火の柱3 080-4232-1596

電話 080-4232-1596 メール tanimoto0724@gmail.com

手を合わせて 神様を見上げます

2019-01-22 18:39:41 | 日記

信仰は どんな目に会おうとも

接した人を 愛そうとします

ずたずたに 心を 引き裂かれても

明日には 忘れて 愛そうとします

不滅だなー と 思う瞬間です

しかし 痛いなーとも 思う

瞬間 でも あります

しかし すべて忘れて

やっぱり 愛そうとするのです

彼らをも 神様は愛しておられます

否 むしろ彼らこそを 愛して

おられます

それで 心は 凍っていても

暖かい 言葉と 行動が出ます

神様が 臨まれて

氷の 世界が 解けていきます

そして 明日になれば 忘れて

いきます

遠く 苦労を かすかな思い出として

私を ここまで導いてくださった

神様の 御愛を受けて

安んじている 私が

います

手を合わせて 神様を

見上げている 自分がいます

 


正直という 光

2019-01-22 10:08:58 | 日記

本当の人間関係は

この世では ありえないため

伝えにくいと 思います

御父様は あるセレブたちとの 食事会

で みんな お行儀よく 静かに食べているとき

ガチャ ガチャと フォークを 音たてて

召しあがられました

皆様は 理解されるでしょう

お父様は その 偽善の静かさに

抗議されて居たのです

しかし 世の人は わかりません

顔を しかめて 無作法なひとと

いやがる のみです

世の人の 感覚は 世の人の中で

サタンにがんじがらめに されて ひそやかに

生きているのです

そこから 一歩でも 外れると

非難される それが怖いのです

シックはだれも そういう 経験があるでしょう

神様がいないのが 当たり前

そんな世界に シックは我慢なりません

神様を 愛している人を まるで阿呆のように

みます

仕方ないので 内心わからずやだな

スルーするのです

しかし 時には 正直に

神様のお話を ほんの少しするのです

まー 不思議な顏をされます

どれほど 神様から遠い 世界でしょうか

日本中が そうなので

まるで 冷たい地獄の 様相です

そんな時 シックと お話をするとき

凍った 心が よみがえります

私たちは 別世界に生きているのです

世の光とはよく言いました

それほど 世の中は暗いのです

彼らには 光がまぶしく 異状なのです

光が 目にいたいのです

暗くないと 戸惑うのです

みんなと同じように 暗くないと

おかしいのです

正直というのは 信仰の世界では

光です

しかし 世の中では

馬鹿正直といいます

屏風は まっすぐには

たたない

嘘も 方便とか いい

本当に正直なことを 厭います

そんな正直者を 青臭いと いいます

闇が 光を 飲み込む瞬間です

言葉は 心情からくるとき 光を放ちます

たとい ため口で 変でも

心情から 来るとき 光を放ちます

光と 闇とは この世の人は

区別が つかないのです

むしろ 光を 痛いといい

闇を 友というのです

正直を 青臭く痛いといい

嘘つきを 大人というのです

 


大きな教会が来る夢を見ました

2019-01-21 17:41:40 | 日記

大きな教会に所属する夢を

見ました

その名も 新大阪教会

われわれも そこに所属するというものです

100人くらいの 礼拝でした

雰囲気的に 統一教会でした

しかし プロテスタント的です

少人数の我々が 入っていく夢です

しかし 我々も新大阪教会を

名乗っています

ひょっとしたら 教会ごと

サンクチュアリに移ってくるのでしょうか

我々が その教会に所属する感じです

兎に角 大きな教会が 王様の

所属に なり 我々は吸収されそうなんです

正夢 かもしれません

しっかりしなくてはなりません

 

 

 

 


愛は天を 駆け下りる

2019-01-19 20:30:00 | 日記

我々の 親孝行は 神様を父として

親孝行である

御言葉に ある 力を尽くして

汝の主なる 神を愛せよと

イエス様 お父様は 真にそうされた

我々から見れば イエス様 お父様が

神様のように見える

神様の愛が 深いというものでは言い表せず

言葉を はるかに超えているので

言いきれない

それは 言いきれないほど遠いのではなく

言いきれないほど 濃いのである

言いきれないほど 暖かく

言いきれないほど 優しく

言いきれないほど 情熱的である

それは 御父様を見た われわれ誰もが

知っている

御父様を見たものは 神様を見たのである

愛を 知ったし 愛を 見たし

愛が 生きていたのを 見たのである

つまりは 天のお父様が

人として 来てくださったのである

愛は 天を駆け下りて くださったのである

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ


韓国を真のキリスト教国家にしなければならない

2019-01-17 04:09:51 | 日記

韓国を見ていて 不思議に

想うことがある

あんなに情が深いのに 北朝鮮に

ついては 無関心のように見える

どれほど 苦労しているのか

知っていそうなのに 何もしない

日本が 東西に分裂して

西が 共産化されて 苦労していれば

東の 日本人は 黙っていない

 

韓国は 国とか大きい単位に対しては

非情に冷たい

日本のほうが 暖かい

70年間も 北朝鮮をそのままにしてきた

今 左翼により 統一されようとしていても

無関心である

あたかも 自分の生活しか 関心が無いように

見える

これも 親族に対する 本当の情の

深さであれば 国家の行方をもっと

深刻に考える はずだ

この儒教的 親族関係は 実は偽物

ではないか

本当に 父母を大切にしているのか

連合の 元お母様に 対しての

親孝行も 偽物である

日本の 愛国心のほうが 暖かい

偽物であるから 本当のキリストの愛が

わからない

むしろ 日本の愛国心のほうが

キリストに近い

韓国は 実は儒教に苦しんでいるのかもしれない

きっと そうである

今 連合も 王様に 親孝行を言うが

大いに 間違っている

儒教的 親孝行は 外的である

形ばかりである

神様が いないからである

キリスト教的親孝行は 神様を

父として 親孝行である

似ていて 全然違う

韓国は この儒教的 人間関係に

苦しんでいる

嫁姑がそれである

どれほどの嫁がこれに 泣いていることか

しれない

どれほどの妻が 泣いているか

はかりしれない

韓国を 真のキリスト教国家にしなければ

ならない