愛が芽生える

恩讐であるが 愛することが

できるようになる

もちろん 祈る

気が付いた時には

暗闇は 去っていた

こうして お父様が

私を愛してくださり

愛に包まれていった

 

 

 

 

 


日本国 解放

2019-01-24 13:55:23 | 日記

日本の青年は

キリストを知らない限り

解放されることはない

青春は 正直で事実を

そのままに 率直に見る

おかしいことは おかしいとする

純粋な 精神がある

その精神が 日本を見るとき

なんだ この暗さはと思う

アメリカ帰りの青年が アメリカかぶれする

自由な精神が そのまま日本にはいってくる

そして 苦しみだす

日本の風土に 合わないのである

青年も アメリカの精神が どこから来るのか

知らずに アメリカ風になるので

弱い

キリストに 染まって 来るといいのだが

そうは うまくいかない

日本の中で キリストなしに 自由にふるまう

たちまち つまはじきに なる

日本が 外人を 外人として 排斥する

根幹を 変えないと この 青年の心は

解放されない

キリストがいないということは

どういうことであるか

父なる お父様がいないということになる

神の神殿に おらず 神ならぬ神殿にいるのである

神の神殿を 知らない

しかし 本心が その汚れを敏感に察知する

青年の 純粋な心が それを察知する

しかし 解放されない 仕方がわからない

解き方が わからないので 青年は 暴れる

連合の一世はは 鈍感になって 感知しないだろう

しかし 純粋な二世がいれば 必ず暴れる

あるいは 犯罪に染まるかもしれない

嘘の 世界を受け入れられないのである

かつて 特攻隊で 何度も死んで来い

といわれ 生きて帰った 人がいた

そんなに命が 惜しいかと言われて 罵倒された

しかし 死んでは 国を守れない

彼は 最後まで 生きて帰ってきた

そのうち 終戦になった

終戦当時 多くの若者が ぐれていった

方向を見失ったのである

実は 元から方向は なかったのである

戦前の 日本と 今の日本 大差があるだろうか

ない いまも方向を持っていない

キリストのいない日本は

さみしい日本である

キリスト教すら キリストを

伝えることに 失敗した

遠藤周作に至っては さまよっている

三浦綾子にも できなかった

この 日本を救わねばならない

明るく 強く 優しい

キリストを 伝えねばならない

真の愛を 示してあげなければならない

見せて上げねばならない

 

日本国解放

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

 


日本に 父がいない

2019-01-23 03:10:03 | 日記

まだ 結論は出せないが

考えていることがある

私は 日本の歌手が好きである

長渕剛 森山直太朗 武田鉄矢

他にも たくさんいる

彼らの歌を 聞いていると

何故か 悲しみが 漂う

それに 共鳴する自分が いる

直太朗の 桜も 好きである

武田鉄矢の歌も 好きである

何が好きかというと

どうも さみしい けれど 懸命に

生きている 健気さかもしれない

長淵の 乾杯もすきである

ふと 彼らに 共通するものを 感じる

なんとなく 日本人の 精神性が

共通 しているのを感じるのである

 

仏教は 日本に浸透している

大乗仏教である

特に 浄土真宗 南無阿弥陀仏

である

寂光浄土 という思想

彼ら 日本の歌手に それがある

それを 感じる

真に明るくは 無いのである

寂しさを 泣いているのである

神田川と いう 南こうせつの歌がある

その中に 貴方のやさしさが 怖かったと

いう セリフがある

この 寂しさが なんとも言えない

一言であえて言えば キリストのいない

壁に 泣いているのである

そして 一人で 戦うのである

父の居ない 寂しさ

キリスト教徒の遠藤周作にすら

これを 感じる

父がいないのである

これは 日本 全体を覆っている

年は 関係ない

老若男女 すべてである

父が いないのである

それで さみしくて 泣くのである

そう思っている

今しばらく 考え中である